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3 難航する交渉 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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3  難航する交渉


「ハッ──」
 まずは右脚一本で体重を支える。膝を曲げて腰を落としていく。右腕は大地から天まで伸ばして垂直に保ったまま、ゆっくりと上体を反らしていく。
 左手でバランスを取りながら、その指や手首や肘の関節を自在に操り、さまざまな自然の表象を形にしていった。蓮の花が開く刹那、川の表面でざわめく光、山の斜面を転がる岩石。その体に表現できないものはないように思われた。
 次第に体幹に捻じりが入り、左脚の動きも加わる。舞は複雑になり、より抽象的な、たとえば思惟や変化や、成長あるいは退化みたいなものを、次々と描いていった。
 一連の動作の目的は、突きつめると単に右脚の鍛錬たんれんへと収束していく。すべての表現を支える脚。大地と人との間にかけられた唯一の橋。ダアルの修練法のほとんどが、大地と脚とを一体化させるために編まれたものだ。
〈お前はそれ以前からまともな修練を積んでいない〉昨晩のハーヴィドの言葉がアシュディンの脳にこびり付いて離れない。舞踏団で過ごしてきた長い歳月のなかでも、あそこまでこき下ろされた経験はなかった。しかし思い当たる節が全くないわけでもない。──アシュディンが王宮を飛び出した前日のこと、老年の舞師らが彼に向けた目には侮蔑するような一抹の翳りが見て取れた──もしあの眼差しを言葉に置き換えたら、ハーヴィドが言ったようなものになるのだろうか。

「ヤッ──」
 軸足が入れ替わった。修練はなおも続けられる。左右対称を基本型としないダアルの振りだが、それぞれの脚に求められる機能にさほど違いはない。アシュディンは利き足でない左脚で体を支えながら、先ほどまでとは一風違った表象をひとつひとつ宙に落としていった。このわずかな時間の舞に、彼の脚の剛健さと柔軟性が語り尽くされているようだった。
 ──その日の明け方、村の輪郭が朧げに現れ始めた頃、うつらうつらしていたアシュディンは背後で何か物音がするのを聞いた。その音と気配が遠ざかってから振り返ると、楽師は古楽器とともにテントから姿を消していた。旅の荷は残されており、出立したわけではなさそうだった──
《あの野郎、意地でも俺に触らせないつもりだな!》
 さまざまな苛立ちが募ってきて、アシュディンは奥歯をぐっと噛み締める。するとわずかに重心がずれて《あっ》とバランスを崩し、後ろにひっくり返った。
「クソッ!」アシュディンは仰向いたまま、大地に拳を立てた。集中力の欠如が忌々いまいましかった。視界に転がり込んできた空には雲ひとつなく、あまりに青く十全で、自身のそぞろ心を責められているような気になった。
 ふと足音がして、つむじの先へと目を向ける。逆さまになった世界に人影がひとつ現れていた。アシュディンは身を起こして振り返ると、そこには村役が預かった例の少年が立ち尽くしている。
「なんだ、母さんの坊やか。昨夜ゆうべはちゃんと飯食ったか?」
 少年はこくりと頷いてから、ぼそっと「ザインだよ」と呟いた。活気はないが落ち着いたその声色にほっと胸を撫で下ろす。
「ザイン、お前もやってみるか?」
 アシュディンは軽く挑発するような笑みを浮かべ、両腕を左右一直線に広げ「よっ」と言って左脚を持ち上げた。体幹と右脚と両腕とが綺麗な十字架をかたどる。ザインもそれを真似て片足立ちをしてみたが、すぐによろめいて、こてっと倒れてしまった。
「ハハハッ! 俺がここにいる間、一緒に練習するか!」
 村落の真上の空に、曇りない笑い声が響いた。


「最近、よく修練しているようだな」
 ふたりが寝食をともにするようになって4日目の夜。焚き火にかけた鍋からスープをよそいながらハーヴィドが言った。アシュディンは驚いて、つと気恥ずかしそうになって答えた。
「別にあんたに言われたからじゃないさ。自分でもこのままじゃまずいって薄々感じてたんだ」
 アシュディンはハーヴィドが置いた杓子しゃくしを手に取って、かき混ぜたり具を掬ったりを何度か繰り返した。溶けた野菜が鍋の内で豆と共に踊った。
「あんただって、陰でこそこそ練習してるんだろ? 古楽器だろうが別にいいじゃねえか、いい加減そろそろ聴かせてくれよ」
「…………」
 アシュディンがハーヴィドの楽器を見たのは最初の夜のたった一度きりだった。その時に聞こえた音も途切れ途切れで、これまでに聞いたことのない音色という他には何も分からなかった。
「分かった! 楽師とか言っておきながらお前、実は超絶ヘタクソなんだろ?」と、けしかけるアシュディン。しかしハーヴィドは椀のスープを一気に飲み干して「そうかもな」と呟いただけだった。
 ハーヴィドのまともに取り合わない態度にもいよいよ慣れてきていた。それよりも、初めて彼の方から話しかけてきたことに、アシュディンはひそかに悦に入ったのだった。


 6日目の正午過ぎ、行商人らは予定よりも早く村落を訪れた。広場には数名の商人がそれぞれ品物を広げ、ある者は賑やかに客の応対をし、ある者は退屈そうに店先に座っていた。
「えぇ!? 駱駝らくだないの?」アシュディンは驚いて思わず声を上げた。
「ああ、すまんな。あんたより先に来てたあの男に売ったのが最後だ」
 駱駝売りの男が指差した先で、ハーヴィドが別の商人と対面していた。何やら神妙な面持ちで話をしている。
 アシュディンは駱駝売りの方へ振り返って耳打ちをするように言った。
「なあ、こっそり俺に譲ってくれない? うまく誤魔化してさ。あいつ図体デカいから駱駝なんてなくたって大丈夫だって」
「いや〜、そう言われてもねぇ。もうちんも受け取ってますし」
 アシュディンは渋る商人にもどかしさを覚えて、一転しておもねるような態度になった。
「じゃあさ、おじさんの駱駝を譲ってよ。ラウダナ国まで行くのに徒歩でなんて無理だよ〜。ほら、こ〜んなか細い体の旅人を憐れに思うだろ──」
「悪いが、俺は太っているせいで膝が痛いんだ。勘弁してくれ」すでに売り物を捌いていた駱駝売りは、素気なく言って立ち去った。

 目当てのものを手に入れられなかったアシュディンは肩をわなわなと震わせ、大股でハーヴィドへと歩み寄っていった。
「おい、ハーヴィド。お前そんだけ図体デカいんだから、俺に駱駝を譲れよ!」楽師に対する態度はますます遠慮のないものになっていた。
 ハーヴィドは横目でアシュディンを見下ろすと
「商談中だ。戯言ざれごとは聞いてやらないでもないが、今は退いておけ」と言って商人の方へ向き直った。
 商人の背後にはとりどりの木材が積み上げられている。黄白色、赤色、褐色など、色ごとにおおまかに区分けされ、木目の違いやサイズによって幾つかの山が作られていた。
「なぜだ。ラウダナ・マホガニー(*木材の名)を取り扱ってないだなんて。一昨年おととしは確かにこの辺りで買えたはずなのだが」ハーヴィドはよく発達した顎の内で口をへの字に曲げた。
「いやぁ、旦那、知らないんですかい? ラウダナ・マホガニーは今やファーマール帝国に買い占められてるんですよ。なんでも、王宮の調度品を一新しているとか」
「とはいえ、ひとつもないというのもおかしな話だろう」と言って詰め寄るハーヴィド。
「いまこの辺のマホガニーのほとんどがラウダナ国の検査と承認を経て、ファーマール国に直に運ばれちまうんですわ。そのルートを通らないと密輸密売になっちまう。俺だって商売できなくなったら困るんで……」
 木材売りはその先まで言わなかったが、両手を挙げてなす術がないことをアピールした。
「……そうか。食い下がってすまなかったな」
 肩を落とし、口をわずかに尖らせながら辞去するハーヴィド。アシュディンは普段はなかなか見られないそのさまに《今こそ復讐の時!》と色めき立った。挑発的に前に躍り出て言う。
「なに、お前もなんか買えなかったの? 残念だった──」
「おお、アシュディンさん。やはりここにいらっしゃいましたか!」
 突如、茶化そうとするアシュディンの言葉を遮って、村役の男が割り込んできた。
「折り入ってご相談が。よければハーヴィドさんも一緒に聞いてやってください」


── to be continued──

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本作は不定期連載です。
次回公開まで楽しみにお待ちください!

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