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まったく違う2つの神話【エッセイ】

職場に読書家がいる。最近読んだ本の話で盛り上がった流れで、互いのオススメ本の交換をすることになった。(本記事では紹介書籍のネタバレを含みますのでご注意ください)

僕が貸したのは凪良ゆう『神さまのビオトープ』(講談社)だった。元々彼女のBL作品が好きで作家読みをしていたのだが、最近は非BL作品も書かれている。読者を慮る平易な文章と物語の純粋な面白さで、今後も多くの読者を獲得していくと思われる。イチオシの作家さん。

彼女の柔らかな筆致は表紙の絵ともよく調和している。しかしその作品は「交通事故で他界した夫が幽霊となって現れ同居を続ける」というなんともやるせない筋を発端にして展開される。

彼女の作品を読んでいると、つくづく小説は相対そうたいの塊だと感じる。オムニバス形式で進んでいく物語には、疑いを狂気に変えていった女、心が機械のように育ってしまった子ども、特殊な性癖に何の違和感も持たない男など、なかなかクセの強い人物が登場してくる。主人公と幽霊夫の「まっとうな」愛情をベースにほのぼのと描かれていることで、彼らの印象はさらに際立って感じられる。

しかし主人公らも既に死別をした夫婦であるという特殊性に立ち返らざるを得ない。彼らを眺めていると、自身のこと、人生のこと、生死のこと、人はあらゆるものを措定そていしながらでないと生きていけないことを暗示させられているような気になる。それはつまり、気ままな神さまの作った生息空間で生来無秩序に生かされている私たちは、正解のない中でどの紐を選んで神さまに愛されようとしているか(≒幸せになろうとしているか)というゲームをしているに過ぎない。意思と受難。相対あいたいするニつの概念は神さまの元では一でしかなく、小説の中だろうが現実だろうが、そういった不確かな世界でみんな必死に生きている。

読書家からお借りしたのは、佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)、自身の読書生活では絶対に手に取ることのないクライムノベル(犯罪小説)というジャンル。

メキシコの麻薬密売組織のトップと、親殺しをしたメキシコと日本のハーフの少年が、巡り巡って出逢い更なる悪事に手を染めていく、刺激的なフィクション小説。アステカ神話と血生臭い人身供儀を軸にした話であり、正直目を背けたくなるような描写も多い。ただしそこは文学ならではの妙というもので、映像作品では逆に映し得ない世界の扉を読者へと開いてくれる。

随所にアステカの歴史、神話、信仰と儀礼が散りばめられている。それらのどこまでが真実かは知れないが、調査執筆期間4年という文句と、巻末に付された数多の参考文献が、多少のリアリティを僕の情動に突きつけてきた。当時のアステカ文明に生きた人が、私たちには信じられないような因果と天理の基に世界を眺めてきたのは間違いない。そして、失われた古代信仰の糸か断片かが、現代において合理的と思われている世界観に潜んでいるはずがないとまでは断言できない。そんな考えに至るくらい、現実味を帯びた恐ろしい小説だった。

神さまはカッコいい・美しい、神話は面白い、なんとなく惹かれる、厨二心をくすぐられる。神話をモティーフにした創作をする動機はこれで充分だと思う。しかしもう一歩踏み込むことで、もっと面白い作品が結実するのではないかという期待を持ちながら創作活動を続けている。その「もう一歩」というのが難しいのだが。

『神さまのビオトープ』では神さまは登場しないものの、普遍的なままならない人生を描くことで神さまが浮き彫りになり表題に顕れる。『テスカトリポカ』では人間本能と不可避な受難を覆う霧として神の名が登場し、こういったものこそ神話の本質なのだろう。

面白い作品を読んでいると、先に挙げた「もう一歩」というのは結局、人間と人生と世界をしっかりと見つめることに収束していくのだと思う。神話には国家樹立の説明という名分もあるが、その一方で、まだ分化発達段階にあった論理からはみ出す膨大な世界を見つめる眼差しが、そこにあったのだろうと想像する。そういう文学を「神話」と呼ぶのなら、今回読んだ2冊とも充分に神話である。

神・神話にまつわる作品に触れて非常に満足している。また知人と小説を交換するという好機に恵まれたことも良かった(確か最後は高校時代だったような。。。)
僕も人生で一作くらいは、もっと面白い作品というものを結実させたいものである。

#エッセイ  #読書感想文
#note神話部  #mymyth

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