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ブラジルの人に聞こえる声が、病室に届かないわけがない。

今年のお正月は関東から久し振りに九州の実家へ帰省をした。
同じく実家を出て隣県に住む妹も久し振りの帰省をし、みんなでお正月らしく過ごした。

ところが、明日関東へ戻ると言う日、母が祖母の入院している病院の先生から呼び出しを受けた。
帰ってきた母の目は赤く腫れ
「先生がもう、危ないから、会わせたい人には会わせておいて、って」と涙声で話した。

私は急遽、関東へ戻るのを一週間延ばし、一足先に隣県へ戻った妹もその日の夜にはまた実家へと帰ってきた。


祖母はもう90歳である。


次の日、母と妹と私の3人で病院へ向かった。コロナの関係で2人ずつ各5分だけの面会だ。

まずは母と私のペアで。
コロナ対策か病室の扉は開けられたままで、4人部屋の通路側ベッドの祖母は部屋に入るとすぐに目についた。

母が呼び掛ける

「おかあさーん!きこえるー?」

…いや、それ…
「ブラジルの人聞こえますか~」
の声量と勢いやん。

確認だが4人部屋である。
隣のベッドのおばあさんが首を回しこちらを見ている。

「おかあさん、声ちょっと大きいって!」
と言うが
「わかってるけど、これくらいじゃないと…
おかあーさーん!

たった5分の面会時間。
何とか私と祖母を会わせたいという母の気持ちは分かる。

ならば、
私もそれに負けない声量で呼び掛けるしかない。
そちらが八木ならこちらは愛してやまない、日本一いや世界一明るく元気な挨拶をする歌のおにいさんおねえさんを憑依させるしかない

そら!
「ばあーちゃーん、こんにちぅはー!
きたよー」

確実に元気ではないので、
「げんきー?」のセリフ部分は省いた。

コツは声に張りは持たせつつ柔らかみを出すところである。
3歳の娘と「おかあさんといっしょごっこ」をしていた成果を見せるときがやって来たのだ。

ところが、祖母は目は閉じたままスースーと寝息をたてたままだ。
心なしか眉間にしわを寄せた気がする。
声はきこえてるはずだから、と母は呼び掛け続ける。ならば、と私も続く。

「お母さーん!」
「ばあーちゃーん!」




同室の皆様もご高齢の方ばかりだ。
他の人の心臓に配慮しつつ2人で呼び掛け続けるとようやく、ほっそり目が開いた。

何か明るい話題を、と
「ばあちゃんの着ている藤色のパジャマと私の着ているラベンダー色のセーター、色がお揃いだね」
「買ったみかんが当たりの甘さだったよ」
などと話し続けた。
祖母はずっとこちらを見ていた。
「そろそろ…」
と看護師さんに言われあっという間の面会が終わってしまった。が、時計を見ると5分は過ぎていた。少しおまけしてくれたようだ。

まばたきもしてたね、
あれは話、聞いてたね
と母と言い合った。

次は母と妹のペアである。

待合室で2人の面会の終わりを待つ間、何故だか涙が出てきた。
祖母は頑張っているし、明るい話しかしていない。
悲しいことなど何もないのに。

5分後面会を終えた妹は
「ばあちゃんが顔わからないかも知れないから息止めて口閉じてマスクをズラした瞬間に看護師さんに怒られた」と言いながら戻ってきた。

当たり前である。
私まで一味と思われるからやめてほしい。

こういうところは30歳を過ぎても末っ子だな、と思い帰路に着こうとすると
「みんなで来たから今日は泣かずに帰れて良かった」
と母が言った。


◇◇◇


うちは両親が共働きだった為、幼稚園や習い事の送り迎えなどは近くに住む祖母が担当してくれていた。
私を自転車の後ろに乗せてあちこちに出掛け、買い物に行く祖母はいつだってパワフルだった。
電動自転車など出回っていない時代である。

大きな人で服をプレゼントするときはLサイズ。

食に対する好奇心が旺盛でいつも目新しい料
理を美味しく作ってくれた。

私が子どもを産んだときは「こんなに立派に産んで、偉かったねえ」と褒めてくれた。

近頃はめっきり涙もろくなり「嬉しいね、涙がでるごたん(涙がでるようだ)」と会うだけで涙ぐんでいた。
大きかった体はいつの間にか小さくなってMサイズの服でもブカブカになっていた。

◇◇◇

それから2日後、妹と私でもう一度病院へ会いに行った。
2人で「明るい色の服にしよう」と決めて行ったのにその日は一度だけ、少しだけ目を開けただけだった。

翌日から仕事なので妹は隣県へ戻っていった。


◇◇◇


そして今は、コロナの感染拡大とかの関係で病院は面会禁止中である。
良いのか悪いのか祖母の容態は変わらず、私は実家での滞在を更に一週間延ばすことにした。
なんというか宙ぶらりんな時を過ごしている。

そして、母のスマホが、家の電話が、鳴る度に手を止め息を潜め会話に耳をすます。

とはいえ、私たちはずっと暗く過ごしているわけでもない。
朝ドラを楽しみ、
「お昼と思ったらもう晩ごはんだね。何たべようか?」と毎日悩み、一緒に残っている私の幼い2人の娘の様子をかわいい、かわいいと愛でながら、娘の今の推しKinKi Kidsの歌を元気に口ずさんでいたりもする。


日常に緩急がつきすぎる。
恋じゃなくてもジェットコースターだ。


◇◇◇



面談が出来なくなってから母は朝、庭へ出て洗濯物を干すときに病室の方向へ向けて
「おかあーさーん、がんばれー」
と言うようになった。

ブラジルの人にまで聞こえる声である。
病院まで聞こえないわけがない。

これから先の話をことを書くことはもうないと思う。なのでこの話しはここまでだ。

だけど

例えばこれから祖母が劇的に回復し白米をもりもり食べて20年後くらいに、ご長寿ギネス記録か何かで市長から表彰される時には、そんな時にはその旨また記そうと思う。
そうなればいいな楽しいな、と思う。






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