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小説『あれもこれもそれも』1. ②

あれもこれもそれも
story1. 呪術的な日常 ②

 メッセージを送ってきた男たちは無視して、スクロールしていくアプリの画面をぼんやりと眺める。ふとスーツ姿で真面目そうな男に目がとまり、彼のプロフィールを開いてみる。そこには〈後腐れなく遊べるセフレ募集!〉とだけ書かれ、その文言以外に彼の人となりが分かりそうな内容は何一つ示されていなかった。僕はまた肩を落とす。肉欲全開の出会いを斡旋するアプリであることは重々承知しているつもりだったのだが。
 何せ僕には出会いの選択肢が少ないから、利用者が多い点でこのアプリはどうしても捨てがたい。セックス目的の人間に落胆させられることも致し方ないことなのだ……と自分に言い聞かせる。
 ゲイのうち、こういった類の男たちはいったいどれくらいの割合なのだろうか。当然ながらきちんとした統計はない。僕らに与えられる統計なんて、せいぜい同性愛者の予測人口割合くらい……それもあまりにざっくりとしたものだ。みんな隠れて生活している。まじめに恋愛対象や生涯のパートナーを探している人間が、自分の生活圏内にいるかどうかなんて、一切知る術がない。そんな環境で生きていて「自分の考えが一般的かどうか」をあれこれ考え悩むなんて、きっと馬鹿馬鹿しいことなのだろう。時々、セックス特集とかを組む女性誌を羨ましい目で見ることがある。これまで付き合った人数とか、複数パートナーがいる割合とか、つまり数字、統計。嘘でもバイアスかかりまくっていてもいい、売上目的の虚構でもいい。混沌としたものは数字で整理してくれた方がいい。自分の立ち位置に気付く材料になるではないか。
 こうやって一般社会から離れた立ち位置で生きていると、目の前に広がっている空間には常に独立した世界がいくつも存在しているという意識が芽生える。僕らに固有の世界が彼らの世界に影響することはないようにも思える。事実はそうでもないらしい。学者やゲイリブ活動家は、同性愛者は社会経済を影で支え、流行を牽引しているなどという。でも僕個人のレベルではあまり関係のないことだ。例えばゲイたちが人気に火をつけたあの歌手のことを「メジャーデビュー前から知っていた。売れると思っていた」なんて言ったところで、うざい人間としてのレッテルを貼られ、虚しいだけだ。
 2つの世界を無理に繋ごうとするから問題が生じるんだ、と思う。いま僕の生きている世界はそれなりに明るい。芳彦と出会えた今の僕はきっと幸せなんだ。それだけでもう充分で、他はオマケだくらいに思っていて良い。
 ……でも、偶然が生んだこの世界が束の間のものであることも、実はちゃんと分かっている。ひょんなきっかけで恋人の住む世界が突然変わってしまうことはいくらでもある——たとえば芳彦が世間体のために結婚したり。自分が意図せずに他の世界に放り込まれることだってある——たとえば僕が他の誰かに目移りしたり。
 何せ僕らにはゴールがない。来るべき不幸に対する準備は、決して怠ってはいけない。だから体質に合わないアプリでも退会せず、そのままにしていた。

 芳彦のスマートフォンのアラームがけたたましく鳴る。自分の機器をスリープ状態にして、僕自身も寝たふりをする。もちろんロックは自動でかかる。安心なんてものが本当はどこにも存在しないことを、皮肉にも自分自身が証明している。束縛したいのに、されたくはないというエゴイズム。昔は女子特有のものだと信じていたけれど、おそらく性差も年齢差もない。僕が欲しいのは安心そのものよりも、きっと安心させようとする気遣いだ。注文どおりの束縛がほしい。こんなエゴ。

 バイト帰りに僕が買ってきたパンをトースターで軽く焼く。それを芳彦が口に含み、僕が買ってきた〈飲むヨーグルト〉で胃に流し込んでいる。学生の僕が芳彦のためにできる数少ないことの1つだ。以前の芳彦は朝食を全く取らないで出社していて、青白い顔でふらふら倒れそうになりながら毎朝ドアの向こうに消えていた。彼は〈生活感〉というものが大の苦手で、付き合い始めた当初、僕が朝食を作ろうとすることを強く拒んだ。しかし僕は諦めなかった。コンビニのパンに一分足らずの手間を加えることで、朝の小さな感動を得られることを僕が教えたんだ。部屋にアラジンのストーブがあったのをいいことに、デザインを合わせたお洒落なオーブントースターを買ってもらって、僕は自分の仕事を獲得した。あのひどい生活習慣を矯正したのだから、彼氏を通して社会に貢献した、なんてひとりうそぶくくらい許されて良いと思う。こんなこと、意識高い系の同級生に聞かれたら大笑いされそうだけど、僕は本気でそう思っているし、多分僕の方が地に足が付いている。


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