教会が変わらない理由

最近、わたしは気がついた。教会は神からの力を受けていないことに。それは個人にも当てはまることです。いくら話しても彼らは変わらない。それは、彼らには御霊の力が働いていないからです。教会内で互いに励まし合うことや、外部の人たちに対して宣教活動することは、彼らには不可能なのです。上からの力を着せられていないからです。だから聞くだけで終わってしまう。真理については、信者がしっかりイエスさまの中にいれば救われるでしょう。もし、イエスさまの外に出れば、神に打ち殺されることになっています。神がイエスさまに与えた人たちは神の羊。彼らはイエスさまに従う人たちです。それ以外は、ヤギです。購いについて、こう考えてみたらどうですか?あなたが、明日、死刑になる人たちを助けるために、多額のお金を支払う。そしてその人たちを死刑から救う。その人たちはあなたのものです。なぜなら、その一連のことはある国の法でそう定められているからです。今、話したことはたとえ話です。イエスさまが、購ってくださった。羊はイエスさまのもの。そう神の法で定まっているから。イエスさまに従わないヤギはイエスさまのものではない。だから、アダムに宣告された死刑が、彼らに執行される。一方、羊はイエスさまのものとなったために真の命が与えられる。なぜなら、そのように神の法に定まっているからです。購いによってイエスさまのものとなる人たちは、父なる神がイエスさまに与えた羊たちです。父なる神がイエスに与えたのです。ヤギはイエスさまのものではない人たちです。それはヤギがそれを拒んだからですが、彼らは救われようとしなかった人たちで、滅びます。アーメン。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?