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自分の感情がわからなかった頃の話-10代、20代

わたしがどうして自己肯定感を上げるメディアを作ろうと思ったか、自分の半生について話そうと思います。
「話せる半生なんて大したことない」と思う方もいらっしゃるかもしれません。時々辛い描写も含まれます。そういうのが苦手な方はご遠慮ください。

あまりにもひどすぎるエピソードは書きませんが、書ける範囲で自分のことだけ書いていこうと思います。



小さい頃から、学校にも家にも居場所はありませんでした。高校生の時は、帰宅してご飯を食べると自室に閉じこもり、飼い猫と遠く離れた県外にいる恋人だけが、わたしの心のよりどころでした。


いつも、心にもやがかかったような感じで、自分の感情がわかりませんでした。何が起こってもわたしの感情は鈍い反応しか見せませんでした。でも時々ただ生きているのが苦しくなって、辛くて泣きました。


「自分の感情がよくわからない」とはどういうことかというと、世界がぼんやりとぶあついフィルターをかけたように見えるのです。
周囲に対する反応も鈍く、自分のことで精一杯でした。

親しくなった女の子たちから、「周りのことなんか気にしないで、自分のことは自分で決めていいんだよ」と何度も言われていました。ですが、彼女たちが何について言っているのかさっぱりわかりませんでした

(自分のことを自分で決めていないってどういうこと?)と思っていました。


当時のわたしは自己肯定感がすごく低く、生きてていいのかさえよくわからなかったです。自分が生きていることは罪だと思っていて、しょっちゅう「もう死にたい」と思ってひとりで泣いていました。


その「死にたい」という気持ちは「生きたい、生き延びたい」という気持ちにつながっていることを当時のわたしは認識していませんでした。死ねば全て解決する、だから死にたいのだ、とだけ思っていました。


紆余曲折あっていろんなセミナーやワークショップに参加して、ようやく自己肯定感が人並みになったいま、振り返ると、あの頃の自分を抱きしめてあげたいです。


親のせいにするわけではありませんが、子供のコミュニケーション能力は基本的に親以上に高くならないといわれています。
でも、わたしみたいにコミュニケーションのトレーニングをすると、後天的にでもコミュニケーション能力は高くなります。

この事実は、わたしにとって希望でした。

いま「自分はコミュ障だから」と悩んでる人たちも、ワークショップなどでトレーニングすれば、コミュニケーション能力は高まるのです。

そういうトレーニングも「それいゆ」では行っていきたいと思っています。

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