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調律

ぼーっとしていても、調律師さんから、連絡はきちんと来る。もう何十年お世話になってるだろう。ステージのピアノも調律できる資格も持っている人で、わたしより少し上の人。何も言わなくてもわたし好みにしてくれる。たまに、今回は柔らかさなしで443でお願いしますとか.わがままプラスすることもあるけれど。

コンクールをたくさん受け終わって進む方向が大手の某会社に決まった時、オイルショック前の素材のいいグランドピアノは売ってしまった。あれだけは人生で後悔している。結局音楽の道は進んだからだが。大学からまだ勤めていた時には詩の同人誌も続けていて、小説も書いたりして、本当は音楽を捨てて作家になろうと考えていたのも、やはり家庭事情もあり、それより、小さな出版社を希望していたので募集がその年は年末になるまでわからないと言われ、なんの因果か全く考えもしなかったところへ。若い時の一年二年なんて人生の先を考えたら大したことはないと自分は考えていたが、フリーターなんて言葉もなく、まだ女性は務めは腰掛けなんて言われる時代で、就職浪人を親に訴えても否定された。世間体ってものもあるし。でも数年後、毎日弾いていたピアノが週末と会社の昼休み(会社にピアノのある会議室があった)に少し弾く生活が、バブルの頃だったから、毎日サービス残業で11時からまで働いてヘトヘトになったのもあって、辞めて、やはり音楽の道へと、学生の時に習っていた某作曲家の門を叩いたのだった。

ずいぶん昔のことのよう‥。いや、昔というのだろうな。しかし入った世界には正直幻滅。

まあこの辺は略しておこう。

とにかく毎日ピアノを弾くのは、ご飯を食べることや寝ることと同じだから、大災害でピアノが弾けなくなった人を思うと、心苦しくなる。わたしならどうするんだろう。

今日はショスタコーヴィッチの24のプレリュードとフーガの何曲かを弾いた。一番初めの曲は祈りのようで大好きだ。ラヴェルのピアノコンチェルトの二楽章に通じる明るさの中の悲しみがある。

そして、ウサギと亀の本を読んで、さらっと即興してみる。うーん、弦楽には向かないなと。

なんだか自粛疲れがあるみたいだ。解除されて普通に動けるとは思えなくなってきた。

でも元気だそう。

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鎌倉ベルグフェルドのクロワッサン。大好きな一つ。散歩ついでに買いに行こうかな。

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