忌々しい喋舌り

書いてみた擬似文章です。書けねえ、と悩んでる方は試してください。これで小説を書いてみてはいかがでしょう。



俺の場合はなんだったかな、口語体がやっぱ書きやすいわ。あれだな、忌々しいやり方が自分に合ってたわ。自分の理想に合わないからといって避けようとしないことだな。

なんか、自分の心で発音してから書いてる感じがするわ。文字に書いて写しとってる感じだな。
だからこだわりを持たないことだな。理想にぶら下がっていてもしょうがねえわ。
それで、堕落っていうのは妙薬だな。坂口安吾は何をどう弾劾しようとしてたのか。

だから、あれだな、文章の場合は文語体みたく型があるわけですよ、それが枷になって私にかかってですよ、無機質な音しか聞こえないわけですね、読んでみても、生きた心地がしない、死文ですよ。
だから、饒舌とかいうのがよく効いてくる妙薬だな。あれ無駄な部分が多いのだが、それで自然な音調が形成されてくわけだ。

だから、文を能くするものはあれだな。昔だったら一部の雑誌、漫画のテキスト、現代では動画やSNS、BBSである。ああいうのは口語調を基調としているので、読んでみて聞こえが良いわけだな。結局、自分の普段通りの音声で話すつもりで、それを写しとってやらないといけないわけだな。
テレビやラジオの台本もある意味能文だな。

あの、坂口安吾が言ってたさ、堕落っていうのは真宗のアレ、悪人とはまた別かもしれねえわ、申し訳ねえ。だって真宗が体制擁護やってたもんな。

だから、文と口と、口で喋るのと、書くのとを分けて考えてはダメだな。どっちも音声というのを否定媒介にしてやるべきで、孤立させてはいけないな。だから、書くのをあまりにも神聖化してたわけだ、俺も含めて、だから、そういう形而上学は速攻、破棄されるべきでな、文字はカミサマでも、ホトケサマでもないのである。

それで、馬鹿な頭だから、気持ちよくなってんだな、頭が悪いからそんなふうにまちがうわけ。

で、何を言うべきか、言っても無駄なことは何か、よく考えてやらねえとダメな、能文の士たるもの、有益な文章書いてやらねえと、だから、ものを言うにもさ、勇気が要るわけだな。

音声を、第一に意識するってのは、つまりリズムを知ると言うことである。今まで書いてきたような、型にハマった、読んでいて気が滅入るようなのは、音調が欠けていたわけだ。

そら、人によっては、口語調を忌み嫌っている方々にとってはさ、こういうのも気が滅入るのかもしれねえけどさ、それ言ったら、台本、漫画、それと現代の新しいテキストですよね、アレ全部否定していくんじゃねえの。

なぜ、戦後になって、口語調が興らなかったのか、非常に怪しいというほかない。文語調から切りかえていくときにさ、もう饒舌ふうに全部済ましてやればよかったんじゃねえの。この文語体というのは、よく考えてみると一種の愚民化ではないかな。
なんというか、祭司の特権的なアイテムになってるね、文章というのが、本来は、民衆に還元されるべきものである、然るに、それが一部のバラモン知識人の私的所有物と化している現状は、かなり怪しいシステムではないか
外人はさ、文章と、口語と、そんな変わりねえかもしれない、しかし、日本語の文章は、あまりにも現実の口語と乖離しており、一種奇怪な死文とさえみなしてよいもので、これが人間が使うべき言葉ではないのは、今になってはじめて気づいた事実である。

さて、言いたいことは、バラモン知識人はいますぐにでも民衆に、その文章という装置をお返しなさるべきである。

再三言うが、文章と、喋舌りとを、音声という概念によって媒介させなければ、言いたいことも言えない文章力しか、身につかない。

なんですか、アレですよ、俺馬鹿だから、わかんなかった、なので、文章力とやらは、口語力、いかに上手に喋れるかと言うことであった、これは気づけなかったのは、この期間、あたかも暗いトンネルの中を、ずうっと長い間さまよっていたような感じである。
安っぽい比喩で、申し訳ねえ。
文章をさ、上手いふうに書いてやろうって、思ってもさ、それをやる手段が明らかに欠けていたので、自分には、書けねえなと、今改めて思う次第です。
だから、物語を書くにもさ、キャラクターたちの、セリフまわしや、描写などは、自分の口から喋ってやらねえと、無理かもしれんですね。

だな、坂口安吾も、書き言葉の要素を、あんなして混ぜてやってたよって、言ってやんねえとですね。

自分は、愚か者なんで、知者の振る舞いをせずして、ですよ、バカのやり方で書いてやんねえと、無理ですよ、そら。
書けねえやつは、無学か、愚か者なんで、愚者の自覚とやらを、持って、意識して、ね、書いてやろうと、思うべきです。

真宗とか、以前に、Common Senseとしてです。愚者の自覚なくして、文学者たりえない。
口語の特徴は、代名詞、助詞、感嘆詞、そして読点の使用が多くなる。これは息継ぎが限界あるからだな。

賢い人は、そのままでいいですよ、問題は、自分が頭いいと、勘違いしてしまった、俺みたいな人間がどうやって文章力つけるか、ということである。

太宰治とか、坂口安吾とかな、饒舌体を使ってるでしょ、俺はもっと悪化させました、
まあ、愚者の自覚とやら、実際頼りになりますね、勉強になりました。
ほんとうに、実際喋ってるように、書くわけ、これ、そのまま使えますし、流行らせて。

これなら、アレですよ、まさに俗人の文章である、偉そうに善人ぶっても何もねえよ、

2022/08/08

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