時と場合と、その人と社会
断定、決定しない世の中がはじまって、どれくらい経つだろう。戦後民主主義。今の世の中、民主主義?
だろう。だと思う。かも。
べき。〜だ。である。
が嫌われる世の中。
たまにはあってもいいと思うんだけどね。譲れないことがあるのも、人間らしくて好き。パターナリズム(温情主義)はプロフェッショナルの表出なのかもしれないよ。
いつの間にか、多数決が民主主義になって。民主主義が正義になって。
インフォームドコンセント(説明と同意)がホントに正しいのか。たくさんの書類に意味もわからずサインをしているだけになっていないだろうか。無理やり「多数」を増やしてはいないか。多数は正義で、民主主義だもの。
社会はどうだ。
きちんとしたシェアード・ディシジョン・メイキング(協働意思決定)がされているのか否か。そこに「〜べき。だ。である」は不要なのか。
断定や決定だって、人を救うことがある。幸せにすることも。それこそものすごい体力と脳みそと心を使ってしまうけれど。
「決定」「断定」できる人はすごいと思う。今の世の中では難しいけれど。そして誰かの背中を押す。進んで行く。
いつからか曖昧模糊が正義になった。民主主義になった。でも本当の「みんな違ってみんないい」とは。
変えられないモノがある。その時。
決めない、変わる。だけが正義じゃない。
どっちもあって、いい世の中であるといいな。
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