お茶の先生から電話がかかってきた話【雑記】
今朝の出勤時、運転する車の中でヘヴィメタをガンガンに流していた。
Just call my name 'cause I'll hear you scream.
Master! Master!
Just call my name 'cause I'll hear you scream.
Master! Master!
ドコドコドコドコジャンジャン
キュイィィィ〜〜〜〜ン♫
れんと「いイひぃえーーーーーいゃあぁ!!」
(曲が止まる)
Prrrrrrrr……Prrrrrrr……
れんと「???(なんじゃ、人が盛り上がっているのに)」
iPhoneの待受画面を見やると、そこには懐かしい名前があった。茶道の先生。なんとも、出勤中にもヘヴィメタにも相応しくない人から電話がかかってきたものだ。加えて運転中。電話に出ることは諦めて先を急いだ。会社に着いてから留守番電話を確認すると、あの頃と変わらない溌剌とした声が聞こえてきた。
僕は20代前半に茶道を習っていた。流派は表千家。バイト先の店長がその先生に教わっており、誘われて遊びに行ったのがきっかけだった。習うといっても月に2回程度お菓子を食べに行っていたようなもので、自分から何かを学ぼうとしたり教えを請うこともなかったように思う。それでも先生は「楽しんでいるうちに体で覚えればいい」というタイプで、2年ほど通ったところで最初の御免状まで頂いてしまった。
しかしその後は就職のためその地を離れ、先生とお会いすることも、茶道に触れることもなく今日まで時が過ぎた(その間に2-3回は電話で話した気がする)
留守電の内容は「SNSでれんと君を見つけて思わず電話しちゃいました♡」というものだった。お歳はもう80くらいになるだろうか。天真で可愛らしいところが全く変わってないことが分かって、とても嬉しかった。
20代前半といえば激動の時だった。根拠のない自信のなさに取り囲まれて、日々ひたすら喘いでいた。そんな中で茶道の時間だけは落ち着いて過ごしていた気がする。今思い返せば、誰からも評価されない空間に、身を隠していられたのだろう。優劣とか順位とかが無関係なのは当然のこと、自分の欲とか人の要求からも解放される場所だったのだと思う。
と、ここまで書いて、少し思い出を美化しすぎたと反省する。もっとずっと素朴な体験だった。辛い日常の中に挿入されていたのは確かだが、淡々と目の前にある手前をこなしながら、よく知らない年配の人たちとよく分からない話を繰り交わす。ただそれだけ。
思い出が美化される原因の1つに言葉も関与していると思う。言葉はどうも、美しい方、美しい方へと向かう。それに引きずられるように回想の印象も淡く美しくなっていく。ある言葉群が拒絶されるのは……罪悪感のため……か?
ところで意識に拒絶された美しくない言葉たちはどこに向かうのだろうか?
最近ぼくは選ばれなかった言葉たちについてよく思いを巡らせる。もっと的確な語とか、もっと巧みな表現、という意味ではない。自分の注意の方向や罪悪感などによって、無視されたり本質をすり替えられてしまった感情(を表現する言葉)があったのではないかと思う。
現に、当時の辛かった日々のことは「辛かった」という一語に集約できるほど小さいものになっている。もしあの頃に辛さを表現する語彙が豊富だったとしたら、もう少し具体的に当時の感情を思い出せそうなものである。逆に、うまく言語化できていたらそこまで悩まずに生きられたかもしれないけれど……
仕事が終わってから茶道の先生に折り返し電話をして、10分ほど互いの近況報告を交わした。今も〇〇県で仕事をしていること、唐突にインド思想文化を学び始めたこと、妻がどんな人か…… 先生は僕の大してすごくもない話に「すごい!すごい!」と相槌を打つ。そのうちに「大してすごくもない」と思うことが悪いことのように思えてくる。
先生は先生で、老年期の大変な課題のいくつかを抱えていることを笑いながら話す。きっと最後には「茶道をしているから大丈夫なの」と言うんだろうな、と思っていたら、全くその通りになった。
結論がなく、まとまりに欠けた文章だけど、今自分が感じていることは存分に書けた気がする。言葉を選んだり捨てたりして綺麗にまとめることも出来るだろうけど、今日の体験はその作業を拒否するのだろう。
ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!