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Bulgaria-ブルガリア

「ブルガリアって、どんなイメージ持ってる?」

その友人は、当時仕事でブルガリアに住んでいて、私のいる街を訪れていた。

「うーん…やっぱりヨーグルトだよね。」

「そうだよね。ブルガリアと言ったら、ヨーグルトだよね笑。でもね、聞いて、凄いの。もうね、ブルガリアはびっくりな国だから。」

「そうなの?」

「まずね、家。素敵なアパートが見つかったからね、すぐにアパート契約したわけ。それで引越荷物運び入れて、手を洗おうと思って、キッチンの蛇口捻ったの。そしたらね、キッチンの下から、そのまま水が出てきたのよ。もうジャーーーー!って。それでね、驚いてキッチンのシンクの下の扉開いて中覗いたらね、無いのっ!!!排水管が!!!繋がってないの。シンクの穴だけ上に見えてるの!何これって思って、とりあえず水道は使えないなと思ったのね。その時点で、アパートのオーナーには、アパートを見に来るように依頼したの。それでね、今度は、電気使おうと思って、壁のコンセントに電化製品のプラグ差したらね、コンセントのパネルごと壁突き抜けたの。反対側に笑!!壁そのまま、四角い穴!!ぼこっって!!信じられる?」

友人は堰を切ったように一気にそこまで言うと、興奮冷めやらぬ体でそのまま話し続けた。

「それでね、テレビもね、点けようと思ったら、テレビも点かないわけ。なんで?と思ってテレビに触ったらね、中身無いの!空っぽ!モデルハウスの飾りみたいなの?そんな感じ。もう一人で笑ったよ。呆れ返って。その後ね、オーナーが来て、『あー、ごめんごめん、中身まだできてなかったんだよね。見せる所までは取り繕ったんだけど』的な事言うのよ。それでキッチンに排水管つけてくれることになったんだけど、キッチンのシンクの後ろの、壁にくっついてた部分に排水管通さなくちゃいけなくなって、キッチンの『シンクの部分だけ』キッチンの並びから前にせり出すことになっちゃってさ。もうデザイン的にあり得なくて。システムキッチンの、シンクの部分だけだよ?15センチくらいボコって出てるの。で、キッチンのシンクの後ろには謎の15センチの空間があるわけよ。どうすんの、この空間?って感じ。」

「どうしたの、その空間?」

「そのままよ。15センチ前に出たまま。もうさ、素敵なアパートだと思ったのに、その時点でもうこれは先が思いやられるって思うよね。コンセントの穴もその後直してくれることになったんだけど、何もかもが脆すぎて、もう心配過ぎるの。でも、もう契約は取り消せないって。とりあえずの中身だけ格好良く作って、契約まで行けばいいや的な考えなのね。もう信頼度ゼロ。」

「やばいね。」

「まだあるの、聞いて。車運転してたらね、煽られたわけ。たぶん私がアジア人っての認識して追っかけてきたのか、何なのか分んないんだけど、すごい幅寄せされたから、もう道路に居切れなくて、路肩に止まったのね。そしたら、その幅寄せしてた車から降りてきた人、叫びながら降りて来てさ、私の車のワイパーもぎ取って去っていったの!!ボキって折ってね、それ持って去っていったの!これね、私あそこで勤めだして3カ月間の経験。ブルガリア!」

彼女はからからと笑っていた。誰かに話したくて堪らなかったの、やっと言えた!という雰囲気がみなぎっている。

自分が実際にそこに住んでいて、毎日こういうことを解決しなければならないのは、結構なストレスだろうと思うけど、こういう風に命に関わらないぎりぎりの事なら、異世界の事として、なんとなく楽しめてしまう。私も東京から途上国に移り住んでいたので、彼女の気持ちがなんとなく理解できた。それにしてもブルガリアはなかなか面白そうだ、と思った。

ブルガリアって、と考えてみると、確かに私の頭の中にはきちんとしたイメージがなかった。ブルガリア人と一緒に寮生活をしたことがあったのに。どんなイメージだろう。

何故だか、その時の私の頭の中に浮かんだブルガリアは、アニメのアルプスの少女ハイジとヨーグルトだった。そして、そこに、友人が教えてくれた、いい加減で若干カオスなブルガリア像が追加された。

面白そう。これは一度体験しに行こう、と決めた。

昔、アメリカに留学中に仲良くなったブルガリア人の友人がいた。

彼女は、同じ留学生寮で私と同じ建物に住んでいて、良くブルガリアの料理をふるまってくれた。リークのキャセロールにヨーグルトをかけたものを作ってくれて、それが香ばしくて本当に美味しかったのを今でも覚えている。

金髪のラフな髪形で、いつも特別に元気で、ベジタリアンで、ジョークが好きでおてんばな、強くて頭の良く切れる優秀な女性だった。彼女は、ヴェラといった。

ヴェラにブルガリアに数日間行くことを伝えると、彼女は私のために旅行プランを立ててくれた。

「ソフィア、リラ・マウンテン、カザンラク、エタル、ヴェリコ・タルノヴォを巡る、夏のブルガリア4日間プランね。」と彼女は連絡をくれた。

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ソフィアに着いたのは、蒸し暑い夕方だった。

ヴェラは友人のドブリと共に私を缶ビールで迎えてくれた。私はドブリとも以前から知り合いだった。一緒に東欧を旅行したことがあった。

ドブリは、優しさが顔に滲み出たような顔をしている。優男、という言葉が良く似合う。黒に限り無く近い髪を刈りこんだ、モンキー・パンチのルパン3世のような頭をしている。

その時私はスロバキアに住んでいたのだけれど、ソフィアに到着した瞬間、全てのサインがアルファベットからキリル文字になっただけで、物凄い違和感を覚えた。文字が読めなくなるだけで、随分と自分が頼りなく思えてしまう。

ソフィアは、寺院や教会だらけだった。違う種類の宗教の建物が所々に建っている。キリスト教、イスラム教、ロシア正教…。

この辺りは宗教の交差点だ。

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街の風景を眺め歩くだけで楽しかった。

夜も所々で商店が空いていた。一つの店で甘く焦がしたアーモンドを少し購入し、三人でぼりぼりと食べながら街を歩く。

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ドブリが、タンゴのダンスクラブに行こう、と言うので、何故かソフィアに到着して早々タンゴクラブに向かった。

「タンゴが流行っているの?」

「いや、趣味なんだよ、僕の。」

ドブリはタンゴのコンクールで受賞歴がある程のタンゴダンサーなのだと言う。

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私たちは、ソフィアの繁華街の商店街にある、ビルの一角の薄暗い建物に到着した。

紫色に近い色の看板に、何が書いてあるのか読めないネオンサインと、ギラギラした怪しい鏡が設置されている。地下へ下る真っ暗な階段。半地下の空間に部屋があり、真っ暗な廊下に漏れる一筋の光は真っ赤だった。

怪しすぎて思わず尻込みしたのだけれど、二人は躊躇なく階段を下りていく。更に半分地下を降りて、そこにあったドアを開けると、突然視界が開けた。

広い空間にバー。そしてくるくると回る赤と黒の照明。そして、快調な中南米を思わせる音楽。中では、大勢の人々が軽快に楽しそうにダンスを踊っていた。

踊る人々は皆知らない人同士なのだと言う。

「君は外国から来たの?楽しそうだろ?ここでは、誰でもすぐ仲良くなれるんだよ。君も踊るといいよ。」と近くにいた初老の男性が話しかけてくる。人間同士が自然に知り合うことのできる空間だった。

踊る人々は、皆ダンスがうまかった。その光景に慣れてくると、その空間がとてもおしゃれでご機嫌な空間に変わった。

私とヴェラは、ゆっくりと飲み物を飲みながら、踊りまくるドブリを眺めつつお互いの近況を話し合った。

ソフィアの夜は、鮮やかに賑やかに更けていった。

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ヴェラの家で、翌日目が覚めると、ヴェラの母親が朝食を作ってくれていた。

"Dobre rano. Ja som Leto. Som z Japonska. Rada som vas spoznala."

スラブ言語だからちょっとは通じるかな、とスロバキア語で自己紹介をするとにっこり笑って自分の紹介を返してくれた。

ヴェラは、まぁなんとなく通じる言語よね、と横で笑っていた。

「今日は、リラ・マウンテンだよ。そこに辿り着くまでに軽く山を登るからね。」とヴェラが言った。

リラ・マウンテン。

7つの美しい湖があることで有名で、国立公園に指定されている。午前11時、ハイキングを開始した。

軽く、と言ったのに。

とんでもなかった。相当な傾斜の、砂利道と大きな岩がごろごろした足元の悪い道をひたすら無言で上る。あちらこちらに低木が生えていて、草が生い茂っていた。

そして、殆ど歩いている人はおらず、商業的施設は一切無かった。

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山道の所々で、紫や黄色の美しい花やブルーベリーが風景に色を添えていた。

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上り続けること約3時間。私は既に疲れ切っていた。

草を掻き分けて木の茂みをくぐり抜けた瞬間。

突然風景が開けた。

この時、人生でこれ程までに美しい風景に出会ったことは、数える程しか無かったと思う。

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どこまでも広がる緑色の山々に、荒々しい岩と草原。

そして、その手前で風景を写真のように映し出す、深い藍色の湖。

まるで、ロード・オブ・ザ・リングの世界に入り込んだかのような気がした。オーランド・ブルームが白馬に乗って突然現れても、全く違和感は無い。

たぶん、ここにはエルフが住んでいる。

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私たち以外にそこにいた人々は、馬を連れて山を越える人々のみだった。観光客はいない。

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どこまでも広がる美しい風景をゆっくりと眺めながら歩き続け、最終的に6つまでの湖を制覇した。7つ目までは辿り着けなかった。

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私には、それでも十分だった。

光輝く美しい風景は十分に目に焼き付いていた。

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夜7時に帰路に着いた。足はがくがくだった。運動不足を痛感した。

家に辿り着くと、ヴェラが私に、「これ、お土産」と青いTシャツを差し出した。Tシャツには、「リラマウンテンを守ろう」とブルガリア語で記載されているとのことだった。

「私ね、リラマウンテンの自然を守る活動をしてるの。リラマウンテンの周りに、何も人口的な物ができないようにって。そういう活動。」

あぁ…こういう風に守っている人がいるのか、そして今の所は施設が無いのか、と思った。

商業施設に囲まれた国から来た私には、逆に商業施設が無いことに、ビジネスの機会損失やトイレ等の施設を用意しないことによる問題について、まず考えてしまうのだけれど。

その日までの一日の間に、私が見たヴェラの周りの人々の生活は、とても質素だった。多くは望まない、最低限を確保した生活。

ヴェラにとっては、施設を持って観光客を呼び込むことよりも、自然を守ることの方が優先順位が高い。

そして、山の美しさを見たばかりの私は、その彼女の考え方に深く賛同した。

翌日3日目は、カザンラクという街に向かった。カザンラクは車で3時間程の距離だった。ヴェラとドブリと3人で出発した。

ブルガリアの風景は、新鮮だった。ハイジの世界を思い描いてはいたけれど、首都圏はさすがに結構発展しているのだろう、と想像していた。けれど、ソフィア周辺でさえイメージしていたよりずっと発展途上中で、そして他の国では見たことの無い面白い風景にたくさん出会うことができた。

所々に立つ電柱の天辺には、大きな鳥の巣があることがあった。

巣は、2メートル程あるかもしれない。コウノトリの巣なのだそうだ。ディズニーアニメの世界でならありそうな風景。現実実がなかった。まるで、アニメからコウノトリが絵のまま飛び出してしまったかのような風景だ。

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郊外はどこの街も静かで、舗装された道路にたくさんの穴が開いていた。

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市街地に入ると、社会主義時代を思わせる装飾の無い画一的な建物が連なって並んでいる。

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そして、画一的で地味な建物を背景に、突然派手で品が無く、自己主張が強い色の強い商業広告がぱらぱらと現れる。バランスの取れていない、奇妙な雰囲気を醸し出していた。

街には、人がたくさん歩いている場所がほとんど無かった。

人口密度が低い。

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幹線道路を走りだしたところで、馬に引かれたリヤカーに乗る男性を追い越す。ロマ人ね、とヴェラが言う。

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幹線道路を走っていると、湖が見える場所でヴェラが車を止めた。

「ここで泳ごうよ。」と言う。

「え?」

車を降りると、全員で林に向かった。外は日差しが強く、蒸し暑かった。

全員が体も露わに木陰で水着に着替え、湖に入りそぞろ泳ぎだす。私も生まれて初めて木陰で水着に着替えた。

つま先を湖につける。ひやりと冷たい水に反応して、腕に鳥肌が立つ。なかなか足先から上を入れられない。周りを見渡すと、数メートル先ではしゃぐ友人ら以外、見渡す限り誰も何もいなかった。

ゆっくりと体全体を水に入れ、首まで浸かると、体温が急激に下がっていくのを感じた。眩しい太陽の光が顔に降り注ぐ。

殆ど人のいない、真っさらな自然の中の湖で泳いだことは経験が無かったのだけれど、気持ちがよかった。

ブルガリアでは、動物や自然が身近だった。

私たち人間も、自然の一部だった。

カザンラクは5月、6月はバラが咲き乱れる谷があるらしい。けれど、真夏の今は当たり前だけど全く見ることはできなかった。

カザンラク周辺では、バラの石鹸が有名だということで一つ買ってみると、袋の上からもバラの強い香りをふわりと感じた。

昼食のため、通りがかりのレストランに立ち寄った。

ブルガリア人は、本当に良くヨーグルトを食べる。ヨーグルトの国、というのは本当だった。食事の上にもかけられていたり、飲み物としても出てくる。ヨーグルトドリンクは「アイリャン」というらしい。

郊外に行くと、何を食べてもおいしかった。空気が澄んでいて更に食事がおいしく感じられるのだ。出てきた川魚も新鮮だった。味付けは塩コショウにただレモンの果汁をかけるだけなのだけれども、それがなんともシンプルでおいしい。そしてオリーブ。黒オリーブがおいしくて、食べるのがやめられなくなった。

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カザンラク近辺には「トラキア墳墓」という墳墓がある。推定紀元前3年くらいに作られたとみられるという。

墓は数トンもある石が組み合わされてできていて、石の切り方もまっすぐで正確。どの墓もきちんと南を向いていたという。今は地軸がずれ、完璧な南では無いそうだ。

中ではフレスコ画のレプリカがあり、人間の生活が詳細に描かれていた。色彩豊かで、動物も人も、人の筋肉、洋服のなびき方まで自然に描かれていた。まるでその頃の生活が垣間見えるように。2千年も前に生きていた人間が描く絵とは思えなかった。

その夜は、シプカという街で一泊することになった。

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シプカにはロシア正教の教会がある。

教会の天辺には金色の玉ねぎのような屋根が光っていて、遠くからでも目立った。夕暮れ時にその周辺を散策した。

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ふと、町の中の一件一件の家や門の前に、白黒の、人の写真が小さく掲載された、まるで行方不明者を探すようなA4の紙がたくさん貼られていることに気づいた。

「ねぇ、ヴェラ、これは何?行方不明者?」

「違うよ。死んだ人。死んだ人について周囲に告知してるの。
死んだ人を忘れませんって意志を示してるのよ。
決まった時期に張り紙を家の前に貼るのね、30年後くらいまで。
皆貼るから町中いっぱいなの。」

「え?30年?」

「うん、そうなんだよね。れとの前にもね、他の外国の人に指摘されたことがある。その時初めて気づいたんだよね。ちょっと不気味なのかなって。」

「まぁ面白い文化だよね…。でも生まれた赤ちゃんを報告するとかにしたらもっと明るい感じがするけどね。」

「そっちのほうが前向きだね笑」

どうしてこの風習が始まったんだろう。

誰か、死者をずっと忘れたくなくて、周りの人にも忘れて欲しくなくて、辛くて消化できない気持ちをどうしようもなくて、貼り紙をすることを思いついたのだろうか。そして、同じように感じる人々が追随したんだろうか。

シプカはとても田舎だった。

時間がとてもゆっくりと流れている。

家の外にテーブルや椅子が設置されている家があった。そこでは、昼間から道端で酒を酌み交わしている老齢の人々を多く見かけた。

ヤギや牛がひょこひょこと歩いている。

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町には小さな商店があって、中に入ると、冷凍庫に干からびた鯖やさんまが販売されていた。こんなブルガリアの比較的内陸部でも魚が冷凍で運ばれていることに少々驚いた。

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開けた場所に出ると、真っ黒に日焼けした牛飼いのおじさんが、牛を追っていた。

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シプカで利用した宿泊施設のバスルームに入った瞬間、違和感を感じた。

シャワーがトイレのすぐ横に設置されていて、トイレとシャワーの床が共有なのだ。掃除をするには効率的だと感じたけれど、これは、他の国では見たことが無かった。

シャワーのタンクは小さくて、一人シャワーを浴びる度に1時間程時間を空けなければならなかった。

この時は、これがこの国の標準だったのだろう。東京から来た日本人には、不便だと感じる瞬間がちらほらと出現する。

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あちこちにモニュメントが建っていた。共産主義時代のものや、国家の革命を記念する物なのだという。

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ブルガリア最終日は、昔の生活村エタルとヴェリコ・タルノヴォだった。

朝起きると、ヴェラが朝食の準備をしていた。

パラチンキー。この地域の薄いクレープのようなパンケーキで、私の好物だった。スロバキアでもハンガリーでも、皆パラチンキ―と呼ぶ。

中欧では中にクリームやチーズを入れることが一般的なのだけれど、ブルガリアでは、やっぱりヨーグルトだった。

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エタル村は、シプカからヴェリコ・タルノヴォへ向かう途中にあった。
ひと昔前の人々の生活を再現したテーマパークだ。

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水力を利用した洗濯場では、ものすごい勢いで水が噴き出し、桶の中を巡っていた。水の勢いにヴェラがはしゃぐ。

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日本の大江戸博物館のような印象だ。

脱穀機や、馬車、水車など、日本でも見かけるような、ひと昔前に利用されていた様々な道具が展示されている。

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昔ながらの菓子屋や、土地特有のジュース屋、染物屋、絨毯屋、牛のベル屋など、たくさんの店が軒を連ねていた。

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ヴェラとドブリは、甘いお菓子をいくつか購入して、食べ歩きをしていた。口の周りと鼻に、真っ白な粉砂糖が広がっている。

笑いながら「お砂糖ついてるよ。」と指摘すると、腕で拭っていた。

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「ねぇ、ここトイレあるから行きたいんだけど。ドブリ行く?」と聞くと、ドブリは首を縦にゆるゆると振って、「行かない。(NO)」と言う。

ブルガリア人は、YESの時に首を横に振り、NOの時は首を縦に振る。そして英語で話していても、時にこのジェスチャーは変わらない。

私は困惑しながら、「あー、行かない…ね。」と答えを確約しようとした。「ダー(YES)」と言うドブリは、今度は首を横に振り、にんまりと笑った。わざと私を困惑させようとしている。

多数の国では、肯定する時に首を縦に振るのが一般的だけれど、それは何故なんだろう。

私の行ったことがある国の中で、肯定する時に首を横に振るのは、ブルガリアだけだった。

「ダー(YES)」と言いながら、首をゆらゆらと横振りするブルガリアの人々を見る度に不思議な感じがした。

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エタルを出発し、ヴェリコ・タルノヴォに向かう。

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幹線道路で、牛が横切るのを待つために車が止まることがよくあった。

ここでは、車両よりも放牧されている家畜達の方が、道路での優先順位が高いようだ。

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遠くから見えるヴェリコ・タルノヴォは、まるでカラフルなおもちゃでできた街のように見えた。レゴを山の斜面に張り付けたような、そんな風景だった。

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街を少し歩く。グルコ通りという通りからは、丘の斜面に立ち並ぶ可愛らしい建物を良く見渡すことができた。

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昼食を、アルバナスィという町で食べた。

ブルガリアで定番のミックスサラダ、「ショプスカサラダ」、そしてミンチ肉の串焼きのような「ケバプチェ」、にんにくの効いた冷たいスープ、「タラトールスープ」を注文する。にんにくスープは、かなりにんにくを強く感じるパンチの効いた香り豊かなスープだった。ケバプチェを食べて、ブルガリアが中東の食文化を強く受けていることを始めて知った。

ここでも全ての食事が新鮮で、本当においしかった。

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午後は、アセノヴァ地区のツァレヴェッツという高い丘へ向かう。
観光スポットのようで、大勢の外国人を見かけた。丘の天辺には大主教教会が建っていた。

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教会は、内部に入ることができる。中には、ブルガリアが辿ってきた苦難の歴史が描かれていた。モダンで力強い線で描かれていた。悲痛な声が聞こえてきそうな、見ているだけで悲しみが伝わるような痛々しい絵の数々だった。

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夕暮れになり、ソフィアに戻るために車に乗り込む。

遊び疲れた私は、車に乗り込んだ途端に眠り込んでしまった。

ソフィアに戻ると、以前スロバキアに会いに来てくれたもう一人の友人が会いに来てくれた。改めて全員で再開を喜び、湖でボートに乗る。

到着した時と同じビールを飲み、最後の夜を祝う。

ソフィアの喧騒をバックグラウンドに、ゆっくりと時間が過ぎて行く。

全員で「また地球のどこかで会おうね。」と集合を誓い合った。

アルプスの少女ハイジの世界は、ブルガリアには無かった。スイスでは無いのだから当たり前だけれど、ブルガリアは、ハイジの世界観とは全く違った。

ヨーグルトの国、というのは正解だったけれど。

ブルガリア全体は、「素朴」という言葉がぴったりはまる国だ。

首都ソフィアは、私にとっては、ブルガリアの特別区だった。画一的で社会主義的な、ただ四角いだけの建物が軒を連ね、更に社会主義的で大きくて不自然な建物やモニュメントが突然所々に配置されている。そして、その背景の上に突然持ち込まれた商業主義が、可能な限り派手に、あまり上品とは言えない大きな看板を掲げて自己主張をしている。全てが人工的で、何ともしっくりこない、奇妙な風景の都市だった。

そして、郊外。まるで違う国だ。全てが全く違う。人間は自然の中に生きていて、人工的な物はどこも最小限だった。人間が、まだ自然に溶け込んでいた。

現地の人々は、多少の不便があっても便利さを追求していない生活をしていることが少し滞在するだけで十分伝わった。これは、社会主義だったからなのか、それとも元々そういう国民性なのかは分からないけれど、私たち日本人とは自然への向き合い方と便利さを追求する視点が絶対的に違う。

ビジネスは、顧客の視点を追求する視点が最低限だった。これは、他の元社会主義国と同じだ。この時代に、資本主義が根強く、おもてなし文化を持ち、ビジネスに改善を重ねてきた日本人とは対極的。そんな最低限を目指すブルガリアで、日本人が顧客視点で満足できることはなかなか無いだろう。私の友人が経験したことが何故起こったか、納得した。現地の人には、顧客視点が皆無だ。望まないのだから、理解できない。

ブルガリア人の大多数は、自然の一部に溶け込んでいた。便利さを追求して、生活の利便性を向上させることは、優先順位が高くない。

施設も何も無い、美しい湖で人知れず泳ぐことのできる環境を、施設のあるプールよりもずっと愛している。

でも、きっと変わっていく。

資本主義が根付いたら、きっと、私の見たブルガリアは、少しずつ変わっていく。

ずっと、忘れないでいたいと思う。私が見たブルガリア。

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こんにちは、れとです。

この話は、2008年に旅したブルガリアの日記を元に再構成しています。

気づけば10年経っていました。

もう今は随分と変わっているだろうなと思います。昨年は近くに住んでいたのに、結局行けず仕舞いでした。そうこうしているうちにコロナウィルスの蔓延。

またいつか、旅行が解禁になったら、行ってみたいと思います。

自然が美しい、ブルガリア。

ブログでもご紹介しています。

こちらの記事をどうぞ。↓

【地元民とめぐるブルガリアの観光スポット】リラ・マウンテン他、一押しの観光地をチェック!

写真:Photo by Deniz Fuchidzhiev on Unsplash

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