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一線を越えてしまった日

つらい。
通っている絵画教室のSNSがあげていた写真を見て、僕は涙を滲ませた。
それは教室中の雰囲気を撮影したものだった。
プライバシーに十分配慮され、生徒たちの顔には全てボカシが入っていた。
しかしある部分にはまったく配慮がなかった。
それは……(悔しそうに俯く)
それは……(拳を握りしめる)
僕の後頭部だ。
薄い、薄いぞ! 以前よりだいぶ薄い!!
うすうす気付いていた。この「うすうす」は副詞であって、頭皮状態を示す形容詞ではない。
数年前からすでに、鏡に向かうと頭皮が見え始めていたのだ。

……と大袈裟に言ってみたが、僕はハゲてしまうことにそれほど恐怖を抱いていない(けろっ)。
大好きだったじいちゃんもハゲてたし、カッコいいなと思っていた他部署の上司もハゲていた。
ハゲにしか纏えない服装や雰囲気もある。
心配なのは、自分の顔立ちや体格、今のファッションなどと釣り合いが取れなくなることくらい。周りからどう見られるかは比較的どうでも良いことだ。

絵画教室のSNSで自分の後頭部の薄さを目撃してから数ヶ月経って、再び撮影が入ることになった。
今度はSNSではなく、絵の先生のホームページに使われる宣伝用の写真・動画だった。
事前に顔出しの可否を確認され、僕はOKをしていた。
noteでも以前は顔は出していたし、絵画教室に通っていることがバレて困ることなどない。

撮影当日もプライバシーへの配慮は入念だった。顔出しOKの生徒とNGの生徒は座る場所を区分けされていた。
その日は写真だけでなく、生徒個人のインタビュー動画の撮影もあったのだが、撮影の合間にも一人一人顔出し可否の確認をされる。
そしてついに僕の番が回ってきた。

「矢口さんは顔出し大丈夫ですよね?」
その問いかけに対して、僕の口は反射的に動いた。まるでタイミングを伺っていたかのように、思考の速さを優に越えて、スラスラと勝手に答えたのだ。

「大丈夫です。ただ正面やや下からのアングルでお願いします。最近、後頭部がヤバイんで」

その直後、教室内に笑いが起こった!
ほんの一瞬だったが、撮影のために漂っていた緊張感が緩んだ。
僕は目を丸くした。いまだかつて、こんなにも笑いを取ったことがなかったからだ。
クソ真面目だし根暗だし、「できればスベりたくない」という羞恥心は人並みに持ち合わせている。
そんな僕がハゲをネタにして、いともたやすく笑いを勝ち取ったのだ。
正直、嬉しかったよ。
泣いてしまいそうだったよ。
これまで排水溝に流れていった髪の毛たちに、賛辞を述べたいくらいだった。

しかしその一方で「とうとう一線を越えてしまった」とも思った。
羞恥を厭わなくなる一線のことだ。
これまで生きてきた中で、何度か同じ気持ちになったことがある。
例えば、オヤジギャグを言う事を躊躇わなくなったと自覚した時だ。その時も妙な開き直りがあったのを思い出す。
オヤジギャグを言うに当たって、自分の中には綿密な算段があった。それはスベることを前提とし、失笑や軽蔑を喰らうことを覚悟の上での、場の緩衝材となることだ。
ウケ・爆笑などは当然狙っていない。
オヤジギャグの目的とは「自分はこんな下らない人間ですから、気軽に話しかけてください」と語りかけることであり、
「皆さんも肩を楽にして言いたいことを言い合いましょう」と先陣を切って宣言することだ!

あれから数年、新たな一線を越えてしまった今、さまざまな問いが頭の中をめぐる。

これからの僕に用意されている一線は何だろうか?
それを越える日は今回みたいに不意に訪れるのだろうか?
完全にハゲてしまったとして、僕はネットに顔をあげられるだろうか?
詩人がハゲたら、やはり中原中也のような帽子をかぶるのが良いのだろうか?

ふぅ……
(ティーカップを置き窓の外を見やる)
「そして僕はいったい何をこんな真面目に語っているのだろうか?」


ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!