錯誤について

薄々気づいていたが、私は生命の側から物事をとらえるのは得意ではないようだ。

さて、正直なものは、長くは続かない。真実は覆い隠されるものである。私の思想はあくまで公正であり、義である、だから、未だに挫折しているし、未熟者なんだろうと思う。

私の思考は論証とは合わないようだ。論証とは似合わない。証明は予見的である。それに対して、私の性分はたいてい乱脈を極めた思いつきから始まり、それが段階的に連鎖していくと、その間に"文脈"を付与する。ある程度の方向は定めているが、私の思考は"先が見えない"。これは事実だが、私は巨悪かもしれない。

調子が良くない時は、たいてい正確性に対して恐れを抱いている。そういう時はひたすら終わりのない"事実"を求めてみじめに袋小路に入っている。こういう観念はあらゆる錯誤を無視するちょっとした態度から起こるのだろう。この種の態度はストイックで自罰的でありながら、不正である。

あらゆる錯誤の存在をみつめると、文章もよく書けるようになる。文章が書けなくて困っている人は自分の錯誤を無視しないことから始めてみてはどうだろうか。

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