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これからの医療と医師と看護師と。コミュニティナーシングの概念と共に。

本日は
リモートでJohnson(福井医5年)と最近の様子やこれからの進路についておしゃべりしました😆相変わらずでうれしい☺️
そっか、ホントに、今はこうして画面を通していつでも会えるね。話せるね。すごい。「ビデオ通話でもしましょうよ」が当たり前な感じが若さを感じました✨めっちゃ楽しかったし、こちらもめっちゃやる気出ました。ありがとうね❗️実習ガンバ❗️

そして、本日より、ゆーし(富山医4年)が沖縄へ✨南部医療センターの見学や私、コミュニティナースゆきまるに同行してくれます♪

ああ頼しすぎる。。。
こんなステキな子たちがドクターになってくれるなんて。。。感謝感謝です。
初期研後はできれば沖縄に来て欲しいけれど。ど。ど。

今日の朝の福井新聞(寺澤先生の記事)を読んで、私も私なりに色々また考えが深まってきました。

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ふぶともまた話したいな。逢いたくなったー。

みんなすごいよ。普段の勉強も実習も頑張りながら、地域や現場にも目を向けて。医療以外の世界もしっかり見て聞いて。素晴らしいし、かっこいい。こんなドクターが増えるといいな。

ずっと考えていることだけど、最近また、とても考える。医師は医師としての役割をしっかりやらないといけない。もちろん、公衆衛生としての地域医療への関わりもあると思う。でもやっぱり医者にしかできないことはあるし、どうしても、医者の人数は限られている。だからこそ、だからこそのチーム医療であることも感じていて。

「治療」はどうしても医師にしかできない。私たち看護師という専門職は「ケア」のプロであるし「多職種連携」を円滑に行うプロだと思う。また、コミュニティナーシングに関してはナース以外の誰でも、習得できるものであるとも思っている。

私は看護師になる前は法学を学んでいた。そこで社会学にハマってさー大変。ではあったのだけど、「憲法」を愛してやまない学生だった。その時、考えていたことは、学校で学ぶ社会科を「法学(憲法)」にして、中学生から必修にしたらいいのに。と思っていた。

そして、看護を学ぶようになってからは「看護学」こそ、中学校の必須科目にあるべきだと思っている。法学も看護学も基本的にはエビデンスベースであるし、とても論理的なのだ。人として生きていく上で自分としてどう生きるのか。と他人に対してどう接するか。も法学と看護学のふたつをしっかりやっていれば大切な基本的なところは揺らがないような気がするんだよなぁ。

話が少しズレてしまったけれど。
なのでコミュニティナーシングの基本的な部分というのはこれから一般の方々にもどんどん広めていきたいと思っている。この考え方がベースにあれば社会が変わる。患者さん側もそうだけど、お医者さんだってきっとますます「治療」に集中できる気がする。
私がコミュニティナースとしてやりたいのはそこの部分で。「医療の社会化」(コミュニティナーシングベースの社会)が進むことで一般の人たちにコミュニティナーシングの概念が広まる。広まると、医療にかかった時も今よりいろんなことがスムーズに進むんじゃないか、と思っている。

もうホント「広義」の意味での公衆衛生だと思って、日々の実践をしている。私は実はまだまだ研究の道を諦めていないし、エビデンスがないなら私がエビデンスを作ってしまえ!と日々社会的実験を行っている感じだ。

医師は医師の仕事をしっかりとする。コミュニティナーシングの概念をベースに。そしてナースも。病棟を見るとプチドクターみたいな、ナースなのにナーシングをどこかに置いてきたようなナースがナースステーションにたくさんいる気がする。これはとても悲しい。これまでの病院はそれを求められていたのかもしれないけれど、これからの社会は、ナーシングの方が求められるような気がしている。

専門職としての役割を考えつつ、広く浅く他分野も。ああ忙しいね人生。楽しむことがたくさんあるね。そんなことを考えつつ、コミュニティナースは明日も行く。

こちらのサポートはBlueCrossCoffeeの復活費用に使わせていただきます(^^)みんなでより良い社会をつくっていきましょ〜♪\(^^)/