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小説『あれもこれもそれも』4-9

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小説『あれもこれもそれも』
story 4. 退屈の領分 -9


 入院して3ヶ月経ったそうだ。午前中、妻の佳美との面会があった。この面談室で顔を合わせたのはもう何度目かになるが、妻はこれまでに見せたことのないような面差しを向けてきて、そっと口を開いた。
「子供、できたみたい。今度は双子だそうよ」
 俺はそれを聞くと、うつむいて自分の手を見つめた。
「佳美……俺は」
「待って」
 妻は俺の話を即座に遮った。
「もし今回のことであなたに思うところがあるなら、私に〈聞かない権利〉をください。もちろん、麻衣にも」
 そう言って妻は、俺に封筒を差し出した。受け取って中身を取り出すと、それは〈パパとくべつしょうたいけん〉と書かれたピアノの発表会のチケットだった。
「来年は、必ず行こうね」
 俺は、それに黙って頷くしかなかった。佳美もそれ以上に言葉を継ぎ足しはしなかった。
 今日の妻の声色は、あの日に放ったものと同じだ。彼女が自身の中にある何かを信頼しているのが、ありありと伝わってくるような。そう、俺があの事件を実行した夜に、初めて聞いた声の色だ。

 続いて、医師を含めた3人での面談が始まった。結局俺に病名は付かなかったみたいだ。
 そんなことあるのかと、一瞬だけ訝った。しかしその疑念は間欠泉のようで、すぐに引っ込んで、後には姿を見せなかった。
 目覚めてから、自分の精神状態が悪化しているような兆しもない。今だってこのような環境でも気分良く過ごせている。裏打ちとしてはそれだけで充分だ。重大な疾患の告知を控えるような時代でもないだろう。


〔断片〕

 呪いの儀式などと言ったが、本来はそんな大それたものは予定していなかった。拓人が健斗を蔑み、健斗が恥じ入るさまを眺めて、楽しむくらいで充分なはずだったのだ。しかし松田の想像を遥かに超えて、その場に現れた全員が熱量の高い感情を露わにした。

 ホテル・パダンの一室に、最初に呼び出されたのは早希だった。
「もう〈悪徳〉はやめる。これからは俺たちが楽しめることをしよう」
 松田はそう言ったものの、ついですぐに健斗が呼ばれて現れた。松田が提案したのは、3人で行うSMプレイだった。それはためらいがちに始められたものの、ほんの僅かな時間で早希と健斗は快楽へと没入していった。
 しかし松田の想定外だったのは、早希が予想以上に健斗のことを深く愛するようになっていたことだ。彼女が見せる快楽の表情、伝わってくる充足感はこれまで松田が見てきたものとはまったく違っていた。その差異が男に苛立ちを積もらせていった。
 男は舌打ちをすると、2人をおいてベッドの側を離れた。それに気づかないか、もしくは気にも留めないほどに、早希と健斗は夢中で愛し合った。

 その間に、松田は部屋のドアまで行き、鍵を開けておいた。そして入り口からベッドに向かう経路の、死角になる場所に椅子と灰皿、そしてスマートフォンを持っていった。
 椅子に座り足を組み、出会い系アプリにログインする。松田は『KNT』の名前で『tak』にメッセージを送り、今この情事が繰り広げられている部屋の番号を教えた。それから煙草に火をつけ、早希と健斗の行為を冷ややかな目で眺めていた。

 ややあって、松田が誘導した通りに拓人が姿を現した。彼がしたドアのノックは、行為に夢中の2人にはまったく届かなかったようだった。拓人は恐る恐る部屋へと足を進めてきた。
 そこで繰り広げられている光景は、青年の目にどう映ったのだろうか。SMプレイに没頭する男女と、それを眺めて立ちつくす青年の姿が、松田の左右の瞳に綺麗に収まった。


♢『あれもこれもそれも』は残り2話です♢

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