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なんでもAI人間の人

「取り敢えずAIに聞いてみる」

これは僕の知り合いが口癖のように言うフレーズ.

この人は英語の翻訳だったり,プロジェクトのテーマ決めだったり何でもAIに聞いている.

流行語を借りると「タイパ」な人間なんだと思う.ここまで見ると僕がこの人を別種の存在として見ているようなんだけど僕もニュースは倍速で見るし、服を買いに行くのが面倒でECにはお世話になっている.(いつも正確に届けてくださる配達員の方々には感謝しきれません)

このタイパは今の社会を象徴し、今後進んでいけばレディ・プレイヤーの世界観も夢ではなくなる.仮想現実の中で商品を買って仮想世界、現実世界を問わずに消費行動が可能になる未来.中々オカルトティックだけど面白そう.

しかしタイパ社会が構築されるには人間の思考を排外する必要がある.思考する時間を省くことでシームレスな出力を可能にしている.

なんでもAI人間の人を当てはめると思考するエネルギーをAIに委譲し、出力を手に入れるている.エネルギーを必要としないから楽だが、僕は人間のインテリジェンスの部分、知的行動を行わなくなっているところに疑問がある.

英語にhealthy relationshipという言葉がある.これは健全な関係と日本語の略される.僕はこの健全を両方が片方に依存しない関係性を示していると思っている.

例えば問題に対してディスカッションする場面が設けられたときに誰か一人の意見を全面採用すれば問題は一人の意見によって解決されることになってしまう.
この人がよほど優秀で全ての問いに対して絶対的な回答を提示できる人であればいいが、実際には不可能である.

さらに一つの回答では不確実性も高い.相対的にリスクがたかくなってしまう.だから人は会話を生み出してより確実な解を求めようとした.

AIに解を求めるのはいいが、健全な関係(ベクトルのかからない関係)を目指すべきだと思う.AIの解に人間がディスカッションを行う、批評を行う形が健全な関係なんだと.

だから僕はAIに答えを求めた後に解答に自分の回答との差分を見つけて不確実性の低い答えを求めるようにしている.(重要な課題に限っての話)

効率的=限界まで低い入力で解像度の高い出力を行う事

決して

少ない時間による出力=効率的

ではないんじゃないのかなと.....

だから、なんでもAI人間の人はAIを使うのが下手くそなんだと思う.

少し飛躍すると「自分で考えなさい」と言ってくれる両親と先生は素晴らしい存在なんだとAI社会にいるとよく感じる.

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