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【市役所職員が思う】「歴史ある建物だから残して欲しい」について

どこの自治体にも共通することなのかもしれないけど、
歴史ある古い建物を残して欲しいと行政に言う人がたまにいます。

私も古い建物についての愛着は、ノスタルジックな心情に響き、とてもよくわかります。
古民家カフェ、古民家リノベホテル、大好きです。

ここにしかない、
年月を経ることでしかたどりつかない風情のある建物。
「ここにしかない」とは、価値であり、地方創生の核にもなる考え方です。


形ある物は、

風化し、時の流れと共に劣化します。
平家物語の時代から言われています。
ひとえに風の前の塵に同じです。

形ある物を残そうとすれば、使い続けることが必要です。

使い続けるとは、

特に、日本の気候、木や紙をつかっている構造を考慮すると、
メンテナンスは特に重要です。
盛者必衰の理です。
鉄筋コンクリートも、お墓などを含む石造りの物でも劣化します。

最も有効なメンテナンスが、「使い続ける」ことです。

実感として、空き家になったり、使わなくなれば、建物はすぐに風化し、劣化を始めます。

メンテナンスとは「使い続ける」ことです。

気がついたら雨漏りをしていた。
気がついたら床が抜けていた。
気がついたらシロアリがきていた。
気がついたら傾いていた。

早めに気がつき、早急に手当することが、建物を残すためにとても重要です。
屋根瓦が落ちて初めて気づくようでは、遅いのです。

人の身体と同じです。
毎日の生活習慣と早期発見が健康ご長寿の秘訣です。

古民家をリノベした知人たちは、毎日のように、手入れし、ため息交じりに修繕しています。


「残して欲しい」よりも「使いたい」

結論から言うと、「残して欲しい」という発言自体が、もうすでに建物は使われておらず、残すためのメンテナンスを続けることはほぼ不可能だと感じます。

ましてや、それを持ち主が言うのではなく、
持ち主ではない人が、行政に向けて言うのは、いかがでしょうか。

もちろん、持ち主が行政に言うのも摩訶不思議ですが、せめて、「使いたい」と言ってほしいところです。


ある建物を残そうとする市民活動

ある建物を残そうとする人たちが、行政に対して小さな運動を起こしています。各地にそんな動きが大なり小なりあるのではないかと思います。
私の勤める市役所では、まだその動きは大きくありませんが、
隣の市役所では、もう使われていない、築100年くらいの公共施設だった建物に対して市民運動があります。
知人が何人か加わっています。

結論として、
行政としては、納税者、市民がそれを選択するのであれば、その建物を残すでしょう。
そこに行き着けば、
「使い続けたい」「残したい」という人だけではなく、「残したくない」という人にも、負担が返ってきます。
黙っている納税者も、それなら「使い続けたい」「残したい」と納得できることが大切だと思います。
今、残そうと決めたとして、
後年の納税者も「使い続けたい」「残したい」と思うためには、せめて今、使うべきでしょう。
祇園精舎の鐘の声が響きます。

どう使うか、クールな頭で考えよう

残そうとする情緒的な行動、熱いハートはいいと思います。

物価高騰、燃料高騰、円安、少子高齢化。
社会全体がこれらの課題にタフに対応していかければならないときに、クールな頭で、どう「使い続ける」か、よく考えて欲しいと思います。

大多数の人が、ピカピカの新築住宅、
できたばかりの高層マンション、
複数のカーポート、車での移動、
電化製品、ルンバ、エアコン、
省エネ、カーボンニュートラル、
高断熱、バリアフリーな条件を好みながら、
古い歴史的な建物を、
今使っていないのに、どう「使い続ける」のか。

「だから、行政で使ってよ」って投げないでください。
行政がどう使えばいいかくらいは考えてください。
行政もあなたです。財源もあなたの大切なお財布です。


最後に

古い、風情のある建物を活用し、残すことができている人(地域)もあります。
そこには、地域への愛着、建物への愛情という熱いハートを、
私財をなげうちながら年月をかけて、多くの人と共有し、協力し、
クールな頭でそろばんをはじいた人がいると、私は思っています。
○○の○○さん、○○の○○さん・・・何人も思いつきます。

「残して欲しい」と言う人に、そんな覚悟があるのかな。

「残して欲しい」と言っている時点で、
そんな覚悟はないんじゃないかなと思います。

住む人がいなくなっても毎年咲く桜

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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