厭世の夕暮

厭世の夕暮

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忌々しい喋舌り

書いてみた擬似文章です。書けねえ、と悩んでる方は試してください。これで小説を書いてみてはいかがでしょう。 俺の場合はなんだったかな、口語体がやっぱ書きやすいわ。あれだな、忌々しいやり方が自分に合ってたわ。自分の理想に合わないからといって避けようとしないことだな。 なんか、自分の心で発音してから書いてる感じがするわ。文字に書いて写しとってる感じだな。 だからこだわりを持たないことだな。理想にぶら下がっていてもしょうがねえわ。 それで、堕落っていうのは妙薬だな。坂口安吾は何を

    • ユーモアについて

      ユーモアは描写である、イメージである…… 試みに風となった風博士とその同時にインフルエンザに犯された蛸博士についていえば、実際のところ人の心のうちにイメージをかき立てるではないか……それも鮮烈である。 だから、ユーモアは描写をその本質としているのである。 イメージなきユーモアなど想像してみよ、そんなものはどこにあるか。 私が小説の一場面を読んでいるとき、無心にもせせら笑ってしまう箇所がある。作者はそんなことは考えず、至って大マジメに書いてあるのであろうが、……私にとっ

      • 錯誤について

        薄々気づいていたが、私は生命の側から物事をとらえるのは得意ではないようだ。 さて、正直なものは、長くは続かない。真実は覆い隠されるものである。私の思想はあくまで公正であり、義である、だから、未だに挫折しているし、未熟者なんだろうと思う。 私の思考は論証とは合わないようだ。論証とは似合わない。証明は予見的である。それに対して、私の性分はたいてい乱脈を極めた思いつきから始まり、それが段階的に連鎖していくと、その間に"文脈"を付与する。ある程度の方向は定めているが、私の思考は"

        • 無心に書くといふこと

          無心に書くといふこと 無心に書いた文章は、精神的尖鋭さを確保し得る点であらゆる黙殺に勝利してゐると感じる。 また、無心に書くといふことは邪念で書くといふことである。しかし、奇跡はいつも純粋である。私が書くとつねにあらゆる社会性といふサタンに敗北してゐる。私はこの奇跡を目撃している点で恐縮する必要がある。書くといふことがモラルとの闘いである。生活との闘いである。この点で非常に不便極まつてをり、有用性において大いに遜色があり、私は最後まで敗北しなければならない。この点で私はア

        忌々しい喋舌り

          気迷い

          日頃からの寂寥感を綴ろうかと思った。書き手の随想を書き記した形式がエッセイだと聞いたからだ。それでも無理やり書いたとしても倦厭と疲弊のために急速に停滞するだろうから不本意にも短文を書き綴るしかないのかもしれない。私はこれ以上乱雑な内容を放出したいとは決して願わないだろう。私のあまり鋭くはない精神がセンスのある内容ですらっと書き出すことを許さない限りは。 何を書けばいいのかわからなくてただ虚しさが心の中にぐるぐると廻った。ただ知識の枯渇がそういう意味のない気迷いを生み出してい