「おその惣助物語」四話「おそのの婚礼」(江戸恋愛小説)





おそのは、もう年頃である。田舎は特に嫁に行くのが早く、おそのの父母もかなりの年寄りになっていた。

おそのの両親はそのことで気を揉んで、「孫の顔を見るまでに死ねやしないし、店を続けるためにも、おそのに婿を迎えたい。しかしまだおそのの気持ちはどうなのか…」といったように、心配ではあるがおそのには言い出せず、陰で相談をしていた。


ある晩のこと、おそのが厠に行こうと眠い目をこすり廊下を歩いていた時、父母の寝間から声が聴こえてきた。それで気になったおそのは、二人の相談を覗いてしまった。

「もしや商売のことで心配でもあるのでは」と思って、おそのは聞き耳を立てていた。すると、自分に早くも婿をという話だったので、思いもよらなかったことにびっくりして、おそのは戸惑った。

しかしそこは昔の娘のことで、「親の連れてきた相手と結婚するのは当たり前」であった。

おそのは毎日店で大忙しで、想う相手も無く、「それならやはり…なるべく良い方ならば…」と思い、「とっつぁまとかっつぁまがいつ言い出すのか」と、毎日緊張していた。



ある晩のこと、店を閉めて晩飯を食べてから、かっつぁまがおそのを卓に呼び戻した。

「おその、おめに話があるだ」

「え、かっつぁま。なんだで」

母親は神妙な顔をして、それからちょっと気が咎めるように、言葉に迷った。そしてやっぱりと、おそのにこう聞く。

「おめ、好きんなった男なんつうのは、居っか…?」

おそのは首を振った。母親はそれを聞いてちょっと安心したような顔をして、隣に居る父親と顔を見合わせる。その後、父親はおそのにこう言った。

「前にここに来たぁ言うて、おめを気に入った隣村の味噌屋の次男だって言いなさるお方がな、婿養子に来てくんなさる言うだよ」

おそのは「やっぱり」と思って、頑張って顔を引き締め、こくりと頷いた。

「実は、おらたちももうお会いになっただけんど、うんといい方だでぇ、おめも気に入るだよ」

母親もそう言い添えてくれたので、おそのは少しだけ安心した。



仲人は話を持ってきてくれた「トメ」という婆さんと、「喜三郎」という爺さんの夫妻が務めることになり、おそのはその二人に挨拶をした。

トメ婆さんと喜三郎爺さんはにこにこと嬉しそうな顔をして、また、気持ちの置きどころのなさそうなおそのを気遣うように、いろいろと話をしてくれたあとで、こう言った。

「そりゃあ知らんもん同士がめおとになるだで、心配ぇだろうけんども、なぁんも心配ぇするでねえ」

トメさんのその言葉に、おそのは「え、ええ…」と、むしろ緊張したようだった。

「何、婿養子なんつうのは、嫁っこは親元だで、今までどおりに暮らせるだ。それに、向こうは「店の繁盛のために、早く仕事を覚えてえ」と言うてるだ。心配するこどねぇ」

それを聞いておそのも肩の荷が少し降りて、どんな人かと、毎日想像をするようになった。



それから、吉日を選んで婿はおそのの家に来ることになり、ひと月ほど前に婿の家からおそのの家にトメさん夫婦と婿方の荷運び人が来て、祝儀のための金、それから酒樽、おそのの晴れ着に、着物反物、紋付きなどが贈られた。

母親は大喜びで、涙を流しながらおそのに着物を羽織らせてみてやったし、おそのも綺麗な色打掛を纏った自分の姿に、思わずため息を吐いた。

話がまとまったのが秋の初めで、おそのの家では親戚縁者を集めるのに文をしたため、村の年寄りなどにも声を掛けた。そして、婿がおそのの家を訪ねたのは、秋の終わりだった。


高い高い真っ青な空に、ちぎれ雲がふよふよと飛んで、それが強い風に飛ばされていく。日増しに冷たくなる風には侘しさがありながらも、葦や木の葉が風にさらわれて青空へ巻き上がるような、秋らしい良い日であった。


婿は馬を連れ、仲人のトメさん夫婦に案内をされて、おそのの家にやってきた。

おそのの家の母屋では早くからおそのの身支度をしていて、婿が来たとなると、母親は大慌てでおそのの髪を結った。

家に集まっていたおそのの親戚縁者や村の者に婿は挨拶をし、花嫁が出てくるまでもてなしを受けていたが、やがて襖が開き、おそのが姿を現した。


その時のおそのは、自らのここ一番の大舞台に緊張しながらも喜んでいたが、大事な儀式の場とわきまえ、慎みが胸深く湧くままに振舞っていた。

自然と伏し目がちになって微笑んだまま、おそのは部屋の入り口で座って三つ指をつき、頭を下げる。何枚も重ねた着物の上から、色とりどりの刺繍のされた打掛を羽織り、頭には花びらのような簪を指している。おそのが下ろした手首から柔らかな絹地が垂れ、ふわりと畳に広がった。

「お初にお目にかかります。このたびは、ようこそおいでくださいました。わたくしがおそのでございます。ふつつかな者でございますが、どうぞよろしくお願いいたします」

すると、それまで酒を注がれるままに受けていただけの婿も、厳かに正座をして手をつき、おそのと、おそのの父母へ頭を下げた。

「お初にお目にかかります。わたくし、味噌屋「藤兵衛」の次男、染二郎と申します。お話を受けてくださいまして、大変嬉しゅうございます」

その婿が顔を上げてみると、大変ないい男であった。


おそのはそれから婿の染二郎の連れてきた馬に乗り、婿方の家を訪れて、もてなしを受けてから暮れ方に帰ってきた。



さてそれから二人は夫婦となり、仲睦まじく暮らして、日夜おそのや両親を手伝う染二郎のために、おそのや母親はなんでも拵えてやっては、二人とも喜んでいた。

しかし、そこから三月ほどすると、どうも染二郎の様子がおかしくなってきたのだ。


ある頃から染二郎はなんとなく仕事に身が入らなくなり、家を空ける日が多くなった。

初めは「庄屋の三右衛門さんに呼ばれて」だの「トメさんがその後を聞きたがっていて」だのなんだのと言っていたが、大酒を飲んで帰ってくることも増え、しばらくするとそれがのべつのこととなってしまった。

店を継ぐ婿だからとおそのも両親も思って、初めは我慢をしていた。しかし、染二郎は毎日出かけていき、帰ってくるのは夜中で、しかも酔っ払って力任せに戸を叩いたりする。おそのこ母は泣き、父はそれを気にして臥せってしまうようになった。近頃では染二郎は、店の儲けばかりでなく、餅を拵える米代にまで手をつけるようになっていたのだ。


おそのはある日、自分の夫だからと、控えめながらも染二郎に忠告をしようとした。


その日も染二郎は酒に酔って裏の戸をドンドンと叩き、おそのの母はびっくりして飛び起きて、父が唸り出したのを後目に、おそのが戸を開けた。

よろつく染二郎を根間の布団に横たえてやる前におそのは羽織を脱がせてやりながら、「お遊びに出るのは、もうすこっし控えて…」と言いかけた。

すると、おそのが言おうとしたことに染二郎はきっと目を剥いて振り向き、おそのを睨みつけた。

「おけえりなせえませくらい言えねえんか!せっかく婿になってやったっつうに、すこっしありがてえと思え!」


おそのはその時、染二郎から脱がせた羽織を持ったまま、目の前が真っ暗になってしまった。

染二郎は悪いことをしているなんて、これっぽっちも思っていなかったのだ。それから飽きたようにぷいと脇を向いて布団にごろりと横になると、それきり何も言わずに、染二郎は寝てしまった。



おそのはその晩、「自分がいけなかったのだ」と、自分を責めた。なぜと言って、夫がしっかり商売にかかれるように、万事を整えるのも妻の役目と、おそのは両親を見て思っていた。

だからおそのは、染二郎が心得違いをすることになったのは、自分が染二郎可愛さになんでもしてやってしまったからだと思い詰め、気がつくと、辻道にある老いた松の木に縄をくくりつけ、その前に置いた踏み台へと足をかけていた。

とっつぁま、かっつぁま。すまねえだ。

心の中でそうつぶやき、おそのは縄で作った輪を、ぶるぶる震えて止まらない手で掴む。その時だった。


「おそのさん!待つだ!」


暗がりから誰かが小声でそう叫んだ。すると、まるでそれを合図に待っていたように、おそのが踏み台を蹴る。しかしおそのを止めようとした者の方が一歩早かった。おそのは抱きとめられて、おそのの首は縄から外れ、そのまま二人は地面に転がった。




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