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台本通り

2020年の8月が終わる。

全人類の8割ぐらいが、なんか思ってたんと違うとなっていそうなくらい、史上最高によくわからないまま月日は流れていった。

カレンダーは、例年と変わらずいそいそと進んでいくし、いつの間にか春が終わり、梅雨があけ、お盆を越していき、気温も気候も、夏の最後の踏ん張りを応援しようと最後の力を振り絞っている。

スマートフォンの写真フォルダは3月くらいからほとんど更新されていない。フィルムも半年くらいかけて、やっと一つ現像に出した。本来乗るはずだった情景描写のアップデートの波を強引に奪われ、ぽつんと取り残されてしまったかのように感じる。3月ぐらいからはちょっとノーカウントにしませんかと公式に投書したいくらいだ。どこにすればいいのかはわからない。

本や映画を見て過去に潜る。思索に耽る。凝った料理を作る。弾きたかったギターやピアノを練習する。これはこれでいい。でもなんだか単調だ。全てが台本通りだ。大きな失敗もないし、衝突もない。アドリブを効かせてくる刺激的な登場人物もほとんどいない。舞台転換もなく、ずっと同じ場面のまま、物語が間延びしていく。空調の効いた部屋で、なんとなく、しかし確実に歳を重ねていく。気分的には足取りは止まったままなのに、無慈悲に進んでいく季節に切なさを覚える。

そんな切ない気持ちを抱えながら、本屋に行ったら新潮文庫の100冊が特集されていた。そろそろこれも夏の季語に認定されないかなとか思いながら、本を買い、銭湯に行って、散々風呂に入りポカリを飲んで帰った。自転車に乗って、水風呂で冷やされた体で、ぬくい空気を切り裂いていくのがなんだかとても心地よかった。

結局、じぶんが何をしようと夏は夏であった。そんな夏自身も2020年の8月はよくわからんなあと言っていたら少し嬉しい。

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