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旅に出ようぜ~京都磔磔と琵琶湖疏水~

2024年4月6日 土曜日
幸運なことに、京都にあるライブハウス磔磔へ、くるりのライブを聴きに行くことができました。磔磔の50周年記念のライブということで、たくさんの方々のとても素敵なライブハウスへの長年の想いと築100年を超える元酒蔵だった建物の温かみも含まれた空間で聴くくるりの音は、ホールで聴く時と少し違って、一音ごと、歌詞の言葉一つ一つがより有機的に暖かい雰囲気が流れて、とても心地よい感動的なライブでした。

最近のライブであまり演奏されてなかった曲も聴くことができて(鍋の中のつみれ!ハム食べたい‼ 聴きたいと思っていたので嬉しかったです!)、また、その曲を知らないとつぶやきながら聴いてるうちに音にのめり込んでゆく若い人たちの表情を目にした瞬間、壁に書かれたこれまで出演されたアーティストの方々のサイン、超満員のライブハウスだからこその居心地の良さも楽しめました。

岸田さんと佐藤さんの磔磔への想い、松本さん、野崎さん、石若さん、聴いてるファンの想い、その場にいる人のいろんな感情の全てが音楽の波にやさしく揺られているようで、心の奥底にしまい込んだ苦しさやつらさが溶かされて、自然に涙が流れてました。

京都 ライブハウス磔磔の看板
2024.4.6 ライブハウス磔磔にて

くるりの曲を聴き始めた頃から、私にとっては、日常でも妄想でも精神的にでも、他のアーティストさんの曲以上にどこかへ旅をしてる気持ちになれると思って聴いてます。その意識のせいなのかわかりませんが、この日のライブを聴いている時に、居場所や時間の流れ、のような言葉が頭に思い浮かんでいました。

アンコールのラスト『東京』。一度聴くと頭から離れないリフに寄り添うようなスライドギターの音からデビュー前後のくるりの音も蘇ってきた感覚になり、でもその瞬間耳に入ってくるのは過去と現在が合わさって目の前で生み出されている新しい”東京”の音を聴いてるような、当てはまる言葉を簡単に見つけられない不思議な気持ちになりました。
さらに思い出した、10年前の『くるりの一回転』の田中宗一郎さんのライナーノーツ。

おそらくくるりというバンドは、そうした不思議を、そして、そうした我々の目の前に立ちはだかる見えない壁を越える術を本能的に知っていたバンドなんだと思います。(略)帰る場所を探し続けるのではなく、世界中を帰る場所にしよう。彼らのやってきたことはおそらく、そういうことなんだと思います。

「くるりの一回転」|くるり official (note.com)

自分の未熟さ、至らなさで痛い経験をたくさんして、その恥ずかしさに蓋をする。環境やまわりの人のせいにする、安らげる場所はここじゃないと逃げ出すことを繰り返しても、何度も大きなストレスを抱え込んでしまう。
不安や諦めの気持ちは、10年前よりかなり大きい。
ここで詰んでしまうのか。

そんな大きなしんどさの塊や、恥ずかしさ、見たくない心の傷も、全部手の中でコロコロと丸めて甘さと塩辛さのある桜餅みたいに包み込んでしまう。しんどい毎日やけど、ちょっと、この音聞いてみぃひん?と、柔らかい、でもシャキッとエッジもノイズも効いてる音で明るい場所へ連れ出してくれる。
4月6日の夜に聴いた音は、今まで以上に自分で作ってしまった心の壁を取り除いてもらえた感覚になりました。

東京の街に出て来ました
あい変わらずわけの解らない事言ってます
恥ずかしい事ないように見えますか
駅でたまに昔の君が懐かしくなります

東京 : くるり / QURULI

90年代に、メインの駅周辺以外は全く開発されず道路も歩道もガタガタなままの大阪郊外の町にいた私からは、北大路ビブレもうらやましいと思ってました。
”京都という曲も作りたい” 、東京を演奏する前に、上京前後のエピソードや、今の心境を岸田さんは話されていました。
京都の曲、聴きたいです。

磔磔さま、50周年おめでとうございます。これからもずっと、良いライブが続きますように。
くるりさま、素晴らしいライブをありがとうございました。これからもずっと、ずっと、素晴らしい音を奏でられますように。

安心な僕らは旅に出ようぜ
思いきり泣いたり笑ったりしようぜ

ばらの花 : くるり / QURULI


京都は家から近いので日帰りでもよかったんですが、ちょうど桜が見ごろな時期なので、ライブのチケット当選メールを見た時から泊まりで旅行も兼ねて行くと決めてました。
人が多すぎる場所は苦しくて動けなくなるので、まだ我慢できる人の多さと宿泊代がやや私のお財布に優しいと思った隣の滋賀県大津市で泊まりました。

翌日、大津市内を散策。

近江神宮 桜門
2024.4.7 近江神宮
琵琶湖疏水の桜
琵琶湖疏水の桜
滋賀県大津市 三井寺から琵琶湖を眺める
三井寺(園城寺)から琵琶湖を眺める

百人一首や短歌は、千年以上経つ今も人の心を惹きつける。いろんな災害や戦を経ても続く寺社仏閣へ参拝する。綺麗な桜が毎年花を咲かせる。びわこの水を使わせてもらえる有難さ。人が気持ちを込めて何年も続けようと未来へ繋げているものへの敬意と、人の創造力を遥かに超える自然の力強さを特に感じた旅になりました。


退屈な毎日も 当然のように過ぎてゆく
気づかないような隙間に咲いた花 来年も会いましょう
さぁここへおいでよ 何もないけれど
どこへでも行けるよ 少し身悶えるくらい

奇跡 : くるり / QURULI

通常では考えられない、不思議な現象
何年も続いてゆく人々の大切にしたいと願う想いと行動する力が
見過ごされているとしても、何もないと思い込んでいても
まわりをよく見てみると、ずっとそこに実っていた
見えてなかったものが見えた時の感動を
敬意を込めて奇跡と呼びたいです


2024.5.4一部修正、追記しました。