(七)蕪村の「冬籠心の奥のよしの山」を読む

冬籠の俳句の中で、この句が最も優れた句と当方は評価している。冬籠というのは、寒さの余り戸外に出ず、家に閉じ籠っている事を言う言葉である、言うまでもなく冬の季語である。
この句は高浜虚子が解説しているので、それを引用する。それにはまず、
みよし野や 唐土かけて 冬木立
の句の解説から始まる。
これは吉野山が、だんだんそれを分け入って行くと、唐土に通じている話のあるところから思いついた句であろう。謡曲の『国栖』にも次のような句がある。
「総じてこの山は都卒の内院にもたとへ、又は五台山清涼山とて唐土までも遠く続ける吉野山、隠れ家多きところなり。」
則ち吉野山へ逃げ込めば唐土までも通ずるみちが遭って、自由に何処へでも隠れることが出来るというのである。
(俳句はかく解しかく味う、岩波文庫)

この句の解説をベースとして、高浜虚子は「冬籠」の解説をしている。
冬籠りをしてじっと想いをいろいろの方面に走らせていると、さまざまの事を思う。それは殆ど際限もない事である。たとえて見ると、心の奥に吉野山があるようなもので、その吉野山は唐土までも続いているという事であるが、あたかも我心も唐土はおろか天竺までも和蘭までも続いておると言うのである。(同上)

この句の重要なポイントは「心の奥」のニュアンスである。心の冬籠りをしていた作者は、ある時から、心の奥底に吉野山が現れた。吉野山の向こうには唐土や天竺が見える。
今は冬であるが、心の奥底は次第に吉野山が厳しい寒さから和らいでいくのが感じられる。冬木立の木々は少しずつではあるが、冬化粧を落としつつある。心の奥ではわだかまりが、好しの山に変化していく、そして体の外は冬であるが、心の奥では一足先に春が訪れる予感が嬉しい、そんな風に解釈したい。

最後に、当方が気に入った「冬籠」の俳句を紹介して終わりとしよう。
金屏の 松の古さよ 冬籠り/芭蕉
旅をする 春の思案や 冬籠/正巴
大壺の 肩の埃や 冬籠/河野静雲


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