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「禅の響 -ZEN no OTO- | 三谷清攬」のらりくらり

自然を制覇したと酔いしれる人間よ。
それが、どれだけ浅はかな行為か知っているであろうか。

自分に喜びを与えるのではなく、
他人に喜びを与えるのではなく、

自然に喜びを与えよ。
もっと感謝せよ。

そうすれば、繰り返される些細な四季の変化だけであっても、心は十分である。
多くを求めず、じっくりと生きよ。

大切なものは、いつも手の届く範囲にあるものだ。


 ここのところ、本当に強く、こうした思いを感じます。例えば、花を飾るとき、大抵の人は花屋で買ったり、咲いている花を切るでしょう。でも、落ちている牡丹であったり、金木犀であったり、そうしたものを持ち帰る方が、自然的で恩恵を受けている感じがします。演奏会で花をもらったりする事は嬉しいのですけどね。

 僕の心はいつだって、自然と居たいと願っています。自然の森のそばに住みたいと。でもそうした場所でさえ、それは人間が切り開いた場所でしょうし、心が痛む時があります。申し訳ないと思うと共に、だから、自然を大切に思います。

 僕は二十代の頃、ネイチャーリングと出会いました。話したそうな樹があれば、触れてみますし、毎年出向く森には尊敬する樹があります。また森も待っていてくれる時があります。それを重ねていると森全体が元気な時があったり、全く元気がなかったり、受け入れてくれなかったり。そうした事を感じるようになりました。

 自然は僕たちより、高等で歳をとっていて、気の使い方がとても上手です。なのに、恩恵を忘れて、ただ楽しむだけに森に入ったり、歩いている土の下には小さな命が沢山あるのに、そうした気持ちも忘れて、歩いている。

 山が汚れれば、川が汚れ、海も汚れていきます。だから絶対に自然を制覇する気持ちを持ってはいけない。

 僕はそう思います。

 自然に感謝すれば、足るを知る事ができます。足るを知れば、今の生活が如何に贅沢で、必要以上に自ら自然破壊をしているかわかります。

 もちろん、身体も精神の感覚も鈍っている事も。

 だから、知ってほしいです。喜びは自然と共に。

 

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