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大規模コラボレーションで研究してるとよくあること(後編)

ご無沙汰していました。ロサンゼルスで一ヶ月ほどゆっくり研究生活を送っていました。
今はペンシルベニアに戻り引っ越し作業も済んだので、久々に筆を握ります。
前回は「大規模コラボレーションで研究してるとよくあること(前編)」と銘打ち、
1. 論文内の著者リストと所属先リストが長い。
2. 遠隔会議の数が半端じゃない(と思う)
の二つを書き綴りました。
今回はそれに続き以下の二つでこの項を締めたいと思います。


1. 友達を作りやすく、共同研究に繋げやすい。



前編でも述べたとおり、コラボレーション内での遠隔会議がめちゃくちゃ多いです。その中でも学生やポスドクが進行中のプロジェクトを発表するものがあるのですが、つまり小さなポスターセッションみたいのが毎週行われているわけです。
そういうのに顔を出していると、どのチームの誰がどんな研究してるかがリアルタイムでわかりますし、コメントをもらっているうちに「一緒にやろうよ!」と知らぬうちに共同研究が始まっているパターンが多々あります。
加えて、研究活動が活発な人、受け答えがちゃんとできていて優秀な人がだいたいわかってきます。学会と同じく、そういうアピールができる場ということでもありますね。
コロナ禍の前からこのような生活をしていたので、1年くらい会ったことない人とやりとりしてたということはザラにあり、しかも音声だけの会議ソフトを使っていたので、国籍+声質+性別でなんとなく外見を妄想しながらやりとりしていました(笑)。ただ実際に会ってみると大抵は外れるものです。


このような事情があり、僕は博士課程まで日本にいながら(指導教官がカナダ人だったということもあり)日本人とがっつり共同研究したことがほぼなく、そこら辺もっとバランスよくネットワークを広げればよかったと思ってます。
逆にいうと、国際学会で日本人と固まるということがほとんどなく、大抵の場合海外の知り合いがいたり、そこから色々繋げてもらい飲み会が行われるという流れになります。
本題から逸れますが、自分の分野に関する国際学会が東大で行われた時が最高で、自分の友達が大集合して夜の街に繰り出し、カラオケでどんちゃん騒ぎしてました。一番盛り上がったのが、「残酷な天使のテーゼ」を歌った時でした。海外でのエヴァの知名度を改めて実感した瞬間でした。


博士号を取った後に話を移すと、僕の今のポジションはほぼコネで勝ち取ったようなものなので、上記のような経緯がなかったらありえなかったです。ペンシルベニア州立大のグループとは修士のことからずっと共同研究をしていて、今のボスには人となりも知ってもらえている関係です。
そのような居心地の良さもあり今の場所を選んだのですが、決してこれができるのは当たり前ではなく、大きなコミニュティで時間を過ごしてきた賜物なのだと、他の研究者からの話を聞いて感じています。
ここまでコネと友達作りまくりの良いことづくしのように書きましたが、もちろんそんなことはなく色々とストレスが溜まることもあり、それはまたの機会にまとめたいと思います。



2. 研究自体の質に加えて、指導教官の政治力がものを言う。



直前で「またの機会に」と言っておきながら早速これが一長一短な事例の一つになります。
前編で述べたようにコラボレーションとしての結果を発表するにあたって、そこで取り上げられた手法や解析はコラボレーションとしての研究成果になり、携わった研究者は業績としてかなりお墨付きをもらえるわけです。
ただ一般的に起こりうる懸念事項として、選ばれた手法が実装された後によくわからない結果が出てしまった場合です。
もちろんこれは大規模グループに限らず、どんな研究グループであっても発表した論文が間違ってあれば責任を持って撤回するわけですが、全世界規模になるとそれが与える影響が甚大です。


例えば、重力波信号の有力なターゲットに中性子星連星系の合体があります。中性子星とは原子核レベルまで密度が高まった天体のことで、それらが合体すると飛び散った物質内で特殊な核反応を起こし、それにより(重力波信号とは別に)特徴的な電磁波信号を放出します。(他にも色々モデルはあり)
重力波信号が先に到達すると言われているため、重力波が検出されるとその情報をリアルタイムで電磁波望遠鏡のコミュニティに共有し、世界中の研究グループとの共同探査を実現しています。
ここで共有される情報の一つが重力波の到来方向を示す天体マップで、これを渡された電磁波観測屋さんたちは夜通し血眼で天体を探すわけです。もしその情報が間違っていたら、世界中でどれだけの人的資源、計算資源が無駄になるかは想像に難くないでしょう。
そのような責任が常に伴いながら、外部からのタイムリミットも考慮して、議論を重ねプロジェクトを進めるのがいつもグループとしての悩みの種です。




このような理由から、コラボレーションとしての手法を客観的+科学的に剪定する過程が当然ながら重要になるはずなのですが、最終的な合意に至る時の最後の一押しは共同研究者の政治力で成り立ってる気がしています。
もちろん研究の質は求められるとして、本格的にそれが選ばれるかは組織の問題になるので、具体的には(主の研究者が学生の場合は特に)ボスがどれだけ信頼されているか、周りの人間を巻き込むかがうまいかが強く依存しているように思えます。
僕自身、学生の時に指導教官に頼らずある研究グループに参加したら、なかなか意見を聞いてもらえず辛い思いをしたこともありました。(自分の言ってたことがトンチンカンだった可能性はありますが。。。)


上に述べた「政治力」とはつまるところ「人望とリーダーシップ」であり、それが組織の中で重要なのはごく当たり前のことだと言ってしまえばそうなのですが、比較的小規模のラボの人からの聞く話よりも自由度が少なかったり、理不尽なことが多かった経験があります。
以上の経緯から、自分はいわゆる「好きなことができる研究者」というより「大企業に勤めている研究職」に近いと認識しています。
なので、規模が大きいほど良いというわけでは決してなく、どっちの働き方が自分に向いてるかを日々考えなくてはいけないなと感じているわけです。結局のところ、自分は人と仕事をするのがワクワクする体質なので、居心地はいいのかなと今のところは思ってます。

まとまった文章を書くつもりでしたが、御多分に洩れず長くなってしまいました。
次は「大規模コラボレーションの組織図や構成」について述べていきたいと思います。特に、これから研究に本腰を入れる学部生や大学院生に読んでもらいたいなぁと思います。

では。


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