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だから、手のひらにのせてみる #シロクマ文芸部(エッセイ)

最後の日、そう、今年最後の日だから

今、私が持っているものをひとつづつ手のひらに乗せて、眺めてみます。不思議なことに、ひとつ見つけると、あら、こっちにもあっちにもとキリがありません。だから、五つだけ、と決めました。

 記憶をちょっとだけ遡れば、そこには「何も持っていないかも」と怯えていた自分が膝を抱えているような気がします。不思議なことに、今は随分とたくさんのものを持っていると思っているのです。でもその時持っていたものと、今持っているものにそんなに違いもないんですよね。

ソノイチ、暖かい生活がある

 外が悪天候のたびに思います。たとえば傘を差して駅から自宅に向かっている時、国道を走る車の立てた水飛沫を浴びてびしょびしょになった冬の日、その先に家があり、乾いたタオルがあることがなんて幸せなんだろうって。寒くたって乾いた洋服を何枚も重ねて、もこもこになればいいのです。屋根があり電気のあり布団がある暮らしがあることは、とてもありがたいことで、私が持っているものの中でも大きなものです。

 さらにありがたいことに家族がいます。もちろん、家族がいるからこそ、面倒くさいこともあるし、手に余ることもあります。大好きな娘りすちゃんやトラオさんがもたらしてくれた喜びは、人生の中でも贈り物だと思っています。同時にたくさん心配だってしますけれど、それもまた然り。何より、温かい気持ちが沸々と湧いてくるのですから。家族もまた暖かい生活を作ってくれています。

ソノニ、自分の世界がある

 自分の好きなものがあるってなんて素敵なことなんでしょう。それって自分の世界があるっていうことですものね。私はこれが好き!って言えること、しかも正々堂々と。手仕事も、こうして文章を書くことも、詩を書くことも。花を眺めたり、小鳥の声を聴いたり、美味しいケーキを食べたり。自分の持っている五感の全てを手のひらに乗せてみると、なんて幸せなことなんでしょう。

 もちろん才能豊かな人が羨ましいなと感じたり、もっとこうだったらいいのに、と思うことは私にだってありますとも。胸を張って「これが私です!」と言えるほどにはまだ達観していないけれど、それでも「これが私の好きなものです!」と言えることのなんたる幸せでしょうか。

 本を読んで感動して泣けること、時間を忘れて編み物をすること、気がついたら妄想の世界で楽しんでいること、どれもこれも自分の世界があることにつながっていきます。

ソノサン、心の通う友人がいる

 noteで出会ったお友達の方達、みなさんとの日々の交流は私の持っているものの中でも特筆すべきものです。ここで生まれたものは計り知れません。実際にお会いした方も、そうでない方も、みなさん「創作が好き」という強い絆で結ばれていますよね。それぞれが自分自身を一生懸命生きていることを感じることが大きな力となっています。不思議なことに、心が通っている、って素直に信じられるんですよね。仲間がいるんだなって、それってありがたいなって。手のひらにのせたらキラキラ光っています。

 詩人仲間もそうですね。宝物だと思います。好きなものを共有するってやっぱりとってもすごいことなんですよね。

 実際の生活圏内での友人たちも(私はあまりベッタリ仲良しという方は多くないんですが)折に触れ、暖かさをくれます。

 友達って思える人がいること、それが本当に幸せです。

ソノヨン、最低限のお金がある

 お金ってやっぱりなきゃ困るものですよね。決してお金持ちではありませんし、空からお金が降ってきたり、畳の下から埋蔵金が出てきたりしない限り、今後も裕福だと言えるようにはなりません。宝くじは買わないので当たらないしね。ではお金ないかといえば、とりあえず最低限はあります。いや、携帯持っていて、ミギレイにしていられて、お腹も空かせていないから、最低限とは言えないですよね。贅沢はできないし、贅沢はしないけれど、ごく当たり前に生きられるお金が手元にある、ということですから、これは持っているもの、ということができます。

 何度も書いちゃいますが、お金ってやっぱりなきゃ困りますよね。困っている人、どうしようもない人が世界中にはたくさんいます。「最低限のお金がある」ってみんなが思える社会の実現が叶うといいと切に願っています。

ソノゴ、結局何より今がある

 色々自分が持っているものを考えるとキリがありません。結局、今、があります。いつだって今の連続です。辛い今のこともあるけれど、それでも次の今も辛いとは限りません。今を持っていると同時に、変化も持っています。それが喜びであろうと苦しみであろうと、刻々と変わっていきます。時の流れって自分の外にあって、どうにも抗えない、と思い続けてきました。実際そうなのでしょうね。でも最近では、時の流れって自分の中にあるのかもしれないと思うようになりました。じっと我慢して時が過ぎるのを待つ時も、外を流れていく時間を待っているのような気になっていましたが、実は、自分の中で時間は流れています。何当たり前のことを、とも思いますが、自覚してなかったのが本当のところです。

 自分の持っているものを手のひらにのせていってみると、今、の存在を大きく感じて、これも自分が選んできたものの結果なのかなと気づきます。私もあなたも誰も彼も、抗えない現実の中でも、本当は選べるんですよね。今、を。

 同時に戦火に追われる人たちのことを思います。ある国の政府は「市民を守るために」という理由で難民たちに爆弾を投下します。小さな人たちも赤ちゃんも非力な老人たちも「今」を選べないまま命を落としています。

結局、手のひらの上にあるものは

 こうしていろんなことに思いを馳せてみると、私の手のひらの上にあるものは、結局小さな愛、です。私自身という。私自身を持っているっていうこと。

 小牧部長、今年一年どうもありがとうございました。
シロクマ部員として楽しませていただいた毎週、感謝しかありません。シロクマ文芸部はいつも小さなチャレンジだった気がします。今回は、「最後の日」というお題で、エッセイを書けたのもありがたかったです。

 トラオママの骨折で、シロクマ文芸部がなかったら宙ぶらりんに今年を締めくくることになりましたが、おかげさまでこうして締めくくりができました。今年の年初に「今年したい50のこと」って考えたんですが、それを振り返りながら、来年またしたいことを考えようと思っています。

 まだ大晦日じゃありませんが、ちょっとだけ早いご挨拶をさせてくださいね。

 トラオママと猫の手marmaladeはえっちらおっちらやっております。応援してくださった方たち、どうもありがとうございます。イギリスでの介護体験は色々と驚きの連続ですが、もうしばらくしたら落ち着きそうな目処も立ってきたので、猫の手として奮闘したいと思っています。

 みなさまどうぞ良いお年をお迎えくださいね。

 そして、今年一年、本当にどうもありがとうございました♡来年もよろしくお願いいたします。

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