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過去が重い

町の不動産屋に勤めていた。

入社してすぐの頃、上司に
「メモではなく手帳を持て」
と言われた。
そしていつもなんでも書きなさい、と。

曰く
自分が思い出すときの為にはもちろんだが
誰かと言った言わないで揉めたとき
手帳を見ながら相手に説明すると
「あぁ、この人いつも手帳に書き込んでいたな。ならば、そうなのかもな」
と相手を納得させやすくなる、かもしれない。
という。

なるほど。

上司はB5サイズのノート型黒色手帳を愛用していて私にもさり気なく勧めてきたが、でか過ぎるし可愛くないし、そもそもお揃いにはなりたくはないので、あれこれ調べ使いやすそうな『ほぼにち』の手帳を持つことにした。

文庫本サイズで少しでも仕事にやる気が起こるように赤い色。

それから不動産屋で働いていた頃は毎年、ほぼ日手帳を使用していた。
カバーは赤い革。
がない年はとにかく赤い色のもの。
それでもいいものがない年は中身は新しく、カバーは前年の物を続けて使う。

赤い手帳

中のページが方眼なのもいい。
間取りが描きやすい。

建築業者が
「入居者募集してください」
と持ってくる物件や前々から募集している物件は間取りの資料があるが
「今まで住んでた家を賃貸に出したい」
というような資料がない物件は現地へ行って間取りを描いて来なければならない。

「自分の今住んでいるところでさえ間取りをパパッと描ける人は少ないよ。練習しなさい。」
とは件の上司の言葉だが、その通り私も最初は現地へ行っての間取り描きは苦手でほぼ日の方眼にとても助けられた。
2マスで1畳。
描きやすい、分かりやすい。

大丈夫、自分さえ読み解ければいい

一年目。
まだまだ未熟で、怒られることも、理不尽に思うこともたくさんあった私はその手帳に日々の怒りと悲しみとを書いていた。
その時心はすこし軽くなる。

二年目。
誰かの連絡先が知りたくて
「確か、どっかに書いたな」
と一年目の手帳をパラパラ見返していた。
懐かしい、とまでもいかないが過ぎた日々の覚書をついつい読んでいってしまう。

全然、つまらない。
面白くない。
読めば読むほど嫌な気持ちになる。
文句ばかりの、なんて呪いの手帳。

気持ちをぶつけたときは少し気持ちが晴れたつもりになっていたのに。

その時から私の手帳には恨みつらみは少しだけ。こんなことを言われた、あんなことを言っていた、楽しい、面白い気持ちになった、を多く書くようにした。

来年の、そのまた先の私が読み返して楽しい面白いになるように。



結局あまり見返すようなことはなかったけど、元々書き癖があったのであれもこれも細かく書くのはやめられなかった。
たまった手帳は仕事を辞めて引っ越すのと同時にもう必要ないので捨ててしまおうと思ったが、その地はゴミの分別が厳しく捨て方がよくわからない。
仕方ない越した土地で捨てるか、と連れて歩くうちに機を逃した。

これが重い。

10冊近くある。
しかも手帳は今も年々増えていく。

個人的なことも書いていたので隠すほどではないが、人目(夫)につくような所へは置きにくい。
読み返すこともない。

捨てたい。

そう、私はもうずっと手帳を捨てたいのだ。
なのにいよいよ、と最後にパラパラと読んでみたある日、忘れていたことが色々と思い出されてしまった。

このまま捨てるのもなぁ。
と手帳を供養するためにもnoteを始めた。

いつか10冊分の手帳の言葉を書き終えたら、私はやっと手帳を捨てられる。
かもしれない。

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