far from

ふらふらとした生活の中で

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ふらふらとした生活の中で

最近の記事

気づいたら冬が終わりかけていて、久しぶりにバイクでも乗ろうかなと思った。東京の自宅からGoogleマップをどんどん縮小していって、国道6号線が目についた。震災と原発事故以来、通行禁止とされていた6号線。一昨年くらいからバイクで走れるようになったのは知っていた。東京から千葉・茨城・福島を経由して仙台へ抜けられる大きな国道。いわきあたりまで電車で行ってバイクを借りれば、1日で往復してお釣りがくるくらいの距離であった。いわき駅の近くにレンタルできるバイクショップを見つけ何の予定を考

    • BOY MEETS NUMBER GIRL

      日比谷野音でNUMBER GIRLとeastern youthの対バンを観た。といって17歳の私は信じるだろうか。でも観たのだ。観てしまったのである。しっかりとこの目でこの耳で。 5月初旬の日比谷野音。曇り空、若干の湿気とともに夕方からライブは始まった。上手側最前列一番端というおそらく一生分の運を使ってしまったであろう座席からただひたすらに二組のバンドの演奏を浴び続けた。外音用の大きなスピーカーが眼前に位置していたので、この日一番でかい音でライブを観たのは間違いなく私であっ

      • 文庫本の天秤

        転職をしてからというもの、昼ごはんを外のお店で食べることが多くなった。社会人になってすぐ、新卒で入った会社は数百円で定食が食べられる社員食堂があったので常にそこで済ませていたのだが、転職先はそういった制度もなく基本的に外のお店で調達することになる。いわゆるランチ戦争に巻き込まれている。今のところの戦績は気持ち的には2勝7敗くらい。込み入った店内で落ち着かないまま昼飯を食べている。 会社の人に誘われて1000円ちょっとのランチを食べているとき、「このお金で文庫本2冊買えるな」

        • 無敵感

          先日、めでたく26歳となり、20代も折り返し、後半に差し掛かった。10代のころは、人は20歳で何かが終わってあとはもう死んだように生きていくんだと割と本気で思ってたりもしていたが、20歳が近づくとまあ25歳まではアディショナルタイムみたいなものでと、誰に言われたでもない期限を頭の中で先延ばししていた。でも残念ながら25歳もふんわりと終わってしまい、いやあやっぱり30歳までは終わらないでしょうとか自分を甘やかしたりしている。今ここの地点。 不思議と歳をとることに焦りはない。死

          リセールバリュー

          ものを綺麗に扱うのが苦手だからか、文庫本がカバンの中でよくくしゃくしゃになる。カバーには傷がつくしページが折れることだってしょっちゅうだ。そんなあられもない姿を見つけてしまうと、本に対する申し訳なさといたたまれなさに苛まれる。まあでも自分の本だし読めるからいいかと考えてなんとかその場を乗り切る。 それでも最近は、ものに傷がつくのを昔より気にすることが多くなった。ものを長く使いたいという気持ちももちろんあるが、そんなことよりも大事に使って次売るときに高く売りたいという気持ちか

          リセールバリュー

          台本通り

          2020年の8月が終わる。 全人類の8割ぐらいが、なんか思ってたんと違うとなっていそうなくらい、史上最高によくわからないまま月日は流れていった。 カレンダーは、例年と変わらずいそいそと進んでいくし、いつの間にか春が終わり、梅雨があけ、お盆を越していき、気温も気候も、夏の最後の踏ん張りを応援しようと最後の力を振り絞っている。 スマートフォンの写真フォルダは3月くらいからほとんど更新されていない。フィルムも半年くらいかけて、やっと一つ現像に出した。本来乗るはずだった情景描写

          台本通り

          見えすぎて困る

          メガネの度数を落とした。 小さい頃から、視力があまり良くなくて、メガネなりコンタクトなりで矯正された視界の中で、日常のほとんどを生きてきた。裸眼で測る視力検査ほど嫌いなものはなかった。あれほど善悪がはっきりした残酷な空間はない。 ああ、これも見えないんですね。。じゃあこれは? ああ、これも見えないんですね。。。。。じゃあ、ええと。。 と、見えることが普通であり、見えないことが悪である(おそらく検査している側にそんな気持ちはない)かのように扱われてしまうような空間がとて

          見えすぎて困る

          画面越しの離別

          連休中に祖父が他界した。 地元に戻って一目でも祖父に会いたかったが、残念ながらこの状況なので直接お別れを言うことはできなかった。連絡をうけたその電話で、自宅で静かに最期を迎えた祖父の顔を、ビデオ通話越しに眺め、ありがとうとだけ伝えて通話を切った。その間、実に5分程度。世の中が緊急事態だなんだでバタバタとしているのとは無縁に、ただすやすやと寝ているような穏やかな顔であった。 まさか、ビデオ通話越しに最期のお別れをすることになるとは、全く想像もしていなかった。スマートフォンの

          画面越しの離別

          余韻と反芻

          7畳半1K自主的幽閉が続いている。 仕事を在宅勤務で済ませ、休日も基本的に自宅で過ごしている。人混みに揉まれることもないし、朝も遅く起きれるし帰りも遅くならない。自宅でゆっくり料理もできるし、休みの日には大好きな本や音楽に囲まれながら、自宅でのんびり過ごす。なんとまあ優雅な生活だろうか。望んだ幸せがここにあった。 なのに、なぜか全然楽しくない。むしろ疲れてしまう。 自宅で仕事をするようになって、生活のあらゆるカテゴリーのものが一緒くたになってしまった。平日も休日も、同じ

          余韻と反芻

          マスク

          実家から封筒が届いた。ポストから取り出し、びりっと開けると中からはジップロックに入ったマスクが15枚。昨今の状況を鑑みた暖かい仕送りだと思い、母親に感謝の言葉をラインで送る。ここまで違和感は全くなく家に入った。 改めて思い返すと違和感を覚えなかったことに違和感を覚える。未だかつて、マスクだけを親が送ってくることなんてあっただろうか。そしてそれを当たり前のように受け取ってしまうことなんて、数年前の自分にできただろうか。いかにここ最近が、過去と比べて不思議な状況の中にあるのか、

          マスク

          甲虫王者ムシキング

          小さい時から思っていたが、 これほど無駄のない二重日本語はないと思う。 しばしば例として使われる「頭痛が痛い」ですら、 間に「が」が挟まっている。 それに比べて、この言葉は全くスキがない。 「甲虫王者」と「ムシキング」 一文字も無駄なく美しく被っている。 シンプルな構成と完璧なまでの文字の被りに 非常に高いテクニカルエレメンツが期待できる。 ふとした時にこの事実を人に言いたくなってしまうくらいには ずっと心に残っている。気は確かだ。 そんなことを話してい

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          彼らに上京の詞は書けない

          東京に住み始めて半年が過ぎた。 相変わらず人にも情報にも酔ってしまうときもあるが、少しずつ体も心も東京という街に慣れてきている。大学一年生のときなんとなく東京に行ってみようと夜行バスに乗り込み、ふらふらと歩いた時、あまりの雑踏と喧騒に、こんなとこに自分は住めないだろうと思っていたものであるが、慣れてしまうとなんてことなくなったりしてしまう。 東京で生活していると、当然幼少期からずっと東京やその付近で育ってきた人にも出会う。その人と話していると、やはり何か育ってきた環境の違

          彼らに上京の詞は書けない

          一丸となって

          ここ最近のコロナウイルス騒動の中、自分が勤めている会社でも在宅勤務など、感染拡大防止策の実行指示が出た。社内では上層部からの通達とともに、その基となった厚生労働省の発信(以下引用)が読まれた。 新型コロナウイルス感染症については、これまで水際での対策を講じてきていますが、ここに来て国内の複数地域で、感染経路が明らかではない患者が散発的に発生しており、一部地域には小規模の患者クラスター(集団)が把握されている状態になっています。しかし、現時点では、まだ大規模な感染拡大が認めら

          一丸となって

          鈍くなる感覚

          会社員というある種の公的存在として生きる自分を眺めてみて、いろんな感覚が鈍くなっていくのを感じている。本当は気にしなきゃいけないけれども、まあいいか。見えてるけど面倒だから見えてないふり。聞こえてるけど巻き込まれたくないから聞こえないふり。最初はふりをしているだけなのに、そのうち本当に感覚が鈍くなっていくような気がしてならない。心ない一言や、なんとも言えない理不尽さになんでやねんと心の中でツッコむことすらなくなり、ただひたすらに日々を鈍く過ごすようになってしまった気がしてなら

          鈍くなる感覚

          出ない杭は埋もれる

          インドでは、屋台のご飯、メトロの切符、荷物検査、あらゆるところで並んでいる途中横入りをされる。人が一人が入れるか入れないかそのぐらいの隙間でさえ、するっと何食わぬ顔で横入りをして来る。 したがって、行列に並ぶときは、バスケットボールのディフェンスさながら前のひとをぴったりマークするか、他の人を手や腕、自分の体を使って制さなければならない。極めて面倒くさい。 そして、とりあえず言っとけ、やっとけみたいな精神がある。もの一つ買うにしろ、リキシャに乗るにしろ、とりあえずむちゃく

          出ない杭は埋もれる

          ソフトとハード

          デリーにもおなじみスターバックスは健在である。インド3大財閥のTATAグループとパートナーシップを組んでるので、TATAの文字が看板で輝いているのはインドならでは。しかし、メニューもお客も同じような感じ。 日本と同じようコーヒー片手に、Macbookをカタカタするインド人で溢れかえっている。彼らが海外メーカーの最新のスマートフォンで会話をするのを、こっそり盗み聞きすると、決まって「はろ?はろ?」と相手に叫んでいた。 インドはヒンディー語が公用語であるが、多言語国家であると

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