#登山

6月下旬 朝3時16分 2合目
周りは自分が照らした足元しか見えない。天を仰げば満点の星々が降り注ぎ、耳をすませば木々が風で揺れる音、自分の足音、きれる息、少しずつ早く大きくなる鼓動しか聞こえない。
私は今、日の出を見るために登山をしている。


目指す山は山陰随一の高さを誇る霊峰大山。
標高1729m、別名伯耆富士。その名の通り美しい景観で、地元の人にはよく愛されほとんどの人が1度は登ったことはあるだろう。
夏山登山道という舗装されたほとんど一本道がありまず迷うことは無い。

午前2時56分登山口に到着。今回は友人の座布団丸が相棒だ。
土曜深夜ということもあってか案外人が集まっている。夏も近づき日中はTシャツ1枚でも暑いくらいだがさすがにこの時間帯だと肌寒い。気温は13度。持ってきたウィンドブレイカーを羽織るとちょうどいい感じになってきた。
トレッキングシューズの紐を結び用意完了。さぁ登山を始めよう。

「ちょっと待って」
横から震えた声が聞こえてくる。振り向くと座布団丸がTシャツ1枚で凍えている。
…何を考えているのか。山は天気が変わりやすく頂上に近づくと風も強くなり、夜中なので気温も低い。どう考えてもTシャツ1枚ではどうしようもないと思うのだが彼は暑がりだと言うのでなんの用意もしてこなかったようだ。
念の為用意しておいたパーカーを貸しようやく2人とも用意が完了した。

私たちは20代後半で日頃運動の習慣がないため筋力・体力には自信はない。普段の口癖は「歳だから」になっている。まさか自分たちがこんなこと言うようになるとは…
しかし案外足取りは軽やかで2号目にはあっという間に到着した。時間経過は20分。今日の日の出は5時過ぎのようで滑り出しは順調である。
そこからも3合4合快調快調。まだ木々が茂っていて上は見えない。どのくらい登ってきたかも分からないが2人ともピンピンして足が弾む。登山中とは思えないほど2人とも会話も弾む。
お互い調子がいい。

5合目
少し疲れてきた。ここで一旦休憩して体力をしっかり回復させたい。持ってきたおにぎりを食べてライフが増えた。
「ちょっと待って」
横から震えた声が聞こえてくる。振り向くと座布団丸が頭を抱えてうなだれている。
登山前に飲んだ午後のアイスティーの影響で気持ち悪くなったという。
…何を言っているのか。日頃運動していないおっさんが久しぶりに登山をする時にはもっとコンディションを整えて然るべきでないか。
というかアイスティーで気持ち悪くなるってなんだよ。
夜中に飲んだから午後のアイスティーじゃなくて丑三つ時ティーだねとかヘラヘラ言っている。
訳の分からん冗談は言っているが恐らく体力面は限界なのだろう。どう考えても彼の準備不足もしくわメンタル面のせいなのだがこれでは先に進むのも難しい。無茶して進めようとしても間違いなく拗ねるか怒る。
とりあえず次の6合まで進んでから次の段階に行けるかどうか考えようということになった。
この時点でほぼ登頂は不可能になっている。
ここから私は自分との勝負になっている。
勝負の内容は「如何に体調とメンタルが崩れている座布団丸の機嫌を下げずにできる限り山頂付近まで連れて行けるような声掛けが出来るか」というものである。

6合目
目の前が少しずつ明るくなってきた。下には雲海その向こうは朝日というとてつもない絶景である。感動しかない。ここまで頑張って登ってきてよかった。
3分遅れて座布団丸が到着した。口からはネガティブな言葉しか出てこない。大丈夫想定内想定内。私が持ってきたゼリーを与え、水分を飲ませ景色に意識を向けさせる。少し元気が戻ってきた。さぁ次に進もう。少しずつ日も登り辺りも明るくなってきた。大山の影が麓に映し出されている。

7合目
座布団丸もすっかり復活してきた。あとは3合分騙して登らせれば登頂だ。

8合目
とうとう限界が来たようだ。先程回復した元気が全く無くなっている。声も明らかに細くなってきている。早速ここでカップラーメンを取り出してお湯を入れだしている。
どういうスイッチの切り方なんだよ。
下山してきた人もびっくりしてるぞ。8合目で登山達成感の象徴カップラーメン食ってるやつ見たことねえよ。

仕切り直そう。
下山し始めると彼から小気味のいいジョークが出てきたり、最近ハマっていることをマシンガントークで話している。
その後2人で温泉に行き汗を流した。私はお湯に浸かりながらも登頂失敗したという鬱々とした気持ちが渦巻いている。なんならはやく家に帰りたい気分になっている。温泉から上がって髪も乾かしたしさぁ帰ろうか。

「ちょっと待って」
横から清々しい声が聞こえてくる。振り向くと自販機で買ったカフェオレをごくごく飲み、登山を終えて達成感に満ち溢れた顔をしている。


今後座布団丸が私の前でアイスティー飲んでいたら毎回今日のことを擦って皮肉ってやろうと心に誓った。

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