アメリカ大学院全不合格体験記(挫折編)・その2

またご無沙汰していました。アメリカへの帰国からの、ベルギーとイギリスでの学会出張などでバタバタしておりました。やはりベルギーのチョコは美味しいです🍫
さて、前回の「アメリカ大学院全不合格体験記(挫折編)・その1」の続きとして、海を渡ってラボ見学してから実際の出願、合否結果(タイトルから察して)までを綴ります。現実的になることの大切さをもし感じていただけたら幸いです。

アメリカでの研究室見学

前回の記事で述べたように、「東大と迷うくらいならハナから出願しない」というかなり攻めた姿勢で以下の4つを出願校として決めていました。
Caltech
MIT
Stanford
Harvard
「大学ランキングだけ見過ぎだろ」と言うツッコミに関しては前回の記事で言及しましたのでそれをご参照ください。
志望校が決まってからは、早速夏の短い休暇を利用して上記4校のラボを直接訪問することに決めました。事前にLIGOやCMBのB偏光実験の装置に関する論文を読み込み、確か東海岸のHarvardとMITを先に訪問。Harvardで行われていたCMB実験は当時全くの専門外だったので専門的な質問はできず、それどころか些細な質問すらあまり聞き取れずやり取りに苦労し、ひどく凹んだことを覚えています。それから一転MITでは、比較的詳しいLIGOの装置に関することだったので、教授との会話もはずんでとても楽しめました。その途中で気づいたことがあります。英語に自信が全くない中で、トップ校の教授という人類の宝のような人たちと対面で話す前は、毎回震えるほどの緊張と不安に襲われていたのですが、場数をこなすうちに心理的には慣れてきている自分がいました。なんでも慣れなのですね。
その訪問の後、ボストンにいた先輩や友人と食事をして情報収集に励んでいた時のことです。アメリカでのサマープログラムなど、研究の経験を話すとある先輩から「日本人の学生でそこまでやってる人珍しいからそれ前面に押し出していった方がいいよ」と言われました。それまで自分の業績に自信がなかった僕は、その言葉で「もしかしてこれイケるんじゃね?」と楽観的になってしまいます。ただそれが続くのも数日の話。
それから西海岸側の本命だったCaltechに向かいます。前回述べたように、Caltechは地上重力波検出機LIGOの総本山でやりたいことは大体できる場所です。満を辞して過去の研究内容を話したところ、教授たちからは好反応を得たり、院生と喋れたりと充実した訪問に思えました。その中で日本人研究者と出会い、研究や生活ぶりをじっくり話す機会にも恵まれました。そこでCaltech主催のサマープログラムに参加した経験を話すと「多分それだけだとなかなか厳しいよ」と一言。聞いた当時は結構ショックを受けてましたが、振り返ればこの現実的な助言には感謝していて、それで自分は自分の置かれた状況に気づくことになります。考えてみれば当たり前で、例えばそのサマープログラムに全米から参加した学生が約30人いて(参加している段階でコネがあったり優秀な証拠)、彼らが全員Caltechに出願したとして選ばれるのは1人か2人。他にも多くの優秀な学生が受けていること考えると、かなりえげつない競争率になるのは想像に易いです。このヤバさに当時は薄々気づきながらも、この茨の道を邁進することになります。

奨学金

出願が現実味を帯びてから、留学中の資金として奨学金の応募も考え始めました。訪れる説明会ほぼ全てで「奨学金を取るのは大事だよ」と聞いたからです。これら詳細は数々の合格体験記に多く書かれているので割愛します。ネットでの情報収集を通して、伊藤国際、船井、など色々な財団のを片っ端から申し込みました。結果はまさかの全滅。今考えると落ちたのは当然で、選考側のことを考えず盲目的に突っ走ってしまったなと反省しています。それを印象付けるものとして、ある財団の申請書類でA4一枚に「手書き」で応募動機や研究経験をまとめる項目がありました。自分の経歴を盛り盛りにすることに躍起になっていた僕は、誰にも読めないくらい小さく、ミミズが走っているような字で白紙を埋め尽くしていました。今あの時に戻れるならば、自分を引っ叩いて目を覚まさせてあげたい。そんなんじゃ誰も読まないよ、と。もしこれを読まれている受験生がいたら反面教師としてお使いください。こうして多難な状況に意気消沈した自分は、かなり悪い流れで大学院出願に臨むことになりました。

提出書類

卒業論文に追われながらも、奨学金申請の次はいよいよ出願のための書類作成を進めて、どうにかしてアプリケーションを提出までこぎ着けました。
もう7年ほど前の話なので、この情報が参考になるかはわかりませんが前に挙げた4校ともに以下の書類・スコアを要求していました。
Statement of purpose
推薦状 3通 
GPA  : 3.7くらい
GRE General : verbal 50%、 math 95%、writing 4.0くらい
GRE subject (physics)  : 90%くらい
TOEFL : 103くらい
点数とともにこんな感じだったと思います。トップ校を狙うのだとこのGPAでは確実に足りなかったと思います。当時MITに通っていた先輩のGPAが3.9(か3.8強)で、「周りに自分より低い人は見たことない」と言っていた衝撃を今でも覚えています。また推薦状は、1通はサマープログラムでお世話になったLIGOの施設の所長さんでCaltech, MITでは名は知れており、他の日本の先生方も重力波界隈では著名な方でした。日本からの学部生の中では比較的強かったんじゃないかと当時は思っていましたが、結果的に何かが足りなかったか、そもそも自分の評価があまり良くなかったかですね。
Statement of purposeは大学の留学生による英文添削サービスや、米国大学院学生会のメンターに見てもらい添削を重ねました。みなさん本当に丁寧に添削をしてくださり、全落ちした身として申し訳なさが今でも心に残っています。
こうして満を辞して出願の全行程を終え、どのような結末が待っているのでしょうか?(タイトルから察して)

合否発表

確か1月の年明けすぐだった気がします。早ければその時期あたりに結果が届き始めると聞いていたため、毎日メールのinboxをこまめにチェックしていると、見慣れない英文のメールが飛び込んできました。HarvardとStanfordからです。「とうとう来てしまったか。。。」と心拍数が急に上がり、恐る恐るマウスのカーソルをそのメールに当てていきます。研究室見学でも述べたように、あまりこの2校に関しては手応えがなく、厳しいかな。という気持ちがありつつメールを開けると、予想通り不合格通知。このときある気持ちが浮かび始めます。

「そもそも自分は足元にも及んでないんじゃないか?」

もうこれで志望校の半分を費やし、流れが最悪に近い形になります。それでも、自分の強みはLIGOだし残り二つに希望を託そうという楽観的な気持ちを保っていました。はい、MITからの不合格通知を見るまでは。さすがにこれが自分の中では決定打で、「ああ、これはダメなやつなんだな。。。」という悲観的な気持ちになっていきます。あれですね、スマブラで空中コンボでボコボコにされてあとは場外に飛ばされるのも待ってるだけの状態。
そして最後に届いた大本命Caltechからの結果通知メール、マウスのカーソルを当ててから5分くらい瞑想していたのを覚えています。不合格を受け入れる心の準備と気持ちの整理の仕方をとにかく考えてました。覚悟を決めて開いたメールにはもちろん不合格の知らせとお祈りのテンプレ。どんなに予期していても実際に現実になると心に刺さるもので、受け止めるために天を仰いで茫然自失となる時間を数分過ごしました。そしてCaltechの研究員に言われたあの言葉を思い出します。

「多分それだけだとなかなか厳しいよ」

自分は全然レベルが足りていなかったんだなぁとようやく確信。その後、サマープログラムから始まった一年半ほどに及ぶ自分なりの努力を回想すると、言葉にできないほどの悔しさが込み上げてきます。成人を過ぎ月日が経つと精神的に落ち着く傾向になると思うのですが、その中でも強烈な感情を抱くときに、これを忘れてはいけないと僕は思うタチです。この時も同様で、「この悔しさを忘れないために」とCaltechからの不合格通知を印刷して机に貼り付け、自戒として常に自分の目に入るようにしておこうと心に決めてました。今考えると、かなり体育会系でマゾヒストな行いだったと思います。

机に貼り付けたCaltechからの不合格通知

そしてその時思い浮かんだのは、留学中のキラキラしている先輩たちとそれに重ねた自分の将来像。単なる妄想でしかないのに、なぜか現実になると信じて疑わなかった姿。そしてそれに及ばずに終わった今の自分を照らし合わせると、将来に対する強い不安と焦燥感に駆られていました。良くも悪くも極端な価値観を持っていた当時の自分は、「やはり自分研究者向いてないのかなぁ」とすら思い始めます。そもそも考えてみれば、こうなるのを覚悟で出願校を絞ったわけで、自分の行いの意味を冷静に理解しておくべきだったと今は反省しています。当時は合格した友人に対して抱いた劣等感、燃え尽き症候群などで心身ともに疲弊していましたが、色々と悩んだ挙句、「与えられた環境で頑張ろう」と気持ちを再燃させ出発することになります。これ以降日本の大学院生活で感じたアメリカとの違いはまた違う記事で綴っていこうかと思います。


このように留学に関して何の実績を生めなかったわけですが、一つ言えるとしたら、数ある合格体験記の裏で自分のように全滅して散っていった人が無数にいるのが現実ですよ、ということですね。世の中の情報源って成功体験で満ち溢れていて、あたかも全員が成功していて自分も頑張ればそうなれると思い込んでしまいます。もちろん現実はそんなことはありません。超絶エリートでもない限り、どっちに転んでも納得して前に進める心構えで臨むのが、長期的にみてプラスになる夢の挑み方なのかなと感じる今日この頃です。

では。

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