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ほんのしばらく、あなたの隣に居させてください #なりたい自分

昨年2023年の年始「今年やりたいことリスト」に、長年興味のあった「カウンセリングの勉強」と書きました。つもりでした。

ところが、今確認して見たところ、50個も書いているのに、どこにも書いてありません。あれ?記憶違いかなと考えてみたのです。

17番目「新しいことをひとつしてみる」

この新しいこと、を探しているときに、「長年興味があった」カウンセリングを選んだんだと思い出しました。

思い立ったが吉日、驚くほど迅速にカウンセリングの勉強を始めました。1月後半のことです。3月に渡英することが決まっていたので、それまでに一気に一つのコースを終えて、次のコースの教材はすべてスーツケースに入れて、かなりのハイペースで学びを深め、昨夏、二つの資格を習得しました。いつもの私をご存知の方からしたら、豹変した(黒豹に)のかと思うほどの素早さだったと思います。

勉強を始めてすぐに、とても大切なことに気づきました。

この勉強は、氷山の一角すぎる、ということに。氷山の一角も一角、アイスティーの氷のかけらくらいの規模であることに。

(勝手に中略)

それからのことです。

ボランティアで誰かに寄り添うということ

実務経験のない私は、まずはボランティアとして誰かの話を聞く、ということを選びました。人生五十年も生きていると、それなりにいろんなことを経験して、自分でもいろんなことを感じてきましたから、何かの役に立つはずです。

ところで家族や知人とはカウンセリングはできません。知りすぎていて、お互いが先入観を持ってしまうためです。ですから、知り合いで練習させてもらうのはできないんです。

折よく話が進んで8月末にはボランティアとしての活動を始めることになりました。よく考えてからでないと言葉を発することのできない私は通話ではなく、メールでの相談という道を選びました。しっかり考えて、プランも立てながら進めることができるからです。

そこで気づいたのは、最低限の知識は必要である、ということ。ここに学んだことは生かされました。相手との距離の取り方や、傾聴ということの本来の意味、そして、誰かを受け入れるということ、そういった知識は最低限必要であること、それを体感しました。今も、オンライン講座などで学び続け知識を増やしている途中です。

同時に、私自身がありのままでいれば大丈夫だということ。誰かの話を聞いて、心が受け取るだけ、誰かのありのままを受け取るには自分もありのままでいればいいんだということでした。

本当の話をしよう

通常、カウンセリングは、週に1度くらいのペースで進めていきます。メールでの相談となると、必要な場合は1日に何往復もしますから、ペースはかなり速くなります。それでも、今必要としている人に手を伸ばすことができる、という実感はとてもありました。

初めの相談内容は悩みの本質ではないことがあります。お話を聞いていて、信頼関係が深まっていくと、多くの方は本当に辛いことを伝えはじめます。本当に話したいことです。その時、相談する方は肩の荷を少し下ろします。ようやく本当の話をし始められたからです。もちろんそこまで進めるというのも本人の力です。誰かを信頼して、勇気を出して、本当に苦しんでいることを話すというのはとても大きな一歩です。それが話せる、というのは、自分が何に本当は傷ついていたのかをご自分が認識したということなのですから。

待つこと、それが私にできることです。本当の話が始まったからといって、アドバイスはしませんし、意見もしません。ただ聞いていくだけです。相談者さんが右と言ったら右を向きます。りんごを見てこれはバナナだと言ったら、私もバナナだと思います。そんなことをしているだけなんです。けれど、本当の話を始めると、驚くくらい、みなさん自分の力でその先に進んでいかれます。いつもその力に驚かされています。

何度でも思うこと

ボランティアを始めて、9ヶ月がたって、顔は知らない、本名も知らない、けれど、縁あってしばらくの間寄り添い、応援してきた方達のことが、鮮明に浮かんできます。年齢層もさまざまで、悩みもさまざまです。けれど、必ず、その誰もに対して、一度は必ず思うことがあります。「今、あなたの隣にいてあげたい」ということです。

辛さ、というのは、本当に個人的なものです。ひとつ辛さを抱えて終わりではなくて、降ってくる雪のように、しんしんと積もっていきます。根雪になってしまうことも多いし、かと思えば、ふとした瞬間にスッと溶け出すこともあります。

辛さの重みに耐えかねてどうしようもなくなる時間、助けて、という声が聞こえるような瞬間があります。何もできないけれど、あなたの隣にいるよ、と伝え続けてきました。他にはできないんです。とても残念なことですけれど。一つだけできるのは、ここにいること、だけなんですよね。

ありがとうが増えていく

カウンセリングは、カウンセラーから近づいていくというよりは、そこにいて、相談者の方が近づいてくるのを待っている、そんなふうに進んでいきます。そうしているうちに少しづつ「ごめんなさい」ではなくて、「ありがとう」が増えていきます。ありがとうって言えることってすごく元気になれることなんだなと感じます。

ありがとう、が出てきたら、その人の心は再生を始めています。人の力ってすごいなと思うんですよ。

ボランティアだからできること、というのもあります。無料だから思いの丈を存分に話すことができるし、私も無料だから相手への金銭的負担を考えずに十分にお返事をすることができます。そうして受け取るありがとうはあたたかく私を包んでくれます。

長い案件の終わりに思うこと

二週間ほどでさっと元気を取り戻されて、一人でも大丈夫です、と歩いて行かれる方がいる一方で、最長6か月、お話を続けた方もいました。最終的には、当初設定したゴールに到達されて、送り出すことができました。きっと今も悩み苦しみながら毎日を過ごしているでしょう。けれど、同じように喜んだり幸せだったりもしていると信じられます。

人は悩みが深いと、気持ちの上で、行ったり来たりします。良い方向に向かって歩き始め、気持ちも上向いた時間があると思えば、急に不安になって、止まってしまう。止まってしまうと、ここまでせっかくきたのに、ととても悲しくなってしまう。しばらく休んでまた歩き出す。ご本人は行ったり来たり、前進したり後退したり、と感じていますが、私から見ると、ちゃんと前に進めているんですよね。

止まって休んでいるような時でも、「止まる」という前進をしています。落ち込んだり苦しんだりしている時も、「落ち込む」という前進(とあえて言います)を続けています。ゆっくりでいいんですよ。大丈夫なんですよ。

みんなすごく真面目で、一生懸命で、本当に愛おしいです。

氷山の一角から未来へ

氷山の一角も一角、アイスティーに浮かぶの氷のかけらから始まったカウンセリング、と言えるかどうかわからない、それでも確かに誰かの隣にしばらく一緒に座っていた時間を積み重ねてきた今、これからどんなカウンセラーでありたいかと考えてみました。

今は、父を亡くし見送り、グリーフケアについても学んでいこうと考えています。これも父が私の残してくれたものの一つです。

人は経験を元に、誰かの悲しみや辛さに寄り添います。想像力をフル回転して、時には自分も痛いほどに悲しみを感じます。けれど、そこにしっかりと線を引いていないと、カウンセリングはできません。そうは言っても、私はやっぱりその悲しみの深さに泣いてしまうこともあるし、過酷な背景に一晩中その人のことを考えることもあります。その人が見つけた答えに感動して泣いてしまうことも度々です。プロフェッショナルとは言えない部分です。でも思います。ご飯を食べたり笑ったりしながら「本当に痛いのは悲しいのは私ではないんだ」と。私にできることはその人の氷を溶かすことでもなく、温めることでもないんです。ただ助けてください、そばにいて話を聞いてください、と言われた時に、その人自身の力が少し湧いてくるまで傍に寄り添うことだけです。氷を溶かすのも温まるのも、本人だけができることです。

五年後も十年後もこのスタンスはずっと変わらないはず、変わりたくないなと思っています。けれど、私も一年づつ経験を重ね、同時に自分の人生を重ねて、想像力はずっと豊かに深くなっていたいし、そうなっていくことで、吹雪の中を一人で歩いているような相談者の方の隣を「寒いよね」と言いながら一緒に歩くことができるような気がしています。


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