邪悪な欲望を取り除く方法の違いについて

お釈迦さまとイエスさまの方法の違い

お二人とも、人の持つ邪悪な欲望を取り除けと言われました。同じですね。一方は人間の意志によって取り除けと命じられ、イエスさまも、人間の意志によって取り除けと命じられたように一見、思えます。

今のクリスチャンは、自分の意志では出来ないと悟っています。お釈迦さまの悟りと同じです。お釈迦さまも人間ですから、高尚な哲学として、語ることは出来ても、実践は難しいと思います。

お釈迦様は、難行苦行では出来なかった。

もし、悟り(煩悩の火が消えたニルバーナ)の世界があっても、生きている間は無理でしょう。

では、最初の命題をどう解くのか?

答えは、「御霊の力」です。

ヨハネ、ペテロ、パウロはこの力を神から受けていました。

これは、観念論ではなく、現実の神の力です。

彼らは、自分を十字架につけ、肉の働きを御霊によって殺し、罪から逃れたのです。

「狭い門」について証ししました。救われる者がこれを見出し、ここから通って行く狭い道です。

イエスさまが見出す者は少ないと言われた、あの、「狭い門」、「狭い道」です。

これは、奥義です。

これが、救いの現実体験です。

あなたも、望むなら、あなたの信仰と神の恵みによって、神は与えてくださるとわたしは信じます。

ただし、合計、100回や1000回、祈った程度の信仰では無理だと思います。

なぜなら、兄弟たちは、すでに無理だと悟ったからです。

しかし、

罪から逃れた、救いの状態を終わりまで保つ信者たちを主イエスは救いに再臨されます。

黙示録に登場する人たちはまさに、上記の人たちです。

主は、いままで、はっきりしなかったことを明らかにされました。

彼らは、正しい行いをし、その口に欺きは見出されなかったのです。

彼らこそ、救いのために神から選ばれた人たちです。

イエスさまは明らかにされました。

ハレルヤ、アーメン

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