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適応障害の薬を卒業した

2023年1月に適応障害を発症してから、2024年5月まで薬を飲み続けていた。クロチアゼパムという比較的マイルドな抗不安薬だ。クロアチアみたいな名前だなと前から思っていた。

心療科の診察料と処方箋のお薬代はなかなかテンションの上がらない出費だ。クレジットカードの利用明細を眺めるとき、心療内科と抗不安薬の利用明細を見つけると悲しい気持ちになっていた。楽しい出費でないことは確かだ。

適応障害の症状は半年弱で落ち着いたが、薬は症状が落ち着いてからも量を減らしながら飲み続けていた。そしてそれから繁忙期を無事乗り越え、多少ストレスのある環境であっても適応障害の症状が出てくることはなくなった。寛解したといっていいだろう。ついに薬はもう飲まなくてもいいでしょう、ということになった。

思えば当初は薬には大変お世話になった。動悸がどうしてもおさまらず薬を飲み、それでも全然おさまらないのでまた飲んだりしていた。マイルドな薬とはいえ時間を空けずに2錠飲むのはよくない。一度もっと強い薬に変えてもらったが、今度は日中ずっと眠気に襲われていて仕事なんてとてもとてもできる状態ではないという状態になり、すぐにやめた。

初めはお守りのように持ち歩いていた抗不安薬だが、いつのまにか持ち歩かなくなった。決められた通りに1日1度決まった時間に服薬するはするものの、めんどくさいなあと思っていた。その話をお医者さんにすると、「今後は不安になったときだけ飲んでいい」と言われたので、不安になるのを待っていたのだが、全然不安にならなかった。不安にならないから薬も減らない。1ヶ月後、不安にならなかったから前回から全然お薬減ってないですと伝えたら、お薬は卒業してもよさそうですね、と言われ、薬を卒業した。そして今に至る。

寛解してよかったと思う。人によっては適応障害のことを「一生付き合っていかなければいけない病気」と言ったりするし、実際そういう人もいるのだろうけれども、今のところわたしはそうではなかった。バカみたいに働くのをやめ、規則正しい生活を送り、ほどほどに運動して、ときどき気晴らしの旅行などをしていたらいつのまにか寛解していた。また多大なストレスがかかる環境に置かれたらどうなってしまうかわからないが、とりあえず今のところは大丈夫そうだ。わたしはわたしで馬車馬のように働かない、適度にサボる術を身につけたので。

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