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小説『あれもこれもそれも』2-8

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小説『あれもこれもそれも』
Story 2. 遊女の廊下 -8

 店の中に入ると、色とりどりのフルーツが溢れんばかりに盛り付けられたタルトがショーケースの中から店の女性客全員を魅了していた。彼女たちだけでなく健斗も目を奪われている。
「サキさん、どれにします?」
(前話)


 ……私はどう反応していいか分からない。苺、ブルーベリー、メロン。可愛くて、優しくて、ときおり気難しい顔が並んでいる。みんな揃うとタルトの上は楽しそうな劇場になっている。多分どれを選びとっても美味しいのだろう。こういう店に来て女が選びとらないなんてことは、きっとフツウはありえない。
 しかし、欲しいものを欲しいと言うのは、私にはとても難しいことだ。必要なものを欲しがるのは簡単なのに、ある一線を越えると急に「欲しい」が言えなくなる。

「あなたの好きなもの2つ買って、半分こしよう」

 私の苦し紛れの提案を、健斗は訝ることなく受け入れた。鈍感と言うか、純朴とでも言うべきか。勘の鋭い恋人の傍と違って、とても楽だ。気を張らずに済む。
 ミックスベリーと洋梨のタルトを入れた紙箱を手に、私たちは店からほど近い公園まで歩いた。そして健斗に促されるがまま、公園のベンチに腰をかけた。駅前通りと同様に家族連れが多く、しかも彼らは過ぎ去ってくれず目の前に居続ける。いやでも視界に入り込んでくる。
 空の色と芝の色。バドミントンのシャトルやフリスビー、父娘の笑顔、そして隣にいる青年の白い歯。それらすべてが眩しくて、私の周囲数cmだけが世界から切り離されているような心地がした。自分だけがここに存在していないかのような違和感を消せず、私はただそこにいた。
「こんな三十路すぎた女を連れて公園にいるところを見られたら、恥ずかしくないの?」
 私がそう聞くと、健斗は目を大きく見開いて口をぽかんと開けている。
「えっ、なんで? 自慢できるじゃん」
 彼の口から出た言葉が全く理解できず、私は慌てて顔を背けた。「おかしいでしょ!」と。お世辞めいたことを突然言われ、恥ずかしくなったのだ。そんな私の挙動は健斗の目にどう映っただろうか。彼はどんな反応を示しただろうか。ただ横ではタルトの紙箱を開ける音がするだけだ。そして
「変なこと言ってないで食べましょーよ」
 と明朗な声が響き、私はおそるおそる顔を上げ、彼の方へと向き直る。すると自分の目線と同じ高さに、彼の幼い黒目がしっかりと2つ並んでいた。


 しばらくの間、恋人とは会っていなかった。数週間経ち、悪事がきちんと進行していることを健斗から確認したのか、私はある飲み屋に呼びつけられた。恋人には渡さなくてはならないものがあった。しかし彼の〈悪徳〉のためだけに呼ばれているような気になって、正直不愉快だった。
 恋人の「会いたい」と、健斗の「会いたい」はだいぶ違う。健斗のような真っ直ぐな瞳を恋人に求めるのは、お門違い甚だしいのはわかっている。しかしずっと心の奥底に隠れていた、性の愉楽のためだけの関係の虚しさは、いつの間にか自分の心の最前面に構えるようになっていた。今更こんな風になるなんて、本当にどうかしている。
 飲み屋は駅から5分ほど歩いた、都市開発の手が行き届いていない雑多な歓楽街の中にある。この界隈のビルはほとんどが平成初期に建てられた。建築様式や壁の汚れもそうだが、褪せた原色のネオンや、年中舗装工事をしているでこぼこのアスファルトも、古めかしさを後押ししている。この飲み屋もテナントの何個目の店舗であるか、もはや誰も知れない。

「ちょっと、聞いているの?」
 恋人は相変わらず虚ろな視線を宙に漂わせている。語気を強くして咎めたにもかかわらず、私の言葉は彼の耳を素通りする。むくれた顔は彼の視界にすら入らない。
 私はハンドバッグを膝の上に置き、中からスマートフォンを取り出す。そのディスプレイに1枚の写真を映し出して、無礼な恋人の眼前に突きつけた。
 彼の視界を覆うのは、隆々とした男の裸体だった。ところどころ、カメラのフラッシュに反射する汗が、小麦色の肌に青白い炎を灯している。男の荒い息遣いが聞こえてくるようだ。男性性と若さとが惜しげもなく放出されている。その体は健斗のものだ。そしてそれは、臍から下へ辿っていく茂みに隠れて、私の体と繋がっていた。
「よく撮れている。どうやった?」
「自分を被写体として差し出したのよ。恥ずかしい写真をいっぱい撮られたんだから」
 恋人の親指が左右に動く。
「素晴らしいじゃないか」
「どうしてこんなこと? 男の裸の写真なんて何に使うのよ?」
 私が苛立ちを見せると、恋人はいつも通りはぐらかすように微笑んだ。
「君の方も綺麗に撮れているよ。顔が写っているものはないの?」
「……あるけど」
 私は短く呟いて、スマートフォンを彼の手から取り返す。それを抱くように自分の胸元へと引き寄せた。『君の方も』か……そう、私はとうとう〈ついで〉の存在にまで落ちぶれたようだ。それが悔しくて、せめて悪事の概要くらいは知っておきたくなった。
「あの健斗って子は誰なの?」


Story 2. は全10話を予定
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