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小説『あれもこれもそれも』2-4

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*本話は性描写を含んでおります。
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小説『あれもこれもそれも』
story 2. 遊女の廊下 -4


 青年の希望で、それからバスルームで1回、ベッドルームでもう1回セックスをした。
 1度目の行為を終えて、羞恥心や逸る気持ちが減じたのか、彼は壮健な肉体を誇示しアダルトビデオのようなセックスをしだした。それにしらける自分もいたが、私は一部の女性が思うほどには男性優位のセックスを非難していない。神話を男たちから取り上げれば、てんでんばらばらな女性性の混沌が彼らの支えを奪い、混乱の海に突き落としてしまうのではないか。なんて危惧していた。
 ときおり青年は力任せに私を持ち上げたり、太ももを打ちつけてきたりした。非難はしないけど、やはり子ども、まだまだだと思う。私たちが望むのはそんなことではない。私はただムードとかニュアンスとかを望んでいる。
 どうして……男にとって矜持と性とが切り離せないのか。そして筋肉と矜持とも。それらを切り離そうとすると、どこかで矛盾を生じてくる。女にとってこんな腕や太ももは邪魔になることさえあるのに。女の快感に男の矜持など全く関係ない。その背景にいくら修練や肉体労働や、勝利や栄誉があろうとも。それを男がどんなに崇高だと思っていたとしても。
 ……結局、私は恋人のすらっとした細い脚が好きなだけかもしれない。

 それにしても回数を重ねるたびに、青年の顔は血色が良くなり活気を増して、ますます意気揚々としてくる。これが若さかと思い知る。年を取ったことを悲観しているのではなく、単に目新しかった。そもそも若い男と寝る機会なんてこれまでそんなになかった。
 恋人がいつか言っていた。「若い男は身の丈よりも大きく見える称号を与えるだけで鼻を高くして簡単にコントロールできる」と。たしか仕事論だったと思うけれど、そこに限られた話ではなさそうだ。
 目の前にいる青年は、自分よりずっと年上の男性の愛人を抱いて、性的興奮以上に鼻を広げ、そしてコントロールされようとしている。そのことに全く気付いていないのだろう。やはり、男の矜持とはバカバカしいものだ。
 青年は終始無口だったが、別れぎわに〈ケント〉と名乗った。そして連絡先を教えて欲しいと頼んできた。恋人を介して聞くように伝えて、私はさっさとホテルを後にした。


 タクシーに乗り、自宅の場所を告げる。街灯の消えた市街の景色が流れていく。歩道のタイルもガードレールも、背の低い街路樹も、全て私の向かう方向と逆へと吸い込まれていく。車内は沈黙に充ちて、街も沈黙している。はたして、どちらが正しい時間に向かっているのだろうか。
 私は後部座席の、誰の姿も見えない右脇に向かって話しかける。

——小紫様、懺悔致します。
  本日は仕事にもかかわらず
  少々情が湧いてしまいました。

 そこにいる女性は、私が心の師として仕えている吉原の伝説の花魁、稲本楼小紫だ。高級遊郭の太夫の身でありながら、鳥取藩士の平井権八に惚れられ、そしてみずからも惚れた。小紫に会う金欲しさに権八は辻切りを繰り返し、その罪で処刑された。そして彼女も男を追って自害したという。
 どこの地域文化にもありそうな主題だった。この民話のヒロインは、当時愛知県の大学に通っていた20歳の女性——つまり私自身のことなのだが——の元に突然ふっと舞い降りてきた。それがいつだったか、どこでだったかは思い出せないのだが、小紫と出会った直後の、あの幻想的な充足感は今でも忘れられずにいる。
 女性の通う大学には日本史や民俗学を扱う学科があって、稲本楼小紫に迫る豊富な史料を検索することが出来た。彼女はある夏休みをその調査に没頭して過ごした。これをテーマに卒業論文を1本書けたのではないかと思うくらいに。
 その中で、平井権八を題材にした民謡、歌舞伎や人形浄瑠璃があることを知ったのだが、当時は今のようにインターネット上での情報公開も少なく、上演されているかどうかを知ることは困難であった。しかしそのハードルがむしろ小紫への執着を加速させた。フィールドワークが必要だと思ったその女性は、アルバイト代をはたいて名古屋から東京へと向かった。そして目黒区の龍泉寺にある小紫と権八の比翼塚を見てこの上ない感動を覚えた。
 だが今になって当時の写真を見返してみても、現代の楷書体で文字を刻まれた、ただの岩でしかない。あれに霊的な直感を感じたのだとしたら、妄想的な感受性や、情緒の不安定さがあったとしか思えない。
 実のところ、権八の恋人としての小紫が実在したかどうかは定かでなく、この花魁話は権八の史実に後から付け加えられた可能性があった。しかし、その時の女性には若さもあったのだろうが、件の後付け説を受け入れなかった。筋書きを小紫側から語ることに使命感のようなものを感じていたのだ。あれは多分、ある種の歪んだフェミニズムだったのだろう。


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