創作:問題児と新米教師
「こんないいとこにいたのか。探したんだよ、大輝」
学校の屋上へ続く階段の踊り場で寝転んでいると誰かが話しかけてくる。足音が近づき顔を覗き込まれる。数学教師の伊藤だった。
「よりにもよってお前かよ。何の用だよ。てか授業放り出して何してんの」
「生徒が一人どこに行ったか分からないなんて大ごとだからね、抜け出して自習にしたよ。大丈夫、暇そうな先生を置いてきたから。それはそうと大輝、どっち飲みたい」
伊藤は階段に腰かけ、手に持った缶のココアとコーヒーをこちらに見せる。
「どっちでもいい」
「あっそ。じゃあ先生がココア貰っちゃお」
俺の近くにコーヒーの缶を置き、もう片方のココアを飲み始めた。伊藤は一息ついて話し始めた。
「ここは静かでいいね。いつ見つけたの」
「答える必要ない」
「ただの雑談だよ。別に答えなくてもいいけど、一人じゃ暇でしょ」
伊藤は缶のココアを階段に置く。コン、と高い音が鳴り響く。
「今日たまたま思いついただけ。ここなら誰もこねぇんじゃねぇかって」
「なるほどね。確かにこの時間は移動教室もないし用事がある先生もいないし最適かもね。先生が見つけちゃったけど」
伊藤は歯を見せて笑みを浮かべる。何を企んでいるか分からないツラだった。
「それで、なんでこんなとこにいんの。サボり?」
「まさか。大輝クンのことが心配で心配で仕方なくて探しに来たんだって」
「嘘くせぇ」
「ははは、手厳しいね。でも探しにきたのは本当だよ。あながちサボりも間違いじゃないけど」
伊藤は残りのココアをぐいっと飲み干すと階段下にあるごみ箱に向かって投げた。からんからんという音と共にゴミ箱に吸い込まれ、伊藤は小さくガッツポーズを取る。
「先生も色々あるんだ。大輝と一緒で」
「......なんも知らねぇだろ」
悟ったようなことを言われ腹が立ち、咄嗟に悪態をついてしまう。寝転んだまま天井を見上げていると伊藤の顔が入り込む。
「なんだよ」
「大輝だって先生のこと知らないでしょ。ならお互い様」
ほら、とさっき俺の近くに置いた缶コーヒーを右頬に当てる。そこまで熱くはなかったが、このまま居られるのは腹が立ったため缶コーヒーを奪い取ってポケットに入れる。
「ここで悩み全部吐けー、とは言わないけどさ。これでも心配してんだよ。大輝のこと大好きなんだから」
「......気色わりぃこと言ってんなよ」
俺は寝返りを打って壁側を向き、伊藤が視界に入らないようにした。
「気を悪くしたならごめんね。まだ3年目だから距離感分かんないんだ。多めに見てよ」
「教師の言うことかよ」
ちがいないね、と伊藤は笑う。
「でもね、あながち大輝のことが好きっていうのは間違ってないんだよ」
伊藤は俺の左肩に手をかけて天井を向かせた。
「な、なんだよ」
「ちょっと目ぇ瞑ってて」
「なんでだよ」
「いいから」
言われた通り目を瞑ると、ゆっくりと顔に何かが近づいてくる気配がする。心臓の鼓動が早くまる。もしかしたらと思うといてもたってもいられず、もう少しでぶつかるという寸前で俺は我慢できずに目を開けた。
しかし目の前には変顔をした伊藤の姿があった。
「............は?」
俺は呆気に取れられて固まってしまう。もう少しでぶつかってしまうだろう位置に伊藤の顔があり、脳みその処理が追い付かない。
「なにしてんだ」
「ちょっとしたお笑い。面白かった?」
伊藤はさっと顔を引いていつも通り笑みを作る。俺は上半身だけ起こして伊藤の顔を見る。
「どんなお笑いだよ、趣味わりぃ」
「気でも紛れるなぁって」
「......本当に何考えてるかわかんねぇ奴だな」
俺はどっと疲れが出て溜め息を吐いてしまう。弄ばれた怒りよりもしょうもなさが勝ってしまい、もうここから出て行ってしまおうと思い立ち上がった。
「あ、もう戻るの? なら先生も一緒に行こうかな」
伊藤も立ち上がって俺より先に階段を降りる。
「なんなんだよマジで......意味わかんねぇ」
俺は伊藤の背中を追ってゆっくり階段を下る。伊藤が一番下までついた時にこちらを振り返った。ちょうど目線が同じくらいで、俺は後一段で階段を下りきるというところだった。
「さっき、期待した?」
その言葉で心臓が脈を打つ。伊藤の視線はさっきまでの悪戯なものではなく真面目そのもので、俺はその目を逸らせずにいた。
伊藤は一歩前に出ると、今度はすぐに俺の唇にキスをした。一瞬ついて離れただけだったが、あまりに長い時間が経ったかのような錯覚をしてしまうほど衝撃的だった。さっきまで飲んでいたであろうココアの匂いが、伊藤の柔らかい唇を伝って広がる。
伊藤は軽やかに一歩下がって背を向けた。
「これでご期待通りだったかな」
伊藤はゆっくり歩きだしてさらに階下へ向かう。
背中の後ろに組んだ手が視界に入る。男とは思えない繊細な指先には、指輪の一つも身に付けていなかった。
「もちろん今日のことは他言無用で。大輝もそのほうがいいでしょ」
伊藤は振り返ってまた笑みを浮かべ、どこかへ去っていった。
ポケットの中の缶コーヒーはとっくのとうに冷めていたが、反比例するように体温はみるみる上がっていく。
終礼のチャイムが鳴るまで、俺はしばらくそこに立ち尽くしてしまった。
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