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愚痴る気楽さで詩を吐く 【雑記】

ヘッダーは新しくSNS用アイコンを作っていた際に上がってきた没作。AIにキーワードを伝えて作成を依頼したのだが、なかなかに強烈。笑 採用作はいずれお目見えできたらと思っている。

去年の夏頃まではコンスタントに創作をできていたのが、すっかり遠ざかってしまっていた。仕事と育児で疲弊しきって、単純に創作に時間を当てられなかっただけ。とはいえ時間を割けなかっただけなのに色々と考えてしまった。もうネタが尽きたんじゃないかとか、才能がないからではないかとか、そもそも自分に必要なかったのではないかとか。
そんな思考はもう何周もしてきたはずなのに、作品を仕上げて世に出していないと、無駄なことばかり頭をグルグルする。
ネタは書かなきゃ出てこないし、才能があると才能がないはほぼ同義だし、自分に必要なかったら最初からやってないだろ!

とりあえずシンプルに書いて出すをしていかなきゃならないだろと思い、縋るように捻り出したのはやはり「短詩」である。
1〜4行の短い詩と俳句。最近は1日1作程度を詠めるようになってきた。短詩の方が必ずしも労力が少ないというわけではない。むしろ短いほどに練らなきゃならない部分や、背景に込めなきゃいけないものが多い場合もある。
ただ今は、勢いに任せて詠みたいものを素直に詠む!というスタンスが大事な気がして、それが功を奏した感覚がある。

不思議と、小さなものでも作品を上げ続けていると「もっとこんな作品も!」という欲が出てくるものだ。もう少し長い作品を練れるかもしれない。そんな希望が見えてきた。
しかし創作には優先順位の問題もある。僕の場合、日常のアレコレよりも創作のかなり順位を上げないと、なかなか難しい。だから仕事をある程度テキトーにして、家の中でも家族に怒られるくらいにしないと、創作はできない。ただこの一年でよく分かったのは、自分の健康や元気は創作に支えられている部分が大きいので、もう周りには理解してもらうしかないということ(開き直る)

なぜだろう。愚痴なんかはすっと出てくる(口に出すかどうかは別にして)のに、創作はすっとは出てこない。
それがそもそもの誤りで、愚痴をすっと出すくらいなら、へっぽこでもいいから詩を出していく方がいいのかもしれない。愚痴なんてそもそもへっぽこの戯言以上にはならないわけだから、だったら同じようなスタンスで詩を吐いていったほうがよほどいい。へっぽこな詩を出していこう。ハードルを上げずに、率直に、自分が詩と思うものを詠んでいこう。

詩と同じように、自分にとってBLも大事な創作である。が、『葬舞師と星の声を聴く楽師』という大作(18万字!)を出してしまったゆえに、すっかり腰が重くなってしまったのである。これに相応する作品を出さねばと気負って、挫折することいったい何回??
BLの場合もうひとつ問題があって、それはゾーニングのこと。露骨な表現はnoteや「矢口れんと」名義ではどうしても難しい。それで愛の表現を詩的に美的にと考えると、またハードルが上がってしまうのだ。ライトに書ける環境を整えなくてはならないと思い、苦肉の策としてもうひとつ筆名を用意した。noteで直接的に記事を投稿をするつもりはなく、まずはXで掌編などを発表していくところから。軌道に乗ったら紐付けしたいと思う。
ただ葬舞師シリーズはもちろん矢口れんと名義で必ず完成させる。中期的な目標を見据えつつ、目の前にあるできることをやっていこう。


#日記 #エッセイ #創作

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