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画面越しの離別

連休中に祖父が他界した。

地元に戻って一目でも祖父に会いたかったが、残念ながらこの状況なので直接お別れを言うことはできなかった。連絡をうけたその電話で、自宅で静かに最期を迎えた祖父の顔を、ビデオ通話越しに眺め、ありがとうとだけ伝えて通話を切った。その間、実に5分程度。世の中が緊急事態だなんだでバタバタとしているのとは無縁に、ただすやすやと寝ているような穏やかな顔であった。

まさか、ビデオ通話越しに最期のお別れをすることになるとは、全く想像もしていなかった。スマートフォンの画面に映るのは安らかに眠る祖父の姿だけ。画面を通して感じ取るのは、純粋に祖父の死そのものであった。画面外にいる祖母や両親の表情やその場を取り巻いていたであろう独特の空気はまったく映らない。おかげで、その場にいるよりもむしろ純粋に「死」というものに向き合えた気さえする。ビデオ通話によって、強制的に視点が固定されてしまうから、目を背けることもできない。余分な情報を削ぎ落とされ、ただ純粋に祖父の死という事実をただまじまじと見つめるなかで、なんとも言えない感情になった。

一生でなんども味わえるかわからない感情だろう。寂しさや虚しさにも似ていて、それでいて、目前にいたのであれば当然味わったであろう喪失を受け止めれれないことに対するいたたまれなさや周りの人から滲み出るどんよりと曇った雰囲気に苛まれない一種の安堵が入り混じる。一言で表すのがむずかしい複雑な感情。そんなえも言われぬ感情の中でも、不思議と死を受け入れられないというような気持ちにはならなかった。

結局、その日はなんとなく祖父がよく飲んでいた缶ビールを買いに行って、ご飯を食べ、あとはいつもと変わらず本を読んだりギターを弾いたりして過ごした。祖父の死を奥まったところに隠される前に、画面越しではあるが包み隠さず向き合えたことで、妙にすっきりと彼の旅立ちを受け入ることができた。志村けんと入国審査ゾーンとかで偶然出会い、意気投合してくれたらいい。

また帰れるようになったら、その時は手を合わせに行こうと思う。

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