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小説『あれもこれもそれも』2-7

*過去の話はコチラから*

小説『あれもこれもそれも』
Story 2. 遊女の廊下 -7


 その後、何度か健斗から誘いのメールが来て、私はそれを無視していた。しかし状況を知ってか知らでか、恋人の方から健斗と会うようにと連絡が来た。私はしかたなく誘いに応じることにした。

 休日昼時の駅前通りはそれなりに混み合っている。普段よりも恋人同士や家族連れがやけに多く感じられた。多分、私の意識のせいだ。恋人と昼間に会うことは、実はこれまで一度もなかった。5年も付き合って一度もだ。そのことを咎める気は毛頭ないが……目に留まっては過ぎていく人々の笑顔が、私の心臓を細い針で次々と刺していくように感じられる。やはり嫉妬心からなのだと思う。
 視線を街路から鏡張りのビルへと移すと、そこにはくたびれた女の顔が細部までくっきりと映し出されている。目の下の隈も、ほうれい線も。朝化粧をしてから2時間も経っていないのに、すっかり別人のようになっていた。
 健斗が大学生であることを知り、今日の服選びには正直苦労を強いられた。私のクローゼットには、恋人と会うための服しかなかった。ブランドの服も装飾品も、何もかも全て年上の男性に恥をかかせないために背伸びをして選んだものだ。だから、大学生と横に並んで違和感のない服など持ち合わせていなかった。
 結局、前日にユニクロに行ってTシャツとジーンズを購入した。そんなフツウの買い物が、私の心をまったく躍らせなかったと言えば嘘になる……のだが。もう一度ビルに映る疲れた自分の顔と対峙して「慣れないことはするものじゃない」と注意をした。

「サキさん」
 聞きなれない呼び声がして振り返る。ホテルで会ったときとは打って変わって、光沢のあるジャケットを羽織った健斗の姿があった。皺一つないスラックスが、彼の背伸びを物語っているようだ。どうやら服選びですれ違ったなと思うと、自然に笑いがこみ上げてきた。
「なんか……ちんぴらみたいだよ。金のネックレスが似合いそう」
「ひどいっすよ。めっちゃ悩んだんすから」
 思っていたよりずっと自然に、デートらしきものは始まった。

 どこへ向かうかも知れない道すがら、健斗は終始浮かれながら、自分の学生生活やサッカーのこと、そしてアルバイトの話なんかをした。最初に会ったときの、押し黙っていた仏頂面はいったい誰のものだったのか。
「バイト先に同い年くらいの奴がいて、なんかいけ好かないんすよね。男2人だけなんで気まずくて。いや悪い奴じゃないんすけど、お高くとまっていて馬鹿にされているような気になるんすよ。俺とは全っ然違う世界にいるタイプ」
 私は恋人の言葉を思い出した。「憎しみ合う若い男たち」とはきっと彼らのことだったのだろう。健斗が嫌うその若者のことをもう少し知りたかった。しかし、それまで彼の話にただ頷いていただけだったから、急に食いついたりしたらきっと変に思われる。躊躇しているうちに、私が一番興味を持った話題は一瞬で埋もれて過ぎ去ってしまった。

 ブティックの路面店がいくつか並ぶ石畳の道を抜け、古めかしい西洋風の店に辿り着いた。漆喰の壁にミントグリーンのドアがはめ込まれている。その手前にある樹の枝葉は少しだけドアの上縁まで垂れていた。ドアが開くとベルの音と共に葉が揺れて擦れる音がした。
「このタルト屋、知ってます? 女子にすげえ人気で、東京にも名古屋にも店舗出してるんすよ」
 店の看板を見ると、それは確かに名古屋にいた頃に見かけたロゴだった。それも確か栄のど真ん中にあって、いつ見ても行列に覆い隠されていた。この街に来て3年も経つのに有名チェーン店の本店があることすら知らなかった。
 吉原での生活に必要な物は吉原の中で全て揃うように、私の生活圏内も恐ろしいほどに狭かったのだ。知っているのは飲み屋かラブホテルくらいか。そんな自虐的な連想に加えて、『恋人も子供や妻に、ここのタルトを買って帰ったりするのだろうか』なんて疑念が追い打ちをかけ、ひどく惨めな気持ちになった。
 店の中に入ると、色とりどりのフルーツが溢れんばかりに盛り付けられたタルトが、ショーケースの中から店の女性客全員を魅了していた。彼女たちだけでなく健斗も目を奪われている。
「サキさんはどれにします?」


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#小説 #詩 #エッセイ #あれもこれもそれも #遊女の廊下

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