篠田桃紅『107年のキセキ』(その2)

前回からの続き。


Gone with the Wind わが名をよびて

これも、三好達治の一節を書いた作品。亡き母を想って詠った詩とのこと。
じゃあ、さっきの『桐の花』の詩にでてくるいとしい人も、母親の事だったのかしら。

画面は幅広に二段、薄い墨を刷いた上に、濃い墨を重ねられ、麻紙の白は上辺右辺に細く残るのみ。
濃い墨の上に、見えなくなりそうになりながら、カリカリと爪で刻んだように、わが名を呼びてたまはれと、かぼそい声が綴られる。
画面を大きく覆った濃い墨と、その向こうに半ば隠される薄い墨の様子は、瞑った瞼の裏の暗がりのようでもあり、深く高い青空を見上げているようでもあり。
亡き母に縋り付くような言葉の響きを、墨のみで、こんな風に視覚化できるものなのか。

Midnight Sun

こちらは古今の和歌を扱った作品。
「由良の門を渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋の道かな」
題材に選んだのは、情熱的な恋歌。
この時、御年百三歳……百三歳?
制作年度を二度見した。
生涯独身で、人間は所詮一人ですと、著書の中で何度も語っている桃紅先生ですけれど、決してそれは醒めているわけでも、悟っているわけでもないんだなあと。
そりゃそうだ、出なけりゃ三好達治の、人を恋うる詩だって、あんな素敵な作品にできるわけがない。

英題は、白夜を意味する言葉。熱はなくとも、輝きは絶えない。むしろ冷たいがゆえに、光は、光としての純粋さを極める。永遠であるかのように。

Golden Rule

もう一つ古今の和歌から取材した作品。誰のどんな歌だったか、忘れてしまった。ただ、こちらもやはり恋歌だった事は、はっきり覚えている。

この二作品、大きめの色紙のサイズを、金箔ですっかり覆って、下に緑青で海面が描かれている。
いや、海面というのは、自分の勝手な解釈だけど。
『Midnight Sun』の方は、舵を失った舟をどこに連れて行くのか、ともすれば海底に呑み込んでしまいそいうな、大きくうねる波で、水底の暗さ深さを暗示するように、ドロリと濃い。
銀で書かれた詞書も、跳ね上がった飛沫か、水面の反射のように、クッキリとして目を射るような雰囲気があるみたい。
対してこちらは、白い泡の目立つ海面で、さらに霧がかかっているみたいに、ぼやけて消えている。儚いような、夢とも現とも知れぬ風景。たぶん歌もそんな感じの内容なのだろう。

金箔は海面を照らす陽射しに満ちた空のように明るく、銀でつづられた書は、波飛沫のようでもあり、目を射る水面の輝きのようでもあり。

Breezes of Heaven 天つ風

「天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしとどめむ」
有名な歌ですが、それだけに表現方法にアイデアが求められそう。
この作品では、横長の画面に、薄墨でスイスイと縦に四刷毛。四つならんだ縦長の長方形は、まるで七夕の短冊。そこに分かち書きにして、短冊ごとに、黒い墨と朱墨を交互に使う。
薄墨の濃さが微妙に違う事に加え、文字の色が変わることで、短冊が風に揺れているみたいな錯覚が起こる。
墨は確かに、光の角度で色が変わる。あるいは、短冊が光に透けているのかな。

光と風を、こんな風に表現する方法があるなんて!

Sky 天

色紙よりちょっと大きい画面が金箔で覆われ、そこに、グラデーションに墨を含ませた太い刷毛でグイッと……
これ、「天」って字なの?
数字の「7」の途中が一つ段になって、最後が折れてるような、あるいはひらがなの「そ」みたいな。
もしくは、「て」「ん」ってひらがなで重ねてるみたいな。
四か所で鋭角に折れ曲がる刷毛跡。
確かに、「天」という漢字を崩し切れば、こういう書き方になるんだろうなあ、という説得力は大きい。
しかし、黒い稲妻のようでもあり、金箔のうっすらとした斑は、雲の底のようでもあり。その雲が割れてのぞいた、青い空が、光をただただ吸い込んでいくように深い、そんな様子の描写のようでもあり。
いや、今回の金箔の地、雲にしては輝かしすぎるかなあ?

なんでこんなにシンプルなのに、これほど色々と考えてしまうんだろう? いや、それが天というものか。

Serenity

閑静、静謐、静穏といった意味だとか。縦55cm、幅40cmと大きめの掛け軸ほどの大きさ。
銀箔よりも明るく澄んだ、なんとなく青みがかった雰囲気もあるプラチナ箔が画面を満たしていて、中央には月の光が、一粒の墨の雫になって落ちてきたような、「月」の文字。
篠田桃紅氏の書く「月」の字は特徴的で、爪の跡のように細く鋭いけれど、この作品はさらに細い。
落ちたあたりに、胡粉の白い四角が描かれている。
プラチナ箔のさざなみのような質感は、静まり返った水面のようで、胡粉はその冷たい青みに引き立てられるのか、わずかに黄色がかったぬくもりを感じる。

Dignity

それと対になる、こちらの作品のタイトルは、尊厳、気品、荘重などという意味らしい。
ほぼ同じ構成。ただ大きな違いは、御須の白い長方形のあったところに、朱の赤い正方形が描かれていること。
『Serenity』で、水面の月を連想させるように、白い長方形は横長に、刷毛目も横に引かれていたのだけれど、こちらの朱は縦の刷毛目で、色味すら微妙に変わって、縦に分割されているように見える。御須の白い四角形は、画面左下に異動して、こちらも縦の動きをことさら強調するように、上下に鋭角を突き出した平行四辺形になっている。

『Serenity』を見ていると、その澄んだ空間に引き込まれるように思うけれど、『Dignity』は逆に、存在感に圧倒されるような気分になる。
静謐と気品の違い、問われてもよくわからないけれど、この二作品によれば、それは同じものの裏表ってことかしら。

Listening the Clouds 雲に聴く

これホントに抽象画なのかな?
海岸を走る車窓から曇天の海を白黒カメラで撮影したんじゃないの?

分厚い雲の暗がりで、水平線も消えてしまっている。
墨の勢いが、まだ水に流れているかのようで、あるいは墨は煤煙であったころを思い出しているのか、すごい勢いで白と黒が溶けあいながら走り抜けている。
そんな暗い画面を、いきなり断ち切る、雲間から撃ち込まれたような一条の陽射し。そんな印象。

いつどこでとは言えないけれど、いや、実際には見ていないんだろうけど、絶対に見た事があるとしか思えない、そんな荒れ模様の海の景色。誰かの写真作品で見たんだろうか?
そちらは詳しくないけれど、きっと、こんな風景を求めて撮り続けている写真家は、間違いなくいるだろう。

Silent Passion

これは間違いなく抽象画。
もう作品自身が、「俺は抽象画だぞ」って言っている。
ズバズバと、音が聞こえてきそうな、太い御須と墨の乱れ撃ち。どれだけ勢いよく、刷毛を振り下ろしたもんだろうか。
Passionは確かにそうだけど、どの辺がSilentなのかしら? 棍棒で叩き潰すような力業じゃないですか。

Silentなのは、やはり白と黒だからかなあ。色彩に語らせることなく、ただ刷毛を振る息遣いが聞こえるだけ。

抽象画は音楽みたいに、どこが何を描写している、どこはどういう意味だ、などと考えず、筆遣いをリズム、色彩をメロディーのように聴く。
これはでっかい大太鼓かな。だから、他には何もなし。ただその響きを聴く。ああ、たまりません。

それはいいんだけど、この時、桃紅先生いくつだっけ? 九十代で? このド迫力の太鼓を叩いたの?
人間のパワーって、どこから生まれてくるんだろう?

Vermilion from the Past

その三年後、今度は銀箔に朱でPassionを叩きつける。
もう百歳が間近なのに、さらにパワーアップしている。
英題を訳せば、『過去からの朱』なのかな。
過去ってなんだ? バリバリ現役で、真っ赤っ赤に燃えてるじゃねえか。
命の燃え尽きる前の輝きとかかなあ、と思ったら、あと十年も生きましたという事実。しかもこのレベルの制作を続けながら。

もう、解釈とか解題とか感想とか、それどころではなく、ひたすら圧倒されるしかありませんでした。

Between the Elements 二河白道

それから七年。とうに百歳を超えて、やはり、もうそろそろ、って気持ちになったのか、仏教ネタの作品。
赤と白で縦半分に真っ二つ。
左は、朱の細い筋が土砂降りの雨のように降っていて、赤であるのに明るさは全くない。右は、御須を太い刷毛で、淡々と水平に動かして、全てを塗りこめて封じこむような冷たさ。その間に、細い銀の線が、下から上に一直線、頼りなげに光っている。

「二河白道」は浄土宗の言葉で、現世から浄土への道。
怒りや憎しみに焼き尽くされる炎の河と、欲望や執着に押し流され沈む氷の河。そのどちらにも落ちない、細い細い道を、踏み外さないように渡って、ようよう極楽浄土に至れるとの喩。

寺社に治められた絵解き掛け軸などでは、浄土で待っている阿弥陀仏や、あらゆる罪業や迷妄を示す魔物が描かれるのだろうけれど、この作品は一切それらを廃して、ただ、炎と氷、その間で今にも焼き切れそう、あるいは崩れそうな細い道、ただそれだけを描く。
こちらが現世、あちらが来世とかの描写もない。
だから、極楽浄土があるかどうかも分からない。

既に、もうどうでもいいのだ。阿弥陀仏、極楽浄土はもとより、現世来世も関係ない。仏も鬼も存在せず、ただ、世界は炎と氷に満ちていて、その間のか細い道、そこでしか人は生きられない、生き抜いたところで、どうなるとも知れない。それだけだと。

なんとも恐ろしい絵を描いたものだ。

この作品が、今回の展示では最晩年のものとのこと。
ここで一旦区切ります。

他の作品と、リトグラフを展示していた別館、爲三郎記念館についてなどは、また後で書きたいと思います。

七月十九日追記:今回の展覧会に作品提供された画廊「The Tolman Collection(トールマンコレクション)」様の作品ページにリンクを貼りました。

七月二十六日追記:この記事最終回投稿しました。

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