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「アート作品を作りたい」の原点にあるもの

以前、僕がアートに興味を持っていて、いずれアート作品を作ることに挑戦してみたい、というようなことを書きました。

もともとは「アート思考」を身につけることで、現実的な固定観念を打破して課題を見つけるような考え方ができるようになるのではないか、と学び始めたのが出発点でした。

で、楽しくなって実際に美術館に足を運んだり、デッサンの練習をしてみたり、数学アートの書籍を手に取ったりしているうちに、自分の中でちょっと疑問が浮かんできたのが一ヶ月前くらいのことです。

つまり、僕が抱いている「アート作品を作りたい」という気持ちを掘り下げて言語化してみる必要があるのかな、と思いました。

次の3つについて、考えてみたいと思います。

・なぜ表現したいのか
・なにを表現したいのか
・どんな手段で表現したいのか

なぜ表現したいのか

おそらく、何らかのアート作品を作ることそのものが目的ではなく、アート作品を作ることで何か成し遂げたいことが自分の中にあると考えます。

きっと僕の中には「自己表現して周囲から認められたい」「唯一無二の存在でありたい」というような欲求があるように感じています。僕がこれまで続けてきた仕事やコミュニティ活動に関しても、この欲求が根底にあったように思います。

でも、なかなか実利的な活動の中では「自己表現」は周囲から求められていないことだったりします。思い返すと、この欲求のために失敗してきたことも多々ありました。

なので、日常とは離れた趣味的な活動の中で「アート作品」という形で自己表現することで、僕の中の承認欲求を満たしたいのかな、というのが根っこのところです。

なにを表現したいのか

「アート作品を作る」という行為が自己表現の手段とすると、その行為を通じて表現したいものが何か自分の中にあるはずです。

過去を振り返ってみると、僕の今の自己表現欲求の原点が見えてきました。それは「数学の美しさ・感動体験を学び、共有したい」というものです。

もともと中高生の頃から、無自覚的に勉強が好きだったのだと思います。ところが、大学時代に「数学を学ぼうとしたが駄目だった」という大きな挫折を経験します。この挫折というマイナスの経験をプラスに変えたい、そうしないと自分の経験が無価値だったことになる…という感情が、十数年が経過した今でもコンプレックスとして僕の奥底にあるように思います。

挫折の原因はさまざまでしたが、学生時代に学ぶ数学は数式や理論が多く、なかなか「数学の美しさ」を感覚的に理解したり体験したりできるものではなかったように思います。数学嫌いが多いのも、そういった理由があると思っています。

そのため、この数学の美しさや感動体験を「アート作品」を作るというアプローチで学び、共有してみたい、というのが僕の表現したいことです。

どんな手法で表現したいのか

アート作品を作るために、世の中にはいろんな手法があります。どの手法を選べば良いかは究極的にはなんでも良く、自分の興味やライフスタイルなどからしっくりくるものを選ぶのが良いのかな、と思います。

この手法については無数にあります。デッサン、水彩画、版画、デジタルアート、映像…まだまだ僕の知らない世界が広がっているでしょう。

現状では、あまり手法を絞らずたくさんのインプットが必要だと感じています。書籍を読んだり、美術館に行ったり、アートについてネットで調べたり、映画を見たり、人の話を聞いてみたり…たくさんの世界に触れる必要があるな、と思っています。

ただ現状では、実際に僕が取り組む対象として「シャープペンシルでのデッサン」と「クリエイティブ・コーディング」のふたつの手法を練習したい、と思っています。それぞれ惹かれる理由があるので、また別の機会にまとめてみたいですね。

おわりに

今回は、自身の「アート作品を作りたい」という気持ちについて深掘りしてみました。

自分の中にある欲求を見つめて言語化するのって、結構きつい作業だと思うんです。見たくない過去やコンプレックスに向き合わなきゃいけないし、実際僕もここまで言語化できるまでにすごく時間がかかっています。

でも、とても大事な作業なんですよね。

頭の中にあることは、アウトプットしないと価値がないと僕は考えています。少し抽象的ですが、アウトプットすることで他の人に認知されて、その認知が広がることで自分が世界にいる意味が見えてくる…という感覚です。

これってアート作品も同じで、作って終わりではなく、他の人に見せて伝えなければ意味がないのかな、なんて思いました。

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