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この令和の時代に

その日私は商店街を3歳の娘の手を引き歩いていた。
目的は買い物ではなく商店街を抜けた先にある公園なのだが、この商店街は良い。
シャッターが下りている店舗もあるにはあるが魚屋の活気の良い声がひびき、安いのに質の良い肉が置いてあるスーパーがあり、ライフより安く果物や野菜を置く八百屋がある。
夏にはソフトクリーム、冬には回転焼きを売る小さな店があり時々娘と買い物のついでに食べながら帰る。

そんな商店街を歩いていると
「あれ、いまなんか…」
なにかとんでもないものを目にした気がして立ち止まりその場所をしかと見た。

そこで目にしたポスター

なんども通っていた道なのになぜ今まで気付かなかったのか。
人の目線よりやや下、低めの位置に貼られているからか。

ともあれご覧あれ。


強烈


どういこと?

このあらゆる方面に気を遣い言葉をオブラートで包み渡す令和の時代にこんなパンチをドンドコ打ってくるポスターがあって良いのだろうか。良いのだろうな。

令和に馴染みすぎた私の心がこのポスターに戸惑っている。

まず、どこからいきます?
「こら!」から?

人を擬猿化するのはけっこう危うい表現な気もするけど、そもそもが人なのか?猿なのか?「猿まね」と書かれてるけど猿なの?真似なの?なんなの?この絵は上手いの?下手なの?

さらに叱咤激励どころか罵りともとれる
「この十年間髪の毛が伸びてないやないか」
という呼びかけ、指摘が心をえぐる。

しかも被っているかつら、私のような素人には肝心要かんじんかなめとも思えるてっぺんだけなぜか無着装、なんなの?

「猿まね」の文字上下の養生テープ、なんなの?

そしてとにかく感じる「かつら」への強い愛。「かつら」に色付きのいびつなハートが書かれている。

分からなすぎて、怖い。

こうなったら後ろからこちらを覗き見ているような構図になってしまったポスターも怖い。ジョンなの?

…いやしかし待てよ、ここまではっきり強く指摘してくる存在はこの令和では貴重とも言えるのかもしれない。
このポスターで
「そうだな、かつら、作ろうか」
という御人もいらっしゃるかもしれない。

そしてこの店舗の扉を叩く客人があるのかもしれない。

だけど、
本当に怖いのはここからで
この店、かつら屋ではないのだ。
理容室ですらない。

なんなの。
罵られ、傷付き、勇気を出して求めようとしたかつらはどこなの?
どこに行けば手に入るの?
この商店街中を見渡してもかつらを取り扱う店などない。
たしかにポスターの文言も
「かつら作ってもらえ」で「作ってやろう」ではない。ただの提言。

じゃあこのかつらへの愛とそれを装着しない人への怒りすら感じるポスターは何の為?
何が制作者をこんなにも突き動かしたのか。

聞きたい。ヒントは店舗内にあるのか?
しかし入り行く勇気もなし。


ポスターの前でいつまでも動こうとしない私にしびれを切らした娘に促され戸惑いと混乱を抱え公園に向かって私は再び歩き出した。
答えもかつら屋も、何も見つからないままに。



この町からは引っ越してしまったのでもう現物を見ることは叶わないけど、叶わなくてもいいけど、誰かとこの驚き戸惑い困惑興味、などの感情を共有したいとは切に願っており、我慢出来ずに遂にここnoteにしたためた次第である。

どういうことやと思います?




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