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小説『あれもこれもそれも』2-3

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*本話は性描写を含んでおります。
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小説『あれもこれもそれも』
story 2. 遊女の廊下 -3


 前を歩く男の背中を見つめる、そのたった5秒にも満たない時間で私は察した。落ち着きのない心のうちが、指先の動きや肩の揺れに表れている。そんな彼のせわしなさは一抹の不安を与えるものだった。所作が洗練されていない男はつまらないし、何より危険だ。
 ベッドルームに入って振り返った男の顔……それは想像をはるかに超えて幼く、私は正直落胆した。打破する何かなんてとんでもない、どんな小さな事件さえ起こしそうにない。
 青年は色黒で粗野な顔の作りをしていた。スポーティーな装いの袖や裾からは、やけに過剰な筋肉がはみ出している。それらは不必要な力を見せつけてくるようで、いい気分はしなかった。肌の質を見ると20歳くらい、運動部にでも所属する大学生だろうか。きめ細やかな肌をしているのに、日焼けした頬にはところどころニキビやその跡が残っている。
 どうして私がこんな子どもの相手をしなくてはならないのか。心底、恋人を恨んだ。
 それにしても落ち着きのない態度がいちいち癇に障る。瞳はきょろきょろと動き、途方に暮れた幼子のよう。明らかにこの状況を持て余している。青年がいつまでも口を開こうとしないので、さらに苛々してきた。不本意ではあったが、私から声をかけることにした。
 恋人の名前を出すと「は、はい。彼のご紹介で来ました」と、ようやく厚ぼったい唇が開く。初対面で敬語くらいは使えることを確認できたので、とりあえずは合格としよう。そしてこの瞬間に、『これは仕事』と腹を括る。
「したい?」
「は、は、はい」
 まるで面接官の質問に答えるかのような口ぶりだ。

——小紫様、こういうお子様は一度
  組み伏せておいた方が良いですね

 私は青年の懐に入り込みキスをした。すぐさま舌を入れ、青年の肩が一瞬震えたのに合わせて、両耳に優しく指を添えた。私の口の中におそるおそる忍び込んでくる舌はだらしなく、そして腑抜けていて、男の頭の中が真白くなっていくことを私に教えるサインだった。体を密着させたまま押しやってベッドの端に座らせる。唇を離すと、なんとも物欲しそうな顔をしてくる。私はそれ以上に欲情した顔を見せつけながら、彼の太ももの間にすり寄って、顔を近づける……
 「あっ」と幾分高めの声が漏れるのを頭頂で察知する。声は1度きりではやまず、速い呼吸と共に、降り始めた雨のごとく漏れ出てくる。その声の抑揚もリズムもなんとなく支配できる気がした。いや、今は確かに私が支配している。いつも支配される立場だから、たまにはこういうのも悪くない……などと考えていたら、声の合間合間の吐息は呻くように変わっていき、いつの間にかその腰が逃げたそうにしている。
 私は口を離して顔を上げた。彼の表情を窺うと、左側の口角がだらりと落ちて、口が妙な三角形に変形している。瞳はとろんとして、私の顔を捉えていないようだ。それらは私に無言の懇願をしてくるものだった。
 少し興醒めしてしまった。あまりに簡単に支配してしまったからか、それともやはり私は支配されたい側であることを感じてしまったのか。どちらにせよ置いて行かれてるような感覚があった。
 もしおあずけなんてしたらどんな反応を見せるか、それを見た私はどう思うだろうか。悪戯心も湧いてきた。しかしそんな思いつきは、『これは仕事』と軽く抑えた。
 私はすでに密着した距離をさらににじり寄って、そして跨った。丈が長めのスカートは、畳んだ私の足と彼の太い両腿とをすっぽりと包んで覆い隠す。青年は一瞬驚いたような顔を見せる。下着をつけていないことで驚かれるのは新鮮で悪くないが、若い男が病気や妊娠のことを考え出したら厄介だ。スモーキーピンクの傘に隠れて、私はゆっくりと着実にコトを進めた。
 沈み、飲み込む、私。
 震え、崩れ落ちる、青年。
 ものの1分も経たないうちに青年は私に強くしがみついてきて、顔を胸元に押し付け、一段と大きな声を上げた。全身の小刻みな痙攣とともに、それまで密着していた骨が離れてはぶつかって、コ、コツン、ゴツッと不規則に音を立てるのを感じた。
 任務完了。

 裾もプリーツも乱れていないスカートを見下ろして、我ながら手練だと感心してしまった。青年の顔を覗くと、矜持が傷つけられたのか知らないが、ふてくされてそっぽ向いている。顎の下辺りまで生えたもみあげと、幼気な瞳とのアンバランスが私の視界を覆い、彼も心あるひとりの人間であるという、当前の事実を今さら思い出す。
 そして不覚にもこのとき私は、青年のことをほんの少しだけ〈可愛い〉と思ってしまった。


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