和菓子屋「月兎耳」にて〜初名草 #シロクマ文芸部
梅の花の枝ぶりはあまりにも清廉で、初名は背筋をすっと伸ばしました。早朝の通勤バスの中、連日の残業続きで、少しでも気を許すと口が勝手にぽっかりと開いてしまいそうでした。いけないいけないと、窓の外にふと目を向けると、きんと冷えた真冬の空気へ、凛とした姿で手を伸ばす梅が咲いています。
「桜よりも桃よりも、梅が好きかもしれない、ちょっと身贔屓かもね」初名の独り言は満員のバスの中に何事もなかったかのように消えていきました。
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ここは「月兎耳」
とある街角で店主の月子さんが一人で営んでいる和菓子屋です。今日もバイトのたま子さんがお店番をしています。
からんからんっと女性のお客様がいらっしゃいました。少し疲れた顔をしていますが、毎週金曜日の夕方にやってくる常連さんです。ここ二週間ほどお見えにならずちょっと心配していた月子さんとたま子さんでしたが、そんなことはおくびにも出さず、にっこりと出迎えました。
お客様は花瓶にいけられた梅の枝を見て、びっくりしています。
「これ、梅ですよね?いろんな色の花が咲いているんですね」
たま子さんがにっこりと答えます。
「梅なんですけれど、輪違いという種類なんですよ。一本の木ですけれど、白い梅も赤い梅も、それから、白に紅をさらりと流したような半染めも咲く不思議な梅なんですって。」
ふっくらとまあるく咲いたその八重の繊細な花びらをひとしきり眺めた後、菓子棚に目を走らせた女性はまたびっくりしています。
「初名草っていうお菓子があるんですね!私、実は、はつな、っていうんです。」
のれんをくぐって月子さんが音もなく猫のようにやってきました。
「あら、はつなさんってお名前なんですか。2月生まれなのかしら。今月の練り切りは初名草なんですよ。この輪違いがモデルなんです。白にぼかしたほんのりとしたピンクが我ながら気に入ってるんです。それにね、全部手加減で作っているので、色合いはひとつひとつ全部違うんですよ。」
「この初名草をひとつと月の耳をひとつ、お願いします。」
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金曜日の夜は初名のご褒美の時間です。先週も先々週もとうとう残業が終わらず、その時間も過ごすことができませんでしたが、今週はこうして、梅の形をした練り切りを皿に盛り、ゆっくりと煎茶を入れました。柔らかく丸い味のお茶がとろんと体に沁み込んでいきます。竹ようじで初名草という名のお菓子を少し口にします。
「輪違いってね、別名、思いのままに、っていうんですよ。」
という月兎耳店主の言葉を思い出しながら。甘く優しい思い出が溶けていきます。
あの時は黙っていたけれど、初名は4月生まれです。名付けてくれた祖父の初恋の人の名前が「梅」さんだったのです。祖母の手前、まさか梅子と名付けるのも憚られて、初名草にちなんで初名と名付けたのだと祖父がそっと教えてくれました。家族はみんな「初めての孫につけた名前だから」だと思っていることになっています。祖父母は長年仲良く連れ添って3年前に追いかけるようにして逝ってしまいました。お互いを大切に暮らしていましたが、そんなささやかな秘密を持っていたのです。
「初名ちゃん、あなたは思いのままにいきなさい」
これはやっぱり初恋の人「好文」さんをこっそりと思い出して、「秘密よ」話してくれた祖母の言葉です。梅は「好文木」という別名も持っているのです。俳句を趣味としていた祖母は初名草のことにも気づいていたに違いありません。
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小牧部長、今週もよろしくお願いします。
和菓子が好きです。和菓子への愛を綴ったエッセイを書こうと思いつつ、写真が集まらずお蔵入りになっています。日本に帰ったら絶対書こうと思っております。
来週より、3つの引越しが重なります。のんびりやの私でも、流石に落ち着きませんが、隙間時間を見つけて、noteで癒しの時間を過ごしますね。
月兎耳、の話はこちらが始まりでした。
久々に登場。
最近、「和菓子のアン」をやっと読みました。なんて美味しそうな本なんでしょう。
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