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自己肯定感が強いかわいさ

母の退院後1か月が過ぎました。
寝たきり、排せつも食事も全介助の母ですが、自宅での生活が安定しつつあります。介護の支援者と家族に感謝です。

母のお世話をすることで発見がいくつもありました。
その中の一つ、自己肯定感について書きます。

自己肯定感は自己効力感とか自尊心プライドと同じように使われる言葉です。
でも私は、自分がいるだけで価値があると思う気持ちと思っています。
自己肯定感がある人は精神的に安定しています。

母は腹圧の低いため、定期的に排せつを手伝ってもらっているのですが、これが大嫌い。
そうですよね、浣腸、摘便は患者さんにとって体力的に負担になるだけでなく、精神的に苦痛だと思っています(でも必要なときもあります)

看護師さんは慣れていて、母が受け止めやすいように声掛けしながらしてくれています。
先日の摘便の終了後、水分摂取をするのですが、水を飲みながら
「女の子、男の子、どっちだったの?」と尋ねるのです。
私も意図がわからず、看護師さんは女性だったので女の子と答えました。

母の表情が和らいで、「やっぱり、女の子が良いわよね、私の年にしてはやると思わない?」

???

母は排便を出産と思っていたのです。
腹圧をかけたり、ゆっくり息を吐いてなど呼吸法を促したので、60年近く前の記憶が甦ったのでしょう。

女性ならではの勘違いですよね。
そして、母は自分の年をいくつだと思っているのか疑問ですが、自分がもう十分な年であることを自覚しているのですね。
そして、自分も頑張って、何かを得た(子供が生まれた💓)と自分の役割、自分の力を評価しています。
摘便というちょっと屈辱的な医療行為を生産的な出産に置き換える。
そして、女の子が生まれたことを喜んでいる母をみて、認知が低下しても自己肯定感は保たれると感じました。

ちょっとつじつまの合わなくなった親に「私の名前言ってみて?」なんて質問しないで、一緒に食べている食事、手の柔らかさ、まなざしの強さをほめてみたらどうでしょうか?
ほめるというよりも、手が柔らかいお母さん、お父さんの目は何でも見えているのねという言葉の方が、よっぽど精神的に安定して幸せに過ごす時間が作れると思っています。

母は医師として母親としての人生を通して自己肯定感を築いてきたのだと思います。
もう少し幸せの時間をくださいね。お母さん。

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