台湾「乗り鉄」旅 ~2日目~
(1日目からの続きです)
旅の二日目は「阿里山森林鉄道」とバスで「嘉義」から「阿里山」に向かいます。
阿里山森林鉄道は2009年、2015年の台風などで被災し一部区間で不通となりました。そして私が旅をした2024年5月の時点で本線は「嘉義」~「十字路」まで運転しており、支線は「阿里山」~「神木」と「阿里山」~「沼平」が往復運転、そして「阿里山」~「祝山」は日の出を見に行く列車が朝だけ一往復するという形態でした。
そして2024年7月の全線復旧に向けた作業等のため、神木線、沼平線ともに、夕方数本の列車が間引きされておりました。せっかくなら全線通しで乗ってみたかったのですが、バスを組み合わせた旅程を楽しみました。
「嘉義」駅から「奮起湖」駅へ
旅の2日目は朝6時ごろ起きて、シャワーを浴び朝食を取りチェックアウトし「嘉義」駅へ。いよいよ阿里山森林鉄道に乗る日が来ました。昨夜閉まっていた窓口が今日は開いているので、明日(3日目)の「阿里山」~「祝山」までの往復と、復路「十字路」~「嘉義」の切符を受け取ってから改札に向かいました。
「奮起湖」到着
奮起湖という地名ですが、湖はありません。駅では多くの乗客が降りて、駅前の飲食店で「便當」(「弁当」)やお土産を買う姿が見られます。私も食べてみたかったのですが、本数が少ないバスに乗り遅れると異国の山奥で取り残される恐れがあるので、安全策を取りセブンイレブンでパンとコーヒーを買いほおばりました。奮起湖老街のぎゅっとした通りを歩いていたら、以前行った「九份」を思い出しました。
「奮起湖」からバスで「阿里山」を目指す
「奮起湖」から「阿里山」まではバスで向かいました。奮起湖を経由するバスの本数は多くないので乗継の計画には気をつかいました。
「阿里山」から「神木」へ。そして巨大な木の中を散歩
バスが定刻よりも少し早く着いたためホテルにチェックインすることなく、大きなバックパックを背負ったまま駅に向かい切符を購入。
「阿里山」を14:15に出る「14列車」で「神木」駅に向かいました。
寒さと冷えとのたたかい
「嘉義」を出たとき半袖でもいいぐらいの蒸し暑さだったのが、山の上では長袖のTシャツという格好では冷えてきました。それもそのはず標高が2100mを超えるところまで来ました。ちなみに日本の鉄道で最も標高が高いのが1345mですから、相当高いところまで鉄路を敷いたのだなと改めて驚きます。
17時ごろ夕食を求めに行きましたが、一人の客には厳しいものがありました。親族10人ぐらいの大所帯で来ている観光客が火鍋というのを食べているお店に入ろうとすると、二人以上じゃないとダメと断られてしまいました。食事に困ってしまいましたので、セブンイレブンで買ったお弁当(お便當か?)を買って、冷えてきた広場で食べました。
ホテルでは暖房のスイッチを入れてみましたが、気温が8℃を下回らないと暖房は付かないとのこと。夜になってますます冷得てきた体を温めるため、妙な形の小さなバスタブに無理やりお湯をためて入浴しました。シャワーカーテンがなく、床の排水も悪く、昨晩の嘉義のホテルが懐かしく思い出されました。
明日は早朝3時半に起きて「祝山線」(日にこの一往復しか出ない!)に乗ってご来光を見に行くので早く寝なければいけません。
普段旅先ではテレビをつけないのですが、寒さと温かい食事にありつけなかったがっかりと頭痛にやられ、日本語のNHKにチャンネルをあわせました。「プロジェクトX」をみながらうとうとしました。
廊下から漏れてくる大きな声や音で、眠れるかななどと思っていましたが、21時過ぎには眠りに落ちまていました。頭痛い寒い明日早い。
(3日目に続きます)
【帰国した後に】
旅の1日目に嘉義の書店で見つけた宮脇俊三先生の本を、帰国してから読んでみました。
インターネットなどない45年も昔に、阿里山森林鉄道に乗られた宮脇先生の旅を読みながら、今回の私の旅程をなぞったりしました。宮脇先生が1980年に旅された時に比べると、私の今回の旅はこれでもだいぶ快適なようでした。
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