「おその惣助物語」三話「惣助の病」(江戸恋愛小説)





六月。畑も出来上がり、家の夏窓を開けた頃である。惣助の家は土間の上に柱が何本かあり、天井は縄で組んだ木で骨組みを造って、茅を縛りつけただけの、なんということはない農家であった。窓には障子は無いので、そこから春夏は風が吹き込んで過ごしやすい。

しかし、もう日差しも強くなってきたある日のことだった。惣助は笠を忘れて畑に行き、たっぷりと日に当たってくたびれたところへ、畑からの帰りに少々雨に降られた。体が冷えてしまったが、「少しくらい」と思って我慢してそのまま眠ってしまったので、起きてから大層な熱に苦しむことになってしまったのだ。


もちろん女房子供はおらず、家には他の誰も居ないため、惣助は一人、床の中でウンウン唸っていた。数日そうしているうちに腹はへるし、どんどん具合が悪くなる。村の者は「しばらく惣助さんを見かけねえけんども」と心配を始め、惣助が寄り合いにも来なかったので家を訪ねた。すると、ほとんど死にかけた様子の惣助が布団の中でぐったりとしていたので、慌てて医者に見せ、庄屋が惣助の家にも来た。


この村の庄屋はとても優しく、お上へも度々村人の貧しさを訴えて年貢の減免を願い出たりしていたので、村人から大層慕われていた。その日も庄屋の三右衛門は、村で年寄りが騒いでいるのを聴きつけ、わざわざ自分で惣助を見舞いに尋ねた。三右衛門は、供の女中に何やら耳打ちをしてから戸口へ入る。部屋には惣助の看病のために村のお婆があてがってくれた孫娘も居て、ちょうど惣助に水を飲ませていた。


三右衛門が現れ、枕元へ歩いてきたのを見ると、惣助はびっくりして慌てて起き上がろうとする。

「さ、三右衛門様…すまねえだ、おら…」

「ああ、よいよい。起き上がらずとも。病人は寝ていなさい。しようのないことだ」

「そんだども、三右衛門様がきなすってくれたのに、すまねえで…」

「よいよい」

三右衛門は、今一度惣助をなだめて寝かせてから、ふうとため息を吐いた。

「雨に降られたと、爺たちから聞いた。…お前は普段から、あまりものも食わずに畑へ行く。それは“始末”という目で見れば、獲れたものを食いつぶすこともなく、よいことかもしれぬ。しかし、それだから少しのことでそんなに体を壊してしまうのだ。真面目もいいが、もう少し元気をつけなさい。これ、ここへ…」

三右衛門がそう言うと、後ろに居た女中が風呂敷を広げ出す。三右衛門は惣助のそばに居た娘をちょっと見て、「あまり方方で喋るでないぞ」と小声で言った。娘は何事かと、女中が差し出した品を見る。

包みの中には、鯵の干物が三匹と、大きな玉子焼き、それから白米の握り飯が入っていた。

「まあ!」

惣助の傍に居た娘は目を丸くした。庄屋も百姓の身と言えど、古くは武将に仕えた家なども多い。それより一段身分が低い農民にとってみれば、「庄屋様から頂き物をする」というのは、有難いことなのだ。

それに本来なれば、農民が卵や魚を食べることなど、この頃はほとんど無かった。「贅沢」として禁止する藩からの御触書もあったくらいである。だから三右衛門は、「喋るな」と釘を差したのだ。

惣助は普段から、「ええ大根がでったでえ、世話になっとるけえ」と、三右衛門に良い作物をよって寄越したり、賦役の時には二人分も三人分も働いたので、三右衛門は惣助を大事に思っていた。それに、みなしごとなってからただ一人で身を立ててきた惣助を、なんとか気遣ってやりたかったのだ。

もちろん、惣助はすぐには受け取らなかった。

「そんだらことしてもらっちゃ、いやどうも、庄屋さま…」

惣助はそう言って、頂けないと首を振る。その義理の堅い姿に三右衛門はちょっと苦笑した。

「いやいや惣助、受け取ってもらわねば。儂も気が済まんのでな。早く力を付けなさい」

「ありがてえだ、ありがてえだ」

惣助はそう拝んでから包みを受け取った。世話役の娘が惣助に箸を渡す。

惣助は傍に居た娘にも玉子焼きなど分けてやりながら、はぐはぐと包みの中を食べ終え、鯵の干物は二尾残して、包みを元に戻した。

「ごっそになりやんして、こったらもの…あんがとうごぜえます」

まだどこか遠慮がちに三右衛門の顔を覗き込んでいた惣助に、三右衛門はうむと頷く。

「よし。これでよい。早く元気になるのだぞ。娘、お前はきぬ婆の孫のおみつかい?」

「え、庄屋さま」

「そうか、おみつ。惣助を頼んだぞ」

「お任せくだせえ」

「三右衛門さま、ありがとうごぜえますだ」

惣助の礼に、三右衛門は振り向いてにこっと笑っただけで行ってしまった。



数日して惣助はだいぶ体が楽になったので、村の人々から分けてもらった野菜や味噌、豆などを自分で煮たりして、たんと食べて精をつけた。村の人にとっても、よく仕事を手伝ってくれる優しい惣助は大事だったのだ。

そして、惣助は元の通りに畑仕事が出来るようになり、休んでいた分もせっせと働き、なんとか七月の始めには大根の種を撒くことが出来た。




「よーお、惣助でねかぁー。もう起き上がってええんかぁー」

ある夕、惣助が畑から帰る道に出ると、遠くから爺さんが一人歩いてきて、そう言った。

「二郎さんけえ、もうだいぶええだあ。あんがとなあー」

惣助がそう返すと、二郎さんと呼ばれた爺さんは、手に持っていた荷物をごそごそと探り出した。そして何かを取り出して、惣助の元へ走り寄ってくる。

「んじゃあ、これ食えなぁ。おらの肴にしようどしだもんですまねえけんど、甚平屋で買ったでよお」

爺さんが手渡そうとしたのは、小さな椀に入ったすすり団子だった。

「んにゃあ、もうよくなったで、大丈夫だ」

「いんにゃ。おめえ、あの体がそんなにすぐ良くなるわけねえ。もらっとけぇ」

爺さんはちょっと顔を険しくして首を振る。惣助もそれにはもう逆らえず、汁椀を受け取って、礼を言った。

「そうけなぁ、あんがとさん。かえってすまねえだぁ」

「いやいや、おみつに聞いてたで、だいぶ悪ぃってよぉ。そんなのに、おめはおみつが帰ってきでから、二日も経たねえで礼に来たで。家のもんはおどけえたで」

「んだ、ありがたかったで、よぐなったらまず行こうと思って」

「それがよぐねえ。まーた悪くする元だっつうんだ。仕事も、すこっしっつやんなきゃなんねえで」

「はあ、わがったで、あんがとさん」

「じゃ、大事にな」

どうやら惣助に声を掛けたのは、惣助が伏せっていた時分、その世話をしていた「おみつ」という娘の爺様だったらしい。お小言と甚平屋のすすり団子をもらったので、惣助はずっと身を屈めてお辞儀をしていた。



惣助は家に帰ると、薪に火をつけてその上に鍋を乗せ、爺さんからもらった椀の中身をあけた。

汁を温めている間に、たらいに水を汲んで足と手、それから顔を洗う。それを新しい手拭いで拭いてから、焚き火の前に戻ってきて、椀に汁をよそって手を合わせた。

湯気の立ったあつあつの汁はとろりとして、小豆の深い味わいと塩気があり、旨かった。

中にころころと入れられた丸い餅も食べごたえがあり、惣助は食べ終わると嬉しそうに温まった腹をさすって、それからちょっとだけ俯く。


おそのの顔が浮かんだ。おそのはいつも鍋をかき回し、餅を入れて火で温め、それを椀に注いでは客に渡す。そうしてにこっと笑ってくれる。

惣助はまだ、甚平屋で団子一つ食べたことはなかった。狭い土地しか持たない小作人の苦しい身分では、それはとても難しい。


「ありがとうさん…」

惣助は目を潤ませ、それを慌てて拭うと、急いで布団にくるまった。




体を患えば庄屋も食べ物を差し入れ、村の女房たちやその娘が世話をしてくれる。それは惣助が良い働き者だったからである。そんな惣助に、ある日大きな分かれ道が訪れる。でも、本人はそんなこととは知らぬままで、それに惣助にとっては、ああするしか無かったのだ。






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