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ROCK GIG TONIGHT

永遠のロック少年に贈ります。あのときのハートをいつまでも忘れずに。
香港 Midnight Story - See You Again」の20年前の物語です。



1.立川ハウス

10月も終わりにちかづいたある夜。時刻は9時を過ぎていた。僕は立川駅で中央線快速下り電車を降りると、友達からもらったメモを取り出し、北口から指示通りバスに乗った。
バスは暗い通りを走って、元米軍のハウスの立ち並ぶ停留所に停まった。そこで、バスを降り立川基地のフェンス沿いを100メートルほど歩いた。メモにかいてある地図ではこの辺に PURPLE HAZE HOUSE というジミ・ヘンドリックスの曲の名前をとった立て札のある家があるはずだった。

あかりのついていない空き家の"ハウス"がつづく中に1軒だけ煌煌と電気のついている家があった。道路との境の生け垣に傾いた立て札が差してあった。スプレイで"PURPLE HAZE HOUSE"とかいてあった。
いかにもアメリカの家を感じさせる網戸のドアをあけ、中のペンキのはげたドアをノックした。
「Come in. Tommy.」
家の中から声がした。
ドアをあけると内側は石油ストーブで暖まった独特の空気が充満していた。
「トミー待ってたよ。はやくマーシャルにギターつないでやれよ。あったまってるぜ。」
江戸川淳がソファに腰掛けてベースを抱えたまま、太った体を窮屈そうに振り返むかせてそう言った。
「まず、バーボンだな。」
部屋の奥でTAMAの安物のドラムセットの中央に座っていた谷井一郎がスティックをくるりとまわしながら立ち上がった。
僕は肩にかけていたギターケースをおろし、ジッパーをあけてすこし傷のついたグレコのレスポールモデルを取り出した。ブリッジ側のハムバッカーピックアップはグレコの試作品で、ダイレクトにアンプに入れてもものすごく音がひずんでフィードバックで鳴りっぱなしになる自慢のギターだった

「もうプログラムができているんだ。」
淳がそう言って、萌黄色の紙に印刷された僕達のバンドが出演を予定している品川区主催のロックコンサートのプログラムを見せてくれた。
「これって、出演順か?。」
「そうみたいだね。」
「J.I.S. ジェイ・アイ・エスでジス、江戸川淳、谷井一郎、富永茂樹、って俺達のバンド最後に書いてあるじゃないか。トリってことか。」
「そーゆーこと。さすが、大学生、理解が早い。」

すでに、高校卒業後、レストランで働いている谷井、通称タニー(本名も通称も同じだが)がバーボンの水割りを渡してくれた。
「おまえ、何ていって売り込んだんだ。」
「期待のプログレッシブ・ロックバンド、J.I.S.っていうのがオリジナルの新曲を発表したいといっている。とマネージャーの振りをして、品川区役所の広報に電話したんだ。」
江戸川淳、通称ジュンが応えた。彼は今年から私立大学に進学していた。

「こないだ、オリジナルでもやろうかとはいったけれど、まだ曲ができていないじゃないか。」
「それで、今日作るために集まったんだろ。もう、宣伝してしまったから、とにかくやるしかないね。」
「あと1週間だろ。練習のために何回集まれるんだ。」
「俺は仕事があるから、今日と、コンサート前日と当日のリハーサルだけだな。」
タニーが言った。


2.FALL TO RUIN

この立川のPURPLE HAZE HOUSEはジュンの兄貴の友達が借りている家だった。その人はプロのミュージシャンで、今日は旅回りのため貸してくれたのだった。
僕達はコンサートに出ることは決めていたのだが、曲目を決めていなかった。
「前にテープ聞かせてくれた曲があるだろう。」
「でもあれじゃすぐ終わってしまうよ。持ち時間15分だろ。2、3曲は用意しないと。それに他の5つのバンドのうち3つ知ってるけど、めちゃくちゃレベル高いよ。あまり単純な曲じゃ恥ずかしいよ。」
僕はギターをアンプにつなぎながらそう応えた。
「クラシックみたいなのもあったじゃないか。それをつなげればいいよ。そうだな、組曲っていえば、雰囲気の違う曲をつなげてもおかしくないさ。」
ジュンがベースを置いて、Fホールのあいているフルアコギター(そう、僕はそのギターを"かしまし娘"と呼んでいた)を手に取った。

「ほら、こういうやつだったよね。」
彼は、僕が以前聞かせたデモテープにはいっていたクラシック的な展開の曲をいつのまにかコピーしていて、まちがえることなく弾いた。
「まあ、それならアコスティック2本でハモれるけどね。」
僕がグレコのギターで3度上のパートを弾いて、ハーモニーをつくってみた。
「おお、これは結構かっこいいぞ。ギター2本で格調高い雰囲気にしよう。」
ジュンがメモを取り出した。
「そうだな、曲の雰囲気からして、サイレンス という題にしよう。」
「ありがとう、題名まで決めてくれて。で、でも僕は激しいインストの6、6、4拍の曲あったじゃない。あれを完成させようと思ってたんだけど。いまの曲と全然雰囲気が合わないと思うんだけど」
僕はまだ未完成の曲をギターで弾いてみた。ジュンがまたメモに書き込みながら言った。
「それを主題でいこうぜ。これは フォールトゥルーイン っていう題にしよう。」
「どういう意味?。」
「破滅ってとこかな。これはさあ、かつて在った高度な文明社会がその栄華に逆に身を滅ぼしたという、現代社会に警鐘を鳴らすテーマの組曲、ってことにするんだ。 最初のは嵐の前の静けさ、でさ、そして一気に嵐のようなドラムソロの後、この変則リズムの曲で文明の破滅を表現するんだ。組曲のタイトルは"地下帝国アガルタ"でどうだ。むかしそういう伝説の高度文明があったと本で読んだ。」
「ジュンの想像力はすばらしいね。作曲者がぜんぜん意図していないことを、さも最初から考えていたかのように作っちゃうんだから。でも、僕気にしてたんだけど、この曲キングクリムゾンの太陽と戦慄に似てない?。」
「そういえば、リズムが似てるけど、気にしない気にしない。メロディが全然違うんだから問題無いよ。」
「じゃあ、これからサビの部分を考えないと。うーん。練習しないで弾けて、聴いた人にはすごいと思わせるようにするのか。こりゃ難題だね。」
その後、僕達はアイデアを出し合って、コード進行を決めて、コードにそって分散和音的なメロディを考え、譜面に書き出していった。

12時頃には、何とか2回リピートすれば6分くらいの長さになる曲ができてきた。
「これで、1コーラス目の終わりにドラムソロとそれにかぶせてベースソロをいれて、2コーラス目の最初のフレーズでギターソロをやれば10分くらいにはなるよ。」
ジュンは体型が物語るように楽天的性格であった。
「俺ら、こんな適当でいいんだろうか。他の奴等イエスのコピーとか、エマーソンレイクアンドパーマーのコピーほぼ完璧にやるんだぜ。」
僕は対照的にやせ型だったので心配症であった。
しょせん、どんなにうまくやったって、コピーはコピーさ。コピーでデビューできるやつはいないんだ。こっちは日本に数少ないプログレのオリジナルバンドだよ。リズムさえあってれば、間違えたって誰にもわからないしね。まあ、とにかく今夜練習しておこう。それで、テープをとっておけば各自自習できるだろう。」
ジュンはそういって、自分のパートを譜面に殴り書きすると、
「よし、通しで合わせてみよう。」
といった。すでに真夜中を過ぎていたが、周りに人が住んでいないので、僕達は思う存分音を出した。アドリブ同然なのだが、眼と眼で合図して呼吸をはかり、強弱をつけて音を作っていった。

(これは曲そのものよりそれぞれのインプロビゼーションのハートと技にかかってる感じだ。)
“Fall To Ruin"は3人で音を合わせると最初に考えていたよりはるかに空間的な広がりをみせて、演奏している僕達は最初の不安とはうらはらに、曲のモチーフそっちのけで自分達の掛け合いにのめりこんでいった。
2回目にラジカセでテープをとった。演奏後、みんなでバーボンを飲みながらテープを巻き戻して聴いてみた。 「なんだこりゃ、音が割れてなんだかわかんねえな。」
タニーが笑いながらいった。
「やっているときは『ああ、なんていい音が出てるんだろう』って思ってたんだけどな。聴いてるひとはこんな感じなのかな。」
僕はジュンに不安げに質問してみた。
「トミー、音が悪いのはミキサーも使っていないし、このラジカセの内蔵マイクを使ったからだよ。そんなことより、なにより俺らが曲にハイレるかどうかだよ。やってるやつに感動がなければ聴いている人の気持ちは動かないぜ。」
楽天家のジュンは一気にグラスを開けてそう言った。それは確かにそうだが…。僕はトリをとるというのが少し気になっていた。


3.JISとELM(ジスとエルム)

本番の前日の土曜日、コンサート会場のセッティングがはじまっていた。

自分達が主催のコンサートでは、自分達でPAの設置、配線、ミキシング、エフェクト、最後はライティングまでやらなければならないのだが、今回は品川区が主催のため、自分の楽器を準備するだけで良かった。しいていえば、1つのバンドが持ち時間15分づつで、入れ替わりの時間をいれて1バンド20分、全部で6バンド出演するというセッティング替えがいちばんの問題だった。
JISという僕らのバンドは、ベース、ドラムス、ギターのトリオで、エフェクターはコンプレッサーとコーラスしか使わなかったので(ひずみ系はピックアップとアンプだけで充分だった)セッティングはごく簡単で、バランスだけとれれれば良いというものだった。
僕達は楽器をかかえて客席のうしろの入り口から会場に入っていった。まさにPAとドラムセットのセッティングの真っ最中だった。舞台上に運び込まれたギターアンプは、主催者の用意してくれたメサブギとマーシャルとフェンダーのツインリバーブの3種類だった。僕はまよわずマーシャルのバルブステートという、立川ハウスの練習で使ったのと同じ真空管アンプを選ぶことにした。
ミキシングコンソールはヤマハの32チャンネルだった。プロの音響のスタッフはマルチケーブルを見事な手際で接続していった。僕がミキサー席の後ろで馬鹿みたいにポカンとみていると、後ろから女の子の声がした。

「わーすごい。なんか緊張しちゃう。こんなセッティングでやったことないわ!」
僕達はうしろを振り向いた。そこにはちょっと背の低くて、栗色の髪にパーマをかけたかわいらしい女の子がキーボードのケースを重そうに持って立っていた。白いフィッシャーマンズセーターにジーンズ、スエードのロングブーツを履いていた。顔は少し日本人ばなれしたヨーロッパ系で、濃い眉が印象的だった。
「あ、こんにちは。私は、さじまみずき。 みずきは水曜日の水に木曜日の木。明日出演のELM(エルム)っていうバンドのキーボードです。よろしく。」
(かーわいい!こんな子がロックをやるのか。) と僕は思ったが、客商売ですっかりしゃべりのうまくなったドラムスのタニーが、すかさず、
「こちらこそ、よろしく。俺らは、JIS(ジス)。日本工業規格のJISとおんなじ。JUNとICHIROUとSHIGEKIの頭文字でJISっていうわけ。いちおうオリジナルのプログレをやってるんだ。」
「あら、わたしたちも、恵里子に理恵にみずきでELMっていうバンド名にしたの。おんなじ発想ね。私たちはELPのコピーをやるの。タルカスって知ってる?あれ。」
「えっ。タルカスなんかコピーできたの。すごい。」
僕は思わずびっくりしてふたりの会話に割って入った。

「ボーカルが女の子だけだから、いまいちなんだけど。」
みずきがそういっていると後ろの入り口からふたりの女の子が入ってきた。おそらく、恵里子と理恵なのだろう。
「あれ、みずき、知り合い?こんにちは。はじめまして。」
紫に蛍光イエローの裏地のスポーティーなパーカーを着ている、背の高いロングヘアの美形の子が挨拶をした。みずきが紹介してくれた。
「この167センチの美女が、ベースの片岡恵里子。そのうしろのショートヘアの子がドラムの本木理恵。」
「こんにちわ。あなたたちJISでしょ。噂は聞いているわ。生で聴けるのを楽しみにしてたの。」
ボーイッシュな感じの理恵は黒のレザーの上着に、黒いジーンズに黒いカウボーイブーツといういでたちであった。ノーメイクであったがシャープな感じのする整った顔立ちだった。

要するに3人ともかなりレベルの高い(すくなくとも外見上ポイントの高い)、そのままタレントになれそうな子達だった。それに対して、僕はやや長髪で黒のジャケットに黒のタートルネックセーター、ジュンはクイーンのブライアンメイのようなロングヘア(身体は相撲取りのようだったが)で米軍払い下げのカーキ色のコート、タニーはベリーショートヘアでさわやかなアイビーファッションという具合で、僕達はばらばらのファッションで少々恥ずかしかった。でも、この時点で僕達全員コンサート出演の決断は正しかったと確信していた。みずきが振り返りながら、
「わたしもさっき初めて話しをしたの。30秒前からのお友達。でもJISって伝説のバンドよね。」
と言った。理恵は、
「高校のときは学園祭を荒らしてたって一部じゃ有名よ。その場で即興で曲を演奏しちゃうんだって。」
と、僕達に関して流れている噂をみんなに教えてあげていた。

「みずきちゃん。そんなすごいもんじゃないんだよ。僕らセッティングも簡単だし、知り合いのバンドを見に行ってると、おまえらちょっとやれって引っ張り上げられちゃうんだ。そこで、あとはフィーリングにまかせてインプロビゼーション(即興演奏)をでたらめにやってるだけさ。ところで、僕はタニーで、このおまんじゅうみたいなのがジュン、そしてこの気取ったぼうやがトミー。」
スポークスマンのタニーが謙遜して説明してさりげなく自己紹介していた。「きんどーちゃんがナンパされたの?」
理恵がみずきに質問した。
「だめよ、きんどーちゃんって呼んじゃ。初めての人たちなんだから。ギター持ったかっこいい人がいるって思って、私の方からナンパしたんだからね。」
みずきは口をとがらせて反論していた。でも、ギターを持ったかっこいい人ってまさか……。
「きんどーちゃんってもしかしたら、水木金土だから?そりゃみずきちゃん水曜木曜なんて自己紹介するからだよ。」
察しの良いタニーがみずきに話しかけている。


4.リハーサル

機材のセッティングがおわり、出演順に音だしとバランスのチェックが始まった。最初のバンドはよくあるディープパープルのコピーバンドだった。“ハイウェイスター”と“スモークオンザウォーター”をやっていた。ギターはリッチーブラックモアの完全コピーだったが、ボーカルに難があった。他のバンドの連中は観客となって声援を送りつつも、僕達のように出演者をよく観察していた。
2番目はイエスのコピーだった。曲は比較的簡単な“ハートオブザサンライズ”だった。キーボードは前にも会ったことのある奴で、リックウェイクマンのコピーをなかなか上手にやっていた。やはりボーカルとギターに難があった。
(まあ、これくらいの連中が相手ならトリを取ってもいいかな。)僕はジュンに小声でそう言った。

次は例の可愛こちゃんバンド、ELMのリハーサルだった。彼女たちは3人で、エマーソン、レイク&パーマーの“タルカス”(これは長い曲でコピーは不可能と思っていたが…)を演奏した。出だしから完璧だった。特にやはりキーボードのみずきは音作りから、タッチの正確さまで目をつぶっていれば、キース・エマーソンかと思わせるような、パーカッシブでパワフルでさらにハイテクニックをもっていた。

「これはすごい!」
あまり、他のバンドをみてびっくりすることはない僕達だったが、ELMの演奏には正直言って舌を巻いた。たしかに“バトルフィールド”の本来グレッグレイクが味のあるボーカルを聞かせるところは、ベースの長身、美形の恵里子ではものたりなく、(僕がボーカルをやってあげたいよ。)と思わざるをえなかったが。
他にツエッペリンコピーのバンドとクラプトンのコピーバンドがでてきたが、どちらもアマチュアの上のレベルだった。

いよいよ僕達の出番がきた。
「おい、どうする。ここであの曲を聞かせちゃうのもなんか惜しいな。」
ジュンが顔を曇らせてそう言った。僕も他の連中に聞かせてしまうのは惜しい気がした。
「よし、まずは、PAにバランスを取ってもらえばいいんだから、前にやったキングクリムゾンのコピーをやろうか。」
タニーも同じに感じていたらしくそう提案した。
僕達は舞台に上がると、「本番の曲は秘密にして、リハーサルではコピーをやります。」と、最初にことわって、キングクリムゾンの“21世紀の精神異常者”をやり始めた。この曲をリリースした時点では、エマーソン、レイクアンドパーマーの、レイク、すなわちグレッグレイクはキングクリムゾンに在籍をしていて、ボーカルとベースをやっていた。この曲のボーカルは僕が務めたが、できるだけグレッグレイクの真似をして、客席の恵里子と理恵と、とりわけ、みずきに視線を送った。客席で、彼女たちと、イエスのコピーをやった連中には、かなり受けていたようだった。僕達は演奏を終わると、舞台を下りて、拍手しつづけてくれていた、みずき達のところにいった。

「すごーい。演奏も良かったけど、ボーカル、グレッグレイクそっくりですね。かっこいい。ねえ、あした本番で、ボーカルやりませんか。」
みずきが僕のひじをつかみながらねだってきた。
「あ、いや、君たちは女の子のバンドっていうのがひとつのセールスなんだから、僕なんかがはいったらその、その…。」
僕が、へどもどしていると、タニーが、
「だめだめ、こいつはぼくらの秘密兵器なんだから。簡単には貸し出ししないよ。また、別の機会にジョイントコンサートやろうよ。君たちとなら、レベルの高いものができそうだ。」
と会話を横取りして、いつのまにかセールスをしている。
「でも、すごいねえ。タルカスをコピーしてるのは日本でも君たちくらいじゃないのか。」
ふだん、他のアマチュアバンドには辛口のジュンも素直に褒めていた。
「ありがとう。でも、あなたたちクリムゾンのコピーうまかったけど、本番はオリジナルやるの?」
黒づくめのショートヘアの理恵が上目遣いに挑戦的態度で聞いてきた。
(この子、負けず嫌いで相当自信があるみたいだな。)
僕はそう感じた。
「その通り。明日は業界の方も見にくるそうだから、とっておきの練習を重ねた新曲をやるつもりだよ。」
タニーは、立川ハウスでの1度きりの練習であるにもかかわらず、 自信満々にこう応えた。


5.How are you today?

いよいよ本番当日、午後6時からの本番を前に、午後3時から最後のリハーサルが始まることになっていた。
僕は、ギターをかついで上野から京浜東北線に乗り、2時半に品川区公会堂に到着した。大井町に住んでいるジュンは、はやばやと会場の外のソファで煙草を吸いながら待機していた。

「もう来ていたのか。タニーは?」
「まだ来ていない。ほかのバンドはもう全員揃っている。」
「あいつ、日曜はレストランがかき入れ時だから、仕事行って抜けられなくなってるんじゃないか?」
僕は少し心配になった。
「たとえそうだとしても、奴なら休憩だといって抜け出して来るさ。で、店に帰ったとき、『すみません、困っているおばあさんがいて、家まで送っていって5時間かかってしまいました。』 くらいいって、平気で仕事に戻るさ。楽器といっても、ドラムセット運ぶわけじゃないし、スティック2本持ってくりゃいいんだから。」
と、ジュンはいつもどおり楽天的に悠然とかまえている。

「そうか、それもそうだね。」
と、僕もポケットからハイライトを取り出して火をつけた。本当は納得していなかったが。
客席への出入り口から、ELMの理恵とみずきが出てきた。みずきは本番用の今日は真っ白のパンツスーツ姿だった。理恵は黒の上下レザーのスーツにインナーは胸元のみえそうな襟ぐりの大きいTシャツだった。
「Hi! Tommy and Jun.  How are you today?  Where is Tanny?」
みずきは見事な発音で英語で僕達に挨拶をした。英語が得意なジュンが、
「Great thanks. But Tanny's not come yet.」
と、これまた上手に応えた。みずきは僕にむかって、
「もう、リハ始まっちゃうよ。だいじょうぶ?」
と心配そうに話しかけた。
「う、うん。いちおう最後だから。おそらく、リハーサルが始まるのが4時すぎでしょ。それまでには来るよきっと。」
僕はみずきにそう応えた。うしろにいた理恵が、
「オリジナル聞きたいから、二人になっても出演中止はしないでね。1度でも聞かせてくれていたら、私で良かったらピンチヒッターやってあげたんだけど。」
ちょっと、ハスキーな声で(意外にも)優しく微笑んで、そう言ってくれた。僕はもっと勝ち気できつい性格の子かなと思っていたが、こういう態度をとるととても素敵な女性に見えた。
「じゃあね。私たち楽屋でちょっと準備してくるね。そうだ、きょう、終わったら一緒に打ち上げしようよ。あの、イエスのコピーやるバンドのFLASHの人たちが誘ってきたんだけど、あの人たちとだけじゃ、なんか、やだから。ねえ、絶対行こうよ。」
みずきが前日に引き続き僕の腕をつかんで、懇願してきた。
「え、ええ。そうですか。ぜひ、行きましょう。」
僕は人懐っこい、みずきの態度にすこし戸惑いながらも、誘われたことも素直にうれしくて、即答してしまった。
「絶対だよ。裏切ったら、生きたままお化けになって追いかけるからね。」みずきはニコニコしながら、手を振って楽屋の方へ歩いていった。

「楽しい打ち上げになるよう、お互いがんばりましょうね。」
理恵もウインクしてさっと振り返り楽屋へと歩いていった。彼女たちが行ってしまった後で、ジュンがすこし唖然としながら、
「おい、もしかして、あのふたり、お前のこと気に入ってるんじゃないか。なんか、ライバル同士って雰囲気だったな。こりゃ、面白くなってきたね。ま、おれにゃ関係ないけどね。ふふふ。」
ジュンは新しいショートホープに火をつけて、無精ひげを撫でながらそう言った。
「そ、そうかな。それにしても、タニー遅いね。」
僕はどぎまぎしながら、タニーの遅刻のことに話しを変えた。

3時になり、他のバンドのリハーサルがはじまった。
前日と同様に出演順にリハーサルは進んでいった。さすがに当日なので、昨日とは違いみんなかなり真剣で、本番さながらパワーが入っていった。

ELMのリハーサルが始まった。今日はみんな素敵な格好をしていたのでよりいっそう華やかなステージだった。
そして、僕達の番になったが、タニーはまだ現れていなかった。


6.HELP理恵

「おい、タニーなしでどうする。」
僕はジュンにしても仕方のない質問をした。
「まだリハーサルだ。ふたりでやるさ。」
ジュンはこの期におよんでも、泰然自若としている。そこへみずきが後ろの席から話し掛けてきた。
「ねえ、タニー来てないでしょ。どうするの。」
彼女こそ本当に困っているようだった。そのときすかさずELMのドラムスの本木理恵が、
「クリムゾンだったら、代わりにドラムスたたいてあげるわ。リハだからバランスがわかればいいんでしょ。」
と身を乗り出してきた。(そのとき思わず、きわどい胸元に眼がいってしまってひとりで赤面したのだが。)
「よし、きまった。ピンチヒッターだ。リハーサルは理恵ちゃんにやってもらおう。トミーいこうぜ。」
即断即決のジュンがもうベースを持って立ち上がっていた。
そういうわけで、なんと本番直前のリハーサルも、あの立川ハウスで作ったオリジナルはやれずにコピーをやることにした。曲はキングクリムゾンのREDだった。

理恵もクリムゾンの曲は殆ど知っていると言っただけに、正確にリズムを刻んでいた。そして、女性にしてはかなりパワフルで抜けの良い気持ちの良い音だった。目で合図をしながら、様子を見ながらの演奏にはなってしまったが、テクニック的には僕達のレベルと同等だったので、曲としてはまとまった。
客席にいる他のバンドの連中は、オリジナルをやるといっていたことに対して失望をしていたようだったが、飛び入りのメンバーとのセッションには興味がある、といった反応だった。

演奏が終わって、客席へ戻ったら、みずきが、
「すごーい。はじめて合わせたなんておもえない。前から一緒にやっていたみたい。なんか妬けちゃうな。」
と口ではそういいながら、とてもうれしそうに僕達を迎えてくれた。
「とっても、いい感じだったわ。私たち一緒にやったらきっといいと思う。」
タオルで汗を拭きながら、理恵が僕に向かって言った。

「ところで君たちはいくつなんだい。」
と、ジュンが女性に対してはいかがなものかと思われる質問をした。
「私たちも大学1年生なの。同い年ですよ。」
赤いエナメルのジャケットを着た、長身のモデルのような片岡恵里子がジュンに応えた。そしてつづけた。
「きんどーちゃん、つまり佐島水木は国立音大の1年生。ピアノの先生をバイトでやってるの。理恵はああみえて聖心なの。私はフェリスです。」
「ふーん。僕達とおんなじでみんな違うんだ。」
と、僕が変に感心していると、後ろの客席の扉がばたんと開いて、映画“卒業”のワンシーンのように人物が立っていた。

タニーだった。
彼は大声で、「ごめん。遅れちゃって。途中でお婆さんが道で転んでいて、助けてあげて家まで送っていたら、遅刻してしまったんだ。でも、放っておけなかったんだよ。」
と、言った。おそらく嘘ではないのだろうが、僕とジュンは大笑いしてしまった。


7.突然の約束

タニーの遅刻の理由には笑ってしまったものの、オリジナルの曲をやるとすればぶっつけ本番になってしまうという、大ピンチの状況に僕達は立たされていた。
「せめて、昨日のリハでやっておけば良かったね。」
僕は、会場のロビーでたばこをのんびり吸っているジュンにそう言った。

「おまえの悪い癖だな。過ぎたことを考えてみたって何も得られないよ。俺達は立川ハウスでその場で曲を作りながら演奏できたじゃないか。いいか、あの感覚だ。俺達くらいになれば、練習を積んだからといって必ず良い演奏ができるとは限らないじゃないか。」
ジュンはいつになく真剣に僕とタニーに語りかけた。
「たしかに、これまでも何回かレコーディングしたけど、前より良くなると思って、もうワンテイクなんて録ってみても、ああ、やっぱり前のが良かったなって思ったこと多いよね。」
タニーは自分の責任だということをすっかり忘れて前向きに同意している。

「なにより、リラックスすることだ。気楽にやればだいじょうぶだよ。これこそオリジナルの強みだ。俺達だって何が合っていて何が間違いか確信がないんだから、何もびくびくすることはないよ。それにいまさら、コピーをやります、なんて死んでも言えないからな。」
ジュンは励ますように僕の肩をポンと軽くたたいた。彼はそういった矢先に、譜面を取り出してタニーとフレーズの切れ目の部分の打ち合わせをはじめた。たしかにリラックスしているのだが決して手は抜かない、というのが彼の流儀だった。

そこへ、みずきが紙コップのコカコーラをふたつ持ってやってきた。煙草を吸っていた僕のところへ来ると、
「ねえ、コーラ飲むでしょ。どうぞ。」と、コーラを渡してくれた。
「ちょうど喉が渇いていたんだ。ありがとう。」
すると、みずきは内緒話をするように、
ねえ、リハーサルなしでだいじょうぶ? オリジナル曲をやらないなんて言わないでね。」
と、心配そうに言ってくれた。僕はコーラをひと口飲むと、心の内とは裏腹に、
「やらないわけないじゃない。僕達はオリジナルバンドなんだから。でも、ノリしだいでどんな曲になっちゃうかは作曲者の僕自身もよくわからないんだ。」
と、おそらくジュンならこう言うだろうという答えを返した。

「かっこいーい。私なんかいくら練習しても間違えやしないかっていつも本番はドキドキ。やっぱりコピーってつまらないよね。ねえ、トミーが曲作るの? 一度わたくし、佐島水木もキーボードで一緒にやりたかったな。」
「みずきちゃんとアドリブの掛け合いやったら面白そうだね。」

「やだ、みずきちゃんなんて。みずきって呼んで。アドリブの掛け合いか、チャンスを作って絶対やりたいね。そうだ、ポスターで見たけど、トミーの本名は富永茂樹っていうんだね。」
「そうだよ。」
「トミーじゃなくて私だけシゲキって呼んでもいい?」
「いいにきまってる。僕の名前だもの。」

「私だけに特別に許可して。他の子に呼ばせたら...。」
「生きたまま、おばけになって追っかける、んでしょ。」
「そう、その通りよ。約束だからね。」
「わかった。約束だ。」

みずきはコーラを飲むと、腕時計を見た。
「あ、もうすぐ始まっちゃう。じゃ、私たちの応援してね。私たちもトミーの応援するから。」
「ああ、ELMの演奏のとき大声援送るからね。とにかく、リラックスしてゆこう。楽しんで演奏できればきっと最高のプレイになるよ。」
「ありがとう。茂樹みたいな考え方、わたし、好きだわ。とっても勇気がわいてきた。それじゃ、また後でね。」

出番が先のみずきが、軽く敬礼をして足早に楽屋の方へ去っていた。お互い本番を前にしてハイな状態になっていることもあって思わぬ約束をしたことで、別の意味の気持ちの高揚感を味わっていた。 さきほどまで、本番への不安でけっこう緊張していたのだが、それはどこかへ飛んでしまって、みずきのことで頭がいっぱいになっていた。

みずきのかわいらしい声で、
『茂樹みたいな考え方、わたし、好きだわ。』
といわれた一言が耳にずっと残っていた。僕は残りのコーラを一気に飲み干した。

「あれ、なんか明るい表情になっちゃって、どうしたんだい。」
入念な打ち合わせに熱中していたジュンとタニーが僕に気づいた。よっぽどうれしそうな顔をしていたのだろう。
「このコンサートはきっとうまくいく。そんな予感がするんだ。」
僕はすこし唖然としている二人にそう応えた。

いよいよ、開場となり、ロビーには各バンドの知り合いを中心にして意外にも大勢の観客が入ってきた。
そして、30分後最初のバンドの演奏が始まった。
曲はハイウェイスターだった。


8.この場所でこの時しかない僕達の音

ディープパープルのコピーバンドはリハーサルよりもかなり力がはいっていた。リッチーブラックモアの完全コピーのギターは舞台上を所狭しと動き回り、ほぼ満員の観客は一気に大乗りになった。
その勢いを受けて、2番手のイエスのコピーバンドも、リックウェイクマンも顔負けのキーボードプレイを聞かせてくれた。ギターはさすがにスティーブハウのようにはいかなかったが。

いよいよ3番手はELMだった。舞台上でセッテイングするみずきたちの表情は緊張がはりつめていた。それを見たタニーは、
「彼女たちみんな緊張しているよ。リラックスできるように声援を送ってあげようぜ。僕は理恵ちゃんっていうから、ジュンが恵里子ちゃんっていうんだ、そしてトミーはみずきちゃんって叫べ。いいな、いくぞ。」
と、言うとすかさず。「りえちゃーん。」と、大声で叫んだ。
そして、ジュンも、「えりこちゃーん。」と、親衛隊のように声をかけた。僕も間髪を入れず、
「みずきー。プレイを楽しめよー。」
と、手を振って声援を送った。すると、みずきは緊張した表情をほぐしてにっこり笑うと、ウィンクして人差し指と中指の2本の指で僕に敬礼をしてくれた。クールな感じのドラムスの理恵もハイハットやシンバルの位置を調整しながら、右手の親指を立てて答えてくれた。ベースの恵里子は、ふうっと深呼吸をしていた。

理恵がスティックでカウントをとって、エマーソン、レイク&パーマーの『タルカス』がはじまった。みずきの歯切れの良いキーボードと、理恵のパワフルなドラムス、そして恵里子の正確なベースラインに、観客は全員息をのんだ。最初の速いテンポのフレーズを乗り切り、観客の反応を感じ取ると、彼女たちは完全に自分のペースでドライブしていた。

「リハーサルより、全然いいね。」
僕は大音響の中、ジュンにそういった。ジュンは、
「お前のひとことが効いたんじゃねえか。俺らも、こんな感じでいこうぜ。」
と、笑いながら応えた。

彼女たちの演奏は今までのなかでもっとも大きな声援を受けながら幕を閉じた。僕達も大騒ぎだった。
そして、そのあとのツェッペリンコピーのバンドの『天国への階段』を聞いていると、恵里子と理恵とみずきが客席にもどってきた。僕達は舞台上の演奏そっちのけで拍手をして迎えた。

「すっごく良かったよ。リハよりずっと。聞いてる方も引き込まれた。」
僕はとなりに座ったみずきの耳に口を寄せてそう告げた。
「茂樹のおかげよ。ありがとう。」
彼女は僕を見つめてそういうと、迷いなく僕の唇にキスをした。

あまりにもあざやかですばやかったために、誰も気がつかなかった。僕は正直言ってびっくりしたものの、ほんとは僕の方から、みずきのことを抱きしめたいくらいに思っていたので、とても自然なことのように感じた。

「さあ、こんどは茂樹の番よ。今日、この場所で、この時にしかない、あなたの音を作って聞かせて。」
みずきは真剣な顔でそう言った。

僕はうなずくと、席を立った。ジュンは美形のベーシストの恵里子と、タニーは宝塚系のドラマーの理恵とやはり何か話しをしているようだった。(まさか、キスはしなかっただろうが。)彼らも立ち上がった。

「さあ、楽しい本番の始まりだ。」
ジュンはジミーペイジのフレーズの大音響の中そう言っていたようだった。

いよいよ、僕達の前の5番目のクラプトンコピーのバンドの演奏が終わった。彼らが片づけた後、舞台上に出ていってセッテイングを開始した。舞台のライトは思ったより明るく、観客席はあまり見えなかった。が、そこへ、
「ジューン。」
という恵里子の声、そして続いて、
「タニー。」
と、理恵のハスキーな声が、そして、
「しげきー、すてきー。大好きだよー。」
という、みずきの声援が聞こえた。暗く見える観客席で、みずきたちが手を振っているのが解った。みずきは理恵に軽くこづかれていたようだった。僕はすこし照れくさかったが、とてもうれしかった。そして、みずきのまねをしてウィンクをすると、右手で2本指で敬礼を返した。

「それでは、組曲:地下帝国アガルタ、というオリジナルを演奏します。」と、ジュンがボーカル用のマイクで説明をした。

最初は、ジュンはフルアコのかしまし娘のようなギターを持って、チューニングをする振りをして、ボリュームをセッテイングした。全員準備が終わると、僕が目で合図をして、僕と、ジュンのギターのハーモニーで「SILENCE」はスタートした。

出だしはやはりバランスが合っていなかったが、弾きながらすぐにフットボリュームをコントロールして、3度のクラシック調のハーモニーはきれいに決まった。観客は静まり返ってしまったが、決して白けているのではないのは解っていた。1曲目が終わったところで、直前の打ち合わせで決めたとおり、タニーが嵐のようなドラムソロを決めた。ジュンはフルアコギターをベースに持ち替えた。バスタムのロールのあと、カウントをとって、「FALL TO RUIN」がはじまった。

そのときには、僕達には観客を前にした緊張、というものはなくなっていた。僕は、『この場所で、この時にしかない、自分の音』をただひたすら、みずきに聞かせたかった。

おのおののソロ部分や、ベースとドラムスの掛け合いなど、立川の練習では、やらなかったパッセージがつぎつぎ止まらない感じで、沸いて出てきていた。そして、曲は盛り上がるだけ盛り上がった後、全員が楽器をかき鳴らし、エンディングを迎えた。
観衆は、一瞬の沈黙の後、立ち上がっての拍手、いわゆるスタンデイングオベイションで迎えてくれた。

これまでで最高の演奏だった。


9.みずき

アンコールにこたえて、僕達は今日のリハーサルでやった、キングクリムゾンのREDを楽しんで演奏した。

曲が終わった後の拍手の鳴り止まぬ中、僕はみずきに向かって小さくガッツポーズをした。みずきは手を振って何か叫んでいた。何を言っていたかは拍手でかき消されて聞こえなかったが。
僕達は楽器を片づけて、客席へ降りていった。大半の観客が帰りはじめていたが、出演者達はまだ残っていて、お互いのバンドをお世辞半分だろうが、褒め称え合っていた。ELMのみんなが僕達を迎えてくれた。

「茂樹、最高だった。わたし、感動して涙が出そうだった。」
みずきが僕の手を握ってそう言った。

「みずきのお陰だよ。ありがとう。」
さすがにみんなが見ていたのでキスはしなかったが、理恵には冷やかされた。
「もう、いつのまに抜け駆けして名前で呼び合うようになっちゃったの?でも、みずきは前からネ...。」
理恵が思わせぶりに言うと、ふふっと微笑んで今度はタニーに話し掛けていた。みずきは僕に、

「とにかく、私たち両方ともいい演奏ができて良かったわ。後は打ち上げね。場所は大井町の駅前の"JOY“っていうパブだって。」 と、言った後で、小声で、
「ふたりで途中で抜け出そう?わたし、車で来ているから一緒に乗っていこうね。ギターは先に積んどいて。」
と告げた。僕はもちろん、
「オーケイ。」
と小さな声で答えた。

少し後で、みずきはキーボードを抱えて車に運ぼうとしていた。僕もさりげなくギターを持って駐車場の方へついていった。
「この車よ。」
彼女がキーを開けたその車は、なんと、ボルボの赤いステーションワゴンだった。
「こ、これが、君の車なの?」
リアゲートを開けながら、「そうよ。」と明るい色の髪の毛を揺らして振り向いて、優しく笑いながら答えた。

「あれ、ギターどうしたの。」
みんなで揃ってパブへ歩いてゆく道で、タニーが気づいて質問してきた。「あ、ああ、荷物になるから預けてきた。」
僕は適当に答えた。

パブは今日の出演者で結構混んでいた。そこここで、ロック談義が盛り上がっていた。レコード会社の人がチェックをしていただとか、本当とも嘘ともつかない話しも聞こえてきていた。タニーは理恵とドラムスのテクニックについて大きな声で語り合っていた。ジュンは、なんとあのモデル系美女の恵里子と人生を語り合っているようだった。
(なんか、みんなうまくやってるじゃない。)と、僕は思いながら、みずきと、イエスコピーのバンドのキーボーディストと話しをしていた。

1時間もしないうちに、僕の前に座っていたみずきが目で合図をしてきた。
(行くわよ。みんなに気づかれないように!) と、表情が語っていた。

席も入り乱れていたので、さして気にもされずにふたりで抜け出すことができた。店の外に出ると僕達は手をつないで車へといそいだ。みずきはボルボのエンジンをかけて、スタートさせた。

「今日は、わたしのうちへ来て。」
「えっ。うちへ行ってもいいの?」
「いいわ。わたしひとりだから。」

ひとりぐらしの所へ行っていいんだろうか、もう、8時をまわってるのに....。車は新幹線のガードをくぐって洗足池の方へ向かっていた。
「家は東雪ケ谷なの。」
中原街道から、細い道へはいってゆくと、立派な門構えの家の前で停まった。みずきは車をおりて、インターホンで何か言うと、鉄の門扉は自動的に開いた。
「うちって、こんなすごいうちだったんだ。でも、さっき、きょうはひとりだって言ってたじゃない。門は誰が開けてくれたの?」
「ああ、あれ。離れにお手伝いさんと、じいやがいるの。」
車を敷地内にいれると車寄せのある玄関に横付けした。みずきは、
「楽器を部屋に持ってゆきましょう。」
といってキーボードを持とうとしたので、
「あ、そっちを僕が持つから、みずきはギターを持っていって。」
「あ、どうもありがと。」
と言って頬にキスをしてくれた。

中へ入ると驚くほど広いホールがあった。「こっちよ。」と、彼女が案内してくれた部屋は、まるでスタジオのような部屋だった。
「君って、いったい...。」
「何者だっていうんでしょ。母方のおじいちゃまがお金持ちだったの。パパは外交官で、ママはスパニッシュと日本人のハーフよ。ふたりは今ベルギーにいるわ。おじいちゃまもヨーロッパで仕事していたので、そこでママが生まれたっていうわけ。だから、私はスパニッシュのクォーターよ。」

「ふうん。なんか、すごいね。僕なんか上野の食堂の息子だから想像もつかないな。」
「別に、うちがすごいって言ったって、私が努力したわけでもなんでもないから。でもね、言っておくけど、わたし、家に連れてきた男の人って茂樹が初めてなのよ。誰でも連れ込んだりするわけじゃないのよ。」
「どうして。僕を連れてきてくれたの。」
キーボードのケースを置きながら、僕は質問した。

「昨日、知り合ったばかりなのに?っていうんでしょ。ほんとはね、ずうっと前から、わたし、茂樹のこと知っていたの。都立高校の学園祭で初めて見て、結構、追いかけていたんだ。トミーのファンだったの。でも、本名とかはわからなくて。」
いたずらっぽく彼女は笑うと、
「今回のコンサートも、JISがでるって聞いて、無理に入れてもらったんだ。つまり、茂樹を狙い撃ち。」
「なんか。信じられないな。」

「様子を窺っていたら、彼女も来ていないみたいだし。それで、一気にたたみかけたのよ。積極的な女は嫌い?」
僕のほうは、確かに会って2日目なのだが、すっかりみずきのことが好きになっていた。

「僕だって、誰でも誘われればついてゆくってわけじゃないよ。僕としては昨日出会ったばかりだけど、波長がぴたっとあったって感じかな。」
ひといきいれると、

「みずきのこと、とっても好きだよ。」
「こんな家にすんでる娘って、気味悪くない?」
「全然。それは、びっくりはしたけど、君がたとえボロいアパートに住んでいても、みずきのことが好きだよ。」
「やっぱり、あなたって、私が思った通りの人ね。たいていの男の人は私の家が目当てか、逆に腰抜かしてにげていっちゃうかのどっちかだったわ。」

みずきは僕の方に寄り添ってきて胸に顔をうずめるように軽く抱きついてきた。
「良かった。きょう、来てくれて。とても、うれしいわ。」
みずきは目を閉じて顔を上に向けた。僕もみずきに会えたことがうれしかった。僕は彼女を強く抱いて迷わず唇にキスをした。優しい時間がゆっくりと過ぎた後で、みずきは言った。

「ねえ、さっそく、しようか。」
僕は単刀直入に言われてあせってしまった。
「えっ!。そんな。しようかって...。」
みずきは可笑しそうに笑いながら、

「やだ、セッションよ。楽器は揃ってるし、ベースとドラムスだけの練習用のテープもあるし。アドリブの掛け合いをやろう?この部屋完全防音だから一晩中やっていても大丈夫よ。」
「あ、ああ。そうだよね。セッションしよう。しよう。」

僕は汗をかきながら、ギターを取り出した。するとみずきは耳元で、
「茂樹の考えていたことは、そ・の・あ・と、でね。」
というと、「着替えて来るから。」と言って部屋を出て行った。


10.旅立ち

しばらくすると、みずきは白いモヘアのVネックのセーターとジーンズに着替えて、ブランデー、アイスペール、水差し、グラスとゴブレットそしておつまみをワゴンにのせて持ってきた。襟元に金色のネックレスが光っていた。

「お待たせ、おつまみはハムとチーズとオイルサージンのマヨネーズ焼き。」
「手早いじゃない。君がこしらえたの?」
「もちろん。これでも一応、女の子ですもの。お酒はよくわかんないけど、あったのを持ってきたわ。」

持ってきたのはヘネシーの年代物だった。みずきはふたつのブランデーグラスにブランデーを注ぐと、
「あなたの瞳に乾杯!」
と言って、グラスを掲げた。僕はすぐにピンときて、
「そして、これから僕達が犯すあやまちに乾杯。」
と言って乾杯をした。たしか、“カサブランカ”のセリフだったと思った。

「あやまち、か。いい響きよね。」
エキゾティックな微笑みを浮かべて、みずきはブランデーを口にふくんだ。

「酔っちゃう前に、セッションやろ。」
「オーケイ。じゃセッティングするね。」

彼女はキーボードを接続して、8チャンネルのミキサーと、2台のテープレコーダのスイッチとオーディオセットのメインアンプをオンにした。スピーカはJBLの巨大なスタジオモニターだった。その部屋にはフェンダーのギターアンプとベースアンプそしてパールのドラムセットが置いてあった。

そして、彼女は、さらさらと譜面を書いて、「じゃあ、この進行パターンのテープ行くわよ。」
と言って、テープをスタートさせた。重低音が炸裂した。フュージョン系の進行のフレーズだった。そして、彼女がローズのエレクトリックピアノの音でアドリブのフレーズを作っていった。僕は譜面のコード進行を追いかけてクリーンな音のサイドギターをつけた。彼女が32小節くらいフレーズを弾いた後、目で合図してくれた。僕がアドリブを取る番だった。僕はギターのボリュームを上げてフレーズを取った。みずきはコードをつけながら、心底うれしそうに笑った。

僕とみずきは、このように、数パターンアドリブ合戦をやったあと、また、ブランデーで乾杯した。ヘネシーは空になってしまった。

「私の部屋へ来て。」
みずきはそういって、僕の手を取って、オーディオセットの火も落とさずに彼女の部屋に案内してくれた。

ヨーロッパの映画の中で見るような部屋だった。みずきはベッドに座ると、「会って2日目で、こうなるなんて、なんて女だって思ってるでしょ。でも、考えてみて、地球ができて50億年でしょ。これを1年間にたとえると、人類の歴史なんておおみそかの午後11時55分以降だっていうわ。宇宙のスケールで考えれば、しょせん私たちの人生なんてはかないものよ。10年つきあっても、恋人になって2時間でもほとんど同じなの。」

「僕はね、日数よりも、運命を感じてるんだ。きっと、みずきとはいずれにしても出会って、好きになったんじゃないかって。」

「運命か。意志次第で変えられる運命と、変えられない運命があるよね。」
彼女はそういって、明かりを消した。

いつのまにか、朝になっていた。僕は目覚めると、ぼんやりとベッドの中で、立川ハウスから、リハーサル、本番、そして、みずきとのセッションをなにか大きな流れに巻き込まれたように感じながらも、心地よく思い出していた。
みずきはベッドの中にはもういなかった。

(朝食の支度でもしているのかな。)と、思ったが、体の中にまだ気怠いような満たされたような感覚が残り、少し幸せだった。

「おはよう。起きた?」
みずきは昨日のモヘアのセーターを着ていた。胸のふくらみについ昨夜のことを思い出してしまった。

「あ、おはよう。いま何時?」
「もう10時だけど、ゆっくりしてて。」
「そうはいかないよ。もう起きるさ。」
みずきはベッドに座って僕に優しくキスをすると、

「実は、きのう、どうしても言えなかったんだけど、わたし、今日、遠くへ行かなければならないの。」
「えっ、遠くってどこへ。」
僕は服を着ながら、何気なくそう聞いた。

「ほんとは9月から転入する手続きは済んでたんだけど、わたし、ベルリンの国立音楽院に留学するの。そして、今日、フライトなの。」
僕は、「えっ。」と言ったまま絶句してしまった。

「昨日のROCK GIGのために、行くのを伸ばしていたの。どうしても、茂樹と一度は一緒にいたくて。ELMもだいぶ前に解散してたの。でも、理恵と恵里子にたのんで出てもらったのよ。」

「今日って、何時のフライトなの?」
「5時、成田からのルフトハンザ。あ、見送りには来ないで、行けなくなっちゃうから。」

「いつ、帰って来るの?」
「4年は行ってるつもり。わたしねえ。これでも、けっこうクラシックのコンテストで優勝してたんだ。それで、どうしても行かなきゃならないの。でも、前にコンサートであなたのフレーズ聞いたときに、音楽に対する考え方が変わったわ。自由で、リラックスしている音楽っていうのかな。これこそ私が目指すものって思ったわ。・・・」

少し間をあけて、
「あなたが、私の人生を変えたのよ。・・・・・だから、責任とってもらったの。」
そう言った。

「そうなんだ。」
他に言葉はなかった。正直言えば、あまりの速い展開に(ちょっと待ってよ)と叫びたいくらいだったが、みずきは出発の支度を再開しはじめていた。

「まる2日の恋人で、終わってしまうのかな。」
僕は恐る恐るきいてみた。
「それは、あなた次第よ。ボルボのキーあげるわ。私がいないあいだ、自由に使って。あ、ウィンカーとワイパーのスイッチは日本車と逆だからね。・・・・・・・でもね、助手席に他の女の子乗せたら、…。」

「生きたまま、ベルリンからお化けになって追っかけてくれる?それじゃあ、毎日、いろんな女の子のせるよ。みずきに会いたいもの。」
僕達はお互いに見詰め合ったまま笑った。そして、彼女を抱きしめた。

「おととい、会ったばかりなのに、みずきとはずうっと一緒にいたような気がする。....どうしても行ってしまうのか?」
僕は無駄とは知っていたが、最後の質問をした。みずきは笑ってうなづくと、
「昨日のあなたたちの演奏、とても感動したわ。わたし、ああいう音楽を作れるように勉強して来るわ。そしたら、また、...かならず会ってね。」もう一度、忘れがたいキスをすると。

「じゃあ、もう、タクシー来てるから。…・またね。 See you!」
と言うと、みずきは得意の敬礼をして部屋をでていった。

追いかけてゆくと、玄関には6人の使用人らしき人が見送りに出ていた。「行ってらっしゃいませ。」
その声に送られて、みずきはタクシーに乗り込んだ。僕はどういう態度を取っていいのかわからなかったが、タクシーに駆け寄って言った。

「みずき、かならず連絡してね。電話番号は...」
「理恵たちに連絡とって。それじゃあ。…どうも、ありがとう。無理きいてくれて…」
そして、タクシーは砂利の埃をまきあげながら出発した。

僕は彼女から受け取ったボルボのキーを握り締めて少し考えた後、見送っていた初老の人に、『これを、お願いします。』と言ってキーを渡すと、ギターを抱えて、邸宅の外へ出た。

東京の秋の乾いた風が気持ちよかった。みずきの去っていった方向の坂道をしばらく見つめていた。

その後、佐島水木とは会うことはなかった。しかし、たった2日間のことであったのに、その後の人生で、決して、みずきを忘れたこともなかった。


END
その20年後「香港 Midnight Story - See You Again



みずきのテーマ曲「みずき 旅立ち」

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