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2020年のあしあと

はじめに

2020年が全世界的に大きく混乱した年であった一方、個人的に大きな混乱は少なかった。変わった点をあげるなら、大学の授業の受け方と夏にもマスクをつけていたことくらいしかない。

一年の出来事を振り返る中で、記憶に残るようなものの種類は意外と少ないことに毎年気づく。どこかに外出した記憶は、旅行のように大々的なものでないと、8割くらいは忘れてしまっている。外へ出るたびに、特に何もないのに写真を取るのは気が進まないが、思い出す材料としてこれ以上はないと今更思った。

外に出ても写真を頻繁に取らないが、本を読んだら表紙の写真を取るようにしている。おかげで一年間で何を読んだか思い出すのが楽である。表紙をみてもどんな内容だったか思い出せないものは、読んでいた最中も、特段印象深いものでなかったに違いない。

だいたいこの2つが一年の記憶のなかでは結構な割合で、あとはばらばらに、聴いた音楽やイベントを覚えているくらいだ。

旅行や外出

北欧旅行:2019年2月から3月にかけてアイスランドに行った。それに続いて、今年もほとんど同じ時期にフィンランド、スウェーデン、ノルウェーに行った。緊急事態宣言が発令されていた期間の暇つぶしとして、旅行記を書いていたが、スウェーデンにもたどり着いていない。下書きがあるが、更新する気力がいつ起きるかわからないので、当分、もしくは永久に完結しない。全体的なことを振り返ってみると、あまりにも普通だが、行けてよかったなというのが一番大きい。荷物が重すぎた、カードを信用しすぎて現金を一切持たなかった(コインロッカーが使えなかった)、スウェーデンやノルウェーの北部に行けなかった、オーロラが見えなかった等々、膨大な反省点を抱えている。だが、留学中の友人に会えたことや電車でスカンジナビア半島を往復したこと、ゴットランド島やストックホルムのガムラスタン、ノルウェーのソグネフィヨルドなど多くの古き良きヨーロッパの都市や半島特有の地形を見ることができたのは、今でも思い出すだけで気持ちが高まるような経験となった。

国内旅行:団体で石川と富山に、個人で山形に行った。前者は、どちらかといえば観光よりも宿に戻ってからや移動中が楽しかった。去年に沖縄にいったときと比べると、運転ができる人間の数も倍以上いたこともあって楽なことも多かった。8人で行って、全員が旅行の最中ずっと仲良しこよしでやっていけないというのが「らしさ」というものか。沖縄でもそうだった。むしろそれも含めて旅行をやっているというように思える。山形は異なる経験だった。山形も旅行記を書いていたが、下書きから抜け出す予感がしない。GoToキャンペーンのおかげで、かなりいい宿に安く泊まることができたのは本当に幸運だった。着いた日は天気が悪かったが、羽黒山の2000段近くある石段の雰囲気も、雨のおかげで一層厳かな感じになった。増水しきった最上川を人生の50年ほど先輩たちに囲まれながら下ることもできた。さすが山形といわんばかりの素晴らしい温泉に、2泊したなかで朝と夜2回ずつ入った。銀山温泉にも立ち寄ったが、いつかあそこにある温泉宿に泊まってみたい。

日帰り程度の外出は、去年までは展覧会を観るために上野によくいっていたが、今年はほとんどいっていない。今年は、東京に関する本をいくらか読んだことをきっかけに、東京を自分の足で歩くつもりだったがほとんどできなかった。一度だけ、門前仲町からスタートし、木場公園まで歩いたところで、汐留方面に方向転換して、乃木坂駅まで歩いた。最終的には東京の山の手台地周辺を一周したいが、いつ再開できるだろうか。

印象に残った本

気まぐれで、読むペースも遅いため年間自分で購入し読み終わったものは30冊程度しかない。大体のものは読み終わったあとに「いいものを読んだ」と思うのだが、なかでも印象深い作品を挙げてみたい。

1.多和田葉子「百年の散歩」(新潮文庫)
 これまで好きな作家を聞かれることがあれば安部公房の名前を挙げていたが、これ以来多和田葉子と安部公房を挙げるようになった。簡単に、この作品は主人公が実在するドイツの広場や通りを歩きながら、さまざまなことを感じ取る内容である。初めて読んだときに、作者が非常に言葉遊びを楽しんでいるような印象を受けた。言葉の連想であったり、ドイツ語の語彙を活用したりなどといった部分である。某雑誌で作者は次のようなことを語っていた。

生きているように見えたり、言葉を一つ言っただけで人が動揺したり喜んだりする、その不思議さに惹かれました。

 日本語とドイツ語それぞれがもつ言葉としての魅力や不思議さに加えて、国境を超えることが比較的簡単な時代においても、自分の生まれた国でない場所の都市に存在することで感じる違いが表現されている。そういった作者の感性が、自分のなかに近いものがあるような感じがして、印象深かった。作者の他の作品には「雪の練習生」や全米図書賞を受賞した「献灯使」などがある。講談社文芸文庫からも多く出ているが、文庫にしては少し値段が高いため、ゆっくり読んでいきたい。

2.陣内秀信「東京の空間人類学」(ちくま学芸文庫)
 山の手台地を中心として、江戸そして東京はどのように地形を利用してきたのか。掘割や橋など水に関わる空間が江戸には多く、それらの土地がどのような性格をもっていたのか、東京へと変わる中でどうなっていったのか。モダニズムと東京はどのように融合したのか。このような都市・東京の性質を歴史的に読み解いていく。なぜ印象に残ったのかというと、これを読むことによって東京を歩く感覚が変わると思ったからである。超高層ビルが立ち並ぶ景観や最先端の流行の中心としてのイメージを東京から切り離し、地形的に東京をみることによって、どういう風に土地が利用され、どういう風に建物が建てられているか。もしくは東京が持つ本来の景観の良さを阻害しているものは何かということが、新たな視点として登場した。他にも、松原岩五郎「最暗黒の東京」(岩波文庫)の、貧民窟としての東京のイメージなど、変化し続ける都市・東京をつかむための視点は印象深かった。

3.イザベラ・バード「日本奥地紀行」(平凡社) Kindle版
 この本の存在を知ったのは、フィンランドに行くときか帰ってくるときかどちらか忘れたが、機内雑誌の本紹介である。1878年にイギリス人女性であるイザベラ・バードが東京を出発してから北海道までを探索し、東京に戻ってくるまで間に、妹に宛てて書いた手紙をまとめたものである。完全版では北海道から東京に戻ってきたあと、日本を離れるまでが載っている(未読)。主に日光以北、日本海側の地域と北海道についてだが、全体として当時の日本の地方を旅行する難しさがよくわかる。作者は日本の駄馬と宿の蚊や蚤への悩みを何度も綴っている。しかしこの本で最も印象深いのは、同じ日本国内とはいえまだまだ農村は分断されており、そうした遮断された環境の中で生きる人々の姿は、現在とはあまりにも違う。もちろん都市の性格も全く違う。例えば、個人的にも訪れた山形は、現在ではごく普通の地方都市であるという印象だったが、当時はかなり発展した都市であったようだ。この先に一つの国家として統合されていくことを思えば、こうした分裂した各地の魅力というものが対照的に浮かび上がってくる。アイヌの人々との交流の様子なども、彼らの暮らしがどのようなものなかをはっきりと伝えてくれる。

他にも安部公房「内なる辺境/都市への回路」(中公文庫)やジョージ・オーウェル「一九八四年」(ハヤカワepi文庫)、又吉直樹「東京百景」(角川文庫)など読んでいて楽しいものがたくさんあった。

新たな趣味としてのサウナ

9月以降、外出理由として(バイトを除いて)最も多かったのがサウナだと思う。サウナで温まってから水風呂に入り、休憩することで体がフッと軽くなるという「ととのう」を求めてやっているわけだが、実はかなりブームでサウナ室は毎回激混みという状況だ。最初はサウナ目的だったが、最近は温泉のほうが楽しみになっている。友人と行くのだが、目が悪いのでメガネがないと何も見えず、でかい風呂場の中ではぐれてしまうのが、深刻な問題でもある。正直サウナでかなりリラックスできるが、こんなにもリラックスを求めないといけない状況のほうが問題では?

振り返ってみて

旅行はそれ自体の印象がやっぱり大きい。スカンジナビアはアイスランド同様、絶対行きたい場所であったので良かったし、また行きたい。他の部分では、普段の移動の時間がなくなったため、読書やサウナなどの趣味の時間は充実した気がする。成功失敗に関わらず実行できたことにのみ、評価ができると思っているので、やりたかったができなかったことについては来年以降に持ち越しということにさせていただきたい。

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