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与えられるも親孝行

七段の雛壇飾り

今日はひな祭りだ。
我が家には大きな雛壇飾りがある。七段の、フルコースの雛壇飾りだ。

この七段の立派な雛壇飾りは、姉が生まれたときに、母方の祖母が買ったものだ。わたしが生まれる前の話で、母方の祖父はわたしが生まれる前に、母方の祖母はわたしが物心つく前に亡くなっているから、わたしは立派な雛壇飾りを贈ってくれた母方の祖父母のことをほとんど何も知らない。母方の祖父母もわたしが生まれる前か、わたしがまだ小さいときに亡くなってしまったから、わたしのことをよく知らないだろう。

七段の立派な雛壇飾りはなんとも迫力がある。わたしは今時のコンパクトな三段や五段の雛壇人飾りよりも七段飾りが好きだが、祖父母が雛壇飾りを買ってあげるといわれた当時の母は、狭いマンション暮らしであったため、三段のコンパクトな雛壇飾りを買うようにお願いしたそうだ。
しかし祖父母は七段飾りを買った。母の意向を全く無視して、七段の飾りを買った。狭いマンションに七段の雛壇飾りを飾ることは難しく、その七段雛壇飾りは父親の実家の一軒家に飾られることとなった。

「マンションにおけるようなコンパクトなのにして、って言ったのに、全然いうこと聞いてくれへんかったわ」と母はいまだに思い出して言う。

ちなみに、雛壇飾りを贈られた当時はせまいマンション住まいであったが、その後我が家は父親のアメリカ転勤についてアメリカ移住し、さらにその後は父親の実家に帰ってきた。わたしが小学生のうちは毎年立派な七段雛壇飾りを毎年ひな祭りには飾っていた。見応えのある雛飾りだった。

本物のパールのネックレス

わたしが成人してから、母はときたま「喪服一式を揃えろ。パールのネックレスも」と言うようになった。
母としては、もう立派な大人なので冠婚葬祭の装いくらいは揃えておけ、いつ呼ばれるかもわからないし、ということらしい。
ましてや結婚式と違い、訃報は当然来るものだから、絶対に喪服は早く揃えておけ、と言われた。

帰省したときに、母が「今からあんたの喪服を買いに行くから、ついてきなさい」と言い出した。わたしと母はショッピングセンターに行き、背の高いわたしでもなんとか着られる喪服を買い、パールのネックレスのイヤリングも揃えるべくジュエリー店にも行った。

質の良いパールネックレスは、30万円くらいはするものだ。わたしはそんな高額なアクセサリーを買ったことがなかったし、普段は財布の紐が固い母親もその値段には少し慄いたようだった。

わたしは、イミテーションのパールネックレスでいいと言った。イミテーションなら、ものによるが1万円程度で買えるものが多い。
さらに、母親自身のパールネックレスもイミテーションだ。母親はイミテーションのパールネックレスで十分満足しているようだったので、そうであればわたしもイミテーションで構わない、と言った。

ジュエリー店では店員さんに「試着だけでも」と言われて、試着だけした。わたしは背丈があるので大粒のパールネックレスが似合うかと思っていたが、実際に首につけてみると、首が細く長いため小ぶりなパールのほうがよく似合う、ということがわかった。

わたしはパールの良し悪しに詳しくない。ただ、上品だなとは思った。指に触れたときのひんやりとした感触、一粒一粒がこすれあうときのささやきのようなやわらかい音。欧米ではパールはセンセーショナルな宝石とみなされているようだが、その理由がすこしわかった気がした。

次に、喪服売り場に行って、イミテーションのパールネックレスを見た。試着もした。
パールに詳しくないわたしと母ですらはっきりとわかるほど、本物のパールネックレスとイミテーションのパールネックレスの違いは歴然であった。実際に首につけてみると特に違いがわかる。

おそらく輝き方が全然違ったのだと思う。本物のパールのネックレスは、一粒一粒が控えめなやわらかい光りかたをしていた。一方でイミテーションのパールネックレスは、輝きすぎていたと思う。本物のパールのようなやわらかい発光ではなく、テラテラとした妙な光りかたをしていた。

本物のほうがいい、と母が言った。
その後さっきのジュエリー店に戻って、27万円の本物のパールネックレスとイヤリングを買った。
ショッピングセンターからの帰り道、母親は「肩の荷が下りた」とご機嫌だった。冠婚葬祭での振る舞いに厳格な母にとって、25にもなるいい歳した娘がフォーマルウェアを持っていない、というのは喉の奥に魚の小骨が刺さった状態であったようなものだったらしい。

いいものを買い与えられるのも親孝行

親は子供にいいものを買い与えたいと思うものなのかもしれない。
娘が三段雛壇飾りを所望しても七段の立派な雛壇飾りを贈り、お母さんと一緒のイミテーションのパールネックレスでいいよと言われても本物のパールのネックレスを贈る。

上等なものを子供に贈るとき、親の懐は痛むのかもしれないが、心は潤っているはずだ。子供に上質なものを与えてあげたい、という親心が満たされるから。

高級な本物のパールネックレスを贈られたことは、親孝行だったと思うことにしている。

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