見出し画像

薔薇の牧場に舞う者は 006

(1973) @カブール/アフガニスタン

 男が急に倒れた。
 フラフラと歩いていやがる、と思ってはいたが案の定だ。周りの男たちが一斉に集まり口々に叫んでいる。
 歩みを速めた。
「オイッ!済まないが俺に様子を見させてくれ。俺はすぐそこの大学に通っている学生だ。ちゃんとした医者を知っている。」
 前を塞いでいた男たちが円陣を解くように脇にどいた。
「こいつは“ヒッピー”とあっちの国でいっている奴だ。」
 ここ、アフガニスタンでも多くの人間は着ていない民族衣装らしきものを見に纏い、これまたアフガンブーツまがいの靴を履き、見たこともないような革製の巾着が付いた革ベルトを締めている。
 髪は金髪。よく日焼けした肌が浅黒い。元来は白いのだろう。
 巾着の中を探ってみようか。身元や連絡先が解るものを持っているかも知れない。一瞬思った。
 いや!だめだ!そんなことをしたら下衆の勘ぐりを招く。そういう輩はどこにでもいる。
 体に手を掛けて揺さぶってみる。
「オイ!しっかりしろ!オイ!オイ!」
 眉をしかめたその男は、一瞬「ウーン」と弱々しい声をあげた。
「オイ!お前、どこから来たんだ?お前の名は?お前は一体誰なんだ?」
 大声で連発すると、か細く返事をよこした。
「・・・バ・・・ル・・・」
「えっ!何!聞こえやしないぞ!お前は誰だ?どこから来たんだ?」 
「バル・・・バル…チ・・・」
「バル…何だ?バルの後が聞こえない。」
「バル…チ」
「Balu…chi?Baluchistan?そうか、お前はバルチスタンから来たのか?随分離れた南から来たんだな。わかった。Baluchi、これから大学に連れて行く。いいな?」
「・・・」
「まあいい。俺に任せろ。起こすぞ、Baluchi!それ!」
 Baluchi の左腕を首に回し、上半身を抱え起こす。 周囲にいた男たちも手伝ってくれた。
「歩けるか?」
 目を瞑ったまま僅かに首を縦に振る。
「よし!さあ行こう。そんなに遠くはない。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 彼はBaluchiをカブール大学構内の医者の元に連れて行った。
「ここへ連れてきたのは正しい判断だ。」
と、知り合いの医師は言った。
「放置しておくのは危険過ぎますから。」
彼は応じた。カブール市内には、医師免許も持たないような輩が歯医者と称して、麻酔もかけずに路上で抜歯処置を平然と施したりする。Baluchiをあのまま放っておくと、そういう類の“医師”の元に連れて行かれかねない。
「シャフィ先生、容体はどうですか?」
「飢えだ。」
「飢え?」
「そう、この国の住人と同じで空腹が病因さ。2日間くらいは何も食べていない。」
「身元は?」
「わからんな。ベルトの巾着や持っていたリュックの中を念のため探ってみたが身元がわかるようなものは何もなかった。」
「僕も路上で探ってみようかと一瞬思ったのですが止めました。」
「それも正解。良心・親切・善意でやったことが仇になりかねん。」
「まだこのまま眠ったままなんですね?」
「そうだ。暫くは安静にしておいた方が良いだろう。」
「僕は一旦ここから去ります。人に会う約束がありますので。」
「会うのは会長だな?」
「そうです。去年からの飢饉で世の中が不安定になっていますから色々と彼も考えることが多くて大変です。」
「わかった。」
「用が済んだらまた覗いて見ます。それまで宜しくお願いします。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 数時間後、彼は再びBaluchiのベッド脇に立っていた。
 もう夜だ。そろそろ帰ろうと立ち上がり背中を向けた刹那、
 “He…re?Whe…re?”
急いで振り返り、
「カブール。カブール大学だ。わかるか?」
「カブール…大学…」
良かった!パシュトー語が解るらしい。
「バザールを歩いていて急に倒れたろう?だから俺が大学の先生の所まで運んできたんだ。大変だったんだぞ。」
「そうか…ありがとう。」
「何も食っていなかったんだってな?お前は相応しくない時に来た。去年と今年は飢饉でな。腹一杯食える状況じゃあない。
 パキスタンからなのか、イランからなのか知らんが、来る国を間違えたんじゃないか?Mr.Baluchi?」
「Baluchi?Baluchiって何だ?何で俺がBaluchi?」
「自分で言ったじゃないか!どこから来たんだ?って俺が尋ねたら“バルーチ”って返事をしたぜ。はるばるパキスタン〜イランにまたがる場所からカブールまでたどり着いたんだろう?」
「あんたの言ったパキスタン〜イランというのは、“バルーチスターン” Baluchistan のことだろう。
 俺が来たのは“バルティスタン” Baltistan 。南じゃなくて東からだ。カシミール地方からカイバル峠を超えて来たんだ。」
「何だ!そうだったのか!
 カイバル峠からなら、容易かったろう?
 毎週、数万人のパシュトゥーン系住民が身分証明書も見せることなく行来しているし、且つ毎日、過剰な装飾を施したジングルトラックが検査も無しで通過している。
 まあいいさ。どっちにしろ、あんたが誰で、どこから来たのかは問わない。体を休めて元気になって故郷に戻ってくれ。
 俺は自分の勉強があるのでもう行く。建築家になりたいんだ。どうか良い旅を!」
「待ってくれ!あんたの名前を聞いてない。
 あんたは俺に関心がないかも知れないが、俺はあんたに関心がある。助けてくれた人物の名前くらいは知っておきたい。」
 彼はゆっくりと振り返った。鋭い眼光と高い鼻梁をもった精悍な顔。中国人なら「龍顔」と表現するだろう。
 やがてアフガニスタンのみならず、世界中に知られることになるその顔を見せ彼は答えた。
 「俺は、アーマッド。」
 この年から29年後、(2001/09/11)の2日前、その容貌はそのまま変わること無く永遠に人々の記憶に刻まれることになる。
 「アーマッド・シャーだ。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?